音と美と文と武と食の愉しみ

自己参照用。今まで紙に書いていたものをデジタル化。
13歳でふれたアートが一生を支配するようです。

20240728 宮本常一「土佐源氏」

2024-07-28 07:16:07 | 日記

銭ものう、もうけるはしから、そのとき関係していた女にやってしもうた。別にためる気もなかったで・・・・・・。

それで一番しまいまでのこったのが婆さん一人じゃ。あんたも女をかまうたことがありなさるじゃろう。女ちうもんは気の毒なもんじゃ。女は男の気持ちになっていたわってくれるが、男は女の気持ちになってかわいがる者がめったにないけえのう。とにかく女だけはいたわってあげなされ。かけた情は忘れるもんじゃァない。

わしはなァ、人はずいぶんだましたが、牛はだまさだった。牛ちうもんはよくおぼえているもんで、五年たっても十年たっても、出あうと必ず啼くもんじゃ。なつかしそうにのう。牛にだけはうそがつけだった。女もおなじで、かまいはしたがだましはしなかった。

しかしのう、やっぱり何でも人なみな事はしておくもんじゃ。人なみな事をしておけば乞食はせえですんだ。そろそろ婆さんが戻ってくる頃じゃで、女のはなしはやめようの。

婆さんはなァ、晩めしがすむと、百姓家へあまりものをもらいに行くのじゃ。雨が降っても風がふいても、それが仕事じゃ。わしはただ、ここにこうしてすわったまま、あるくといえば川原まで便所におりるか、水あびに行く位のことじゃ・・・・・・。ああ、目の見えぬ三十年は長うもあり、みじこうもあった。かまうた女のことを思い出してのう。どの女もやさしいええ女じゃった。

 

ーーーーーーーー

ここでいう「婆さん」は六十年前に主人公が馬喰宿で働いていた時に浮気した親方の奥さんの娘。当時十歳。関係を持った後、男が連れて逃げた。三年一緒に暮らした後、関係は一旦切れてその娘は実家に戻る。男は流浪の女性遍歴を続けるが三十年前に病で盲目となり、やむをえずかつて共に駆け落ちした娘のもとを訪ねる。彼女は「とうとう戻って来たか」と泣いて喜び、目が見えるようにと二人で四国八十八ヶ所の旅に出る。結局目は元に戻らず、男は乞食に身を落として川原で暮らすこととなる。宮本が話を聞いたのは男が八十歳頃の時と書かれている。不思議な感動を呼び起こす一編。私はこの「婆さん」に思いを巡らせてしまう。


コメントを投稿