ドアーズの音楽には、すぐに彼らだとわかる独特のトーンがある。
一番はジム・モリソンの声。
しかし間奏もドアーズ以外の何者でもない。
それはレイ・マンザレクがオルガンを弾こうがエレピを弾こうが変わらない。
ドアーズの音楽には、すぐに彼らだとわかる独特のトーンがある。
一番はジム・モリソンの声。
しかし間奏もドアーズ以外の何者でもない。
それはレイ・マンザレクがオルガンを弾こうがエレピを弾こうが変わらない。
われわれのように地球物理学関係の研究に従事しているものが国々の神話などを読む場合に一番気のつくことは、それらの説話の中にその国々の気候風土の特徴が濃厚に印銘されており浸潤していることである。たとえばスカンディナヴィアの神話の中には、温暖な国の住民には到底思いつかれそうもないような、驚くべき氷や雪の現象、あるいはそれを人格化し象徴化したと思われるような描写が織り込まれているのである。
それで、わが国の神話伝説中にも、そういう目で見ると、いかにも日本の国土にふさわしいような自然現象が記述的あるいは象徴的に至るところにちりばめられているのを発見する。
まず第一にこの国が島国であることが神代史の第一ページにおいてすでにきわめて明瞭に表現されている。また、日本海海岸には目立たなくて太平洋岸に顕著な潮汐の現象を表徴する記事もある。
島が生まれるという記事なども、地球物理学的に解釈すると、海底火山の噴出、あるいは地震による海底の隆起によって海中に島があらわれあるいは暗礁が露出する現象、あるいはまた河口における三角州の出現などを連想させるものがある。
(中略)
出雲風土記には、神様が陸地の一片を綱でもそろもそろと引き寄せる話がある。ウェーゲナーの大陸移動説では大陸と大陸、また大陸と島嶼との距離は恒同でなく長い年月の間にはかなり変化するものと考えられる。それで、この国曳きの神話でも、単に無稽な神仙譚ばかりではなくて、何かしらその中に或る事実の胚芽を含んでいるかもしれないという想像を起こさせるのである。あるいはまた、二つの島の中間の海が漸次に浅くなって交通が容易になったというような事実があって、それがこういう神話と関連していないとも限らないのである。
神話というものの意義についてはいろいろその道の学者の説があるようであるが、以上引用した若干の例によってもわかるように、わが国の神話が地球物理学的に見てもかなりまでわが国にふさわしい真実を含んだものであるということから考えて、その他の人事的な説話の中にも、案外かなりに多くの史実あるいは史実の影像が包含されているのではないかという気がする。少なくともそういう仮定を置いた上で従来よりももう少し立ち入った神話の研究をしてもよくはないかと思うのである。
きのうの出来事に関する新聞記事がほとんどうそばかりである場合もある。しかし数千年前からの言い伝えの中に記帳な真実が含まれている場合もあるであろう。少なくもわが国民の民族魂といったようなものの由来を研究する資料としては、万葉集などよりもさらにより以上に記紀の神話が重要な地位を占めるものではないかという気がする。
(後略)
小宮豊隆編「寺田寅彦随筆集 第四巻」(1948)
唄はビル・ウィザース。
邦題は「クリスタルの恋人たち」。
歌詞の中に、確かに「クリスタルな雨粒」という一節が入っている。
色褪せない曲。
これが彼女の最初の絵本なのかな。
シンプルな読み上げ。
イギリスの鳥獣戯画。立派なアートだと思う。
長閑で癒される。
ドアーズの不朽の名曲をホセ・フェリシアーノがカバー。
全米3位となった大ヒット。
伸びやかで、力強くも切ない声質が胸に迫る。