Entre ciel et terre

意訳して「宙ぶらりん」。最近、暇があるときに過去log整理をはじめています。令和ver. に手直し中。

両国散歩(その3)

2010年03月31日 | 日々雑感
(その2)は【コチラ】から。



 回向院のあとに向かったのは、吉良邸跡です。


 きちんと『忠臣蔵』のストーリーを追ったことがないのにもかかわらず、どういう訳か赤穂浪士の討ち入りというメインどころは知っていたりして・・・よく、ひと昔前、年末の特番とかで見かけたのがウッスラと記憶の片隅に留まっているのかもしれません。



 今はこんな感じで、小さな公園という感じになっています。中には、赤穂浪士が吉良上野介の首を洗ったという伝説の「首洗い井戸」があります。これをみて、映画「リング」のS子さんを思い出すのは、私だけでしょうか・・・



 公園内に昔の敷地地図がありますが、それを現代の地図と照らし合わせると、いかに吉良邸が大きかったかというのも実感できます。少し、江戸に戻ったような感覚に陥りながら、今度は「勝海舟生誕の地」へ向かいます。
 と、思いきや! またもや途中で面白いものを発見!

 

 なんでこんなところにこんなものが? と不思議に思い、説明を読んでみると、なんとこの錨(いかり)、日露戦争のときに日本海軍の駆逐艦「不知火」が持っていたものだったんですって。これが解体したのが、両国の鉄鋼業社だったこともあり、両国小学校に寄贈されて、こんなところにあるんですって。ほぇー
 日露戦争って、名前はよく聞くけれど、それに関連したものというと東郷平八郎のビールぐらいしかみたことがないので、少々感慨に耽ってしまいました。ちなみに、両国小学校の前を通りましたが、校門のところには江戸文字で「両国小学校」と書いてあったのに、「粋」を見出した気がしますw
 あと、この両国小学校のところに、芥川龍之介文学碑がたっていました。確か『杜子春』の一節が、ともにあげられていました。芥川の出身校だったんですね。
 両国小学校の前を通り抜けて、見えてくるのが、両国公園。ここが、勝海舟生誕の地です。公園内にあるので、石碑の傍らでは、子供たちがボール遊びに興じています。石碑のすぐ左隣には「年中無休 ラジオ体操会場」があって、本当に毎朝、ここでラジオ体操をやっているのか、とても興味をそそられました。もしかしたら遊んでいる子供たちからしてみれば、「勝海舟生誕の地である両国公園」というイメージよりも、「ラジオ体操会場のある両国公園」というイメージのほうが強いのかな?

 

 これで、両国散歩の日程が終了しました。帰りがけに、JR両国駅付近になる、芥川龍之介生育の地を見てきたんですが、そこはもはや駅前の居酒屋街という感じになっています(ほんのわずか、それっぽい跡がうかがえます)。



 こうやって写真や記事にすることで、忘れかけていた散歩道を、再び思い出しました。本当はここに記されていないお蕎麦屋さんの話、時間の都合で中を見れなかった旧安田庭園、ライオン堂、喜久屋足袋などいろいろあるんだなーと実感。この散歩を通じて、たまにはこういう視点で散歩してみようかなと思い立ちました。
 なお、この両国散歩(その1~3)の文中説明は、各ホームページの案内とかをメインに参照させていただいているのと同時に、散歩する前にY氏が下調べをしてくれており、プリントアウトされた資料を私にくれていたこともあり、こんな細やか(?)な記事が書けたと感謝しております。

 こうして、両国散歩は江戸~平成という時代を往ったり来たりする歴史散歩となり、大満足のまま、その日程を終えたのでした。


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