「できない問題が有って当たり前という感覚が身につく」利点(メリット)はかなり大きい。
どこかで勉強は
できなくても当たり前の状況に切り替えなくてはいけない。
毎回100 点で(なぜか)当たり前(ということにされる)学校教育から
(少人数教育にするべきだよ。)
(手が回らなくてやっつけ仕事になってる。)
自分の理解力と経験を頼りに1点でも多く点数をもぎ取る練習に「日本人」は切り替えなくてはいけない。
変に相手を持て余して体罰是非論に走るより、
「今は30 点、これから100 点にする」
「今は0 点、だからまず10 点分理解する」
という教え方に徹するべきだと思います
(1クラスが多すぎるんだよ)
(ブロイラーじゃないんだよ)
(先生は十一面観音じゃないよ)
(今、分散登校とオンライン授業で人数を減らすチャンスじゃないか……!)
(あらためて難問で挫折して落ち込む生徒を引き受ける身にもなって……! 大村知事……! 気付いて……!)
試験問題は普通は全問正解しません。
勉強のできない人に優等生が冷たい理由には、
「10 問や20 問間違えただけで落ち込んで “勉強できない人達” 」が
「問題をなめてかかっている奴のうぬぼれに見える」というすれ違いがあります。
試験で20 問間違えるのは「普通」で
とりあえず
その20 問を取れるようにするのが「勉強」だと知らないままでいる、
ということは優等生も知らない。何歳になっても。
だから小学校中学年以降の先取り学習は大切です。
だから!
先生の目が行き届かないぐらいクラスの人数が多いから!
あらためて無学年制教材で先取りをしないと「試験とは何か」「勉強とは何か」も分からないんだっ!
学力低下と教育格差は年寄りの責任です。理由は述べました。
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