風邪の体をおしてまで、無理して遊びまわった甲斐があった、この1週間。
最後の一日も、楽しくかつ切なく、すばらしい一日を過ごしました。
只今夜中の3時。
2時ごろ帰宅して、みよこちゃんときゅーちゃんとさっきまで部屋で話してました。
5時半には起きて、7時前には家を出ます。
徹夜することも考えたけど、この体調で飛行機乗るのはさすがにあかんやろってことで、寝ます。
でもやっぱり今日のことは記憶が薄れないうちに書いておきたい。
出来事じゃなくて心の変化を。
昨日書いたように、昼間は掃除と帰国準備。
夜はアムスで晩ご飯とサッカー観戦。
なかじ、みよこちゃん、ちえさん、エディー、ユン、ヨリト、ジョン、それから遅れてきゅーちゃんと、その友達2人が来てくれました。
サッカーは、一言で言うと、
あんな試合初めて見た。
カードが出まくったりあわや乱闘騒ぎだったり。
うまくは言えないけど、9月あたまに初めて見たオランダ代表戦とは、全く違った様子だった気がします。
相手が強かったのもあるけど、もっと上に行ってほしかった。
それから電車でユトレヒトまで帰るわけですが、
その電車のなかで、みよこちゃんときゅーちゃんと3人で話していると、
ふいに
「もう明日からはこんな風に3人で話せないんだ」って、思いがこみ上げてきて、ちょっと泣きそうだった。
これまで、帰国準備だのパッキングだのしてても、自分が帰国すること、みんなとはお別れすることを全く実感できなくて、まだまだあたしはずっとここにみんなとい続けるような気がずっとしてたんだ。
実感がなかったからこそ、今までいろんな別れを経験してきても、
すごく感傷的になったり涙したりすることはなかったんだと思う。
でもこの時くらいから、徐々にその実感が沸いてきてた。
ユトレヒトに着いてから、バーでもう一杯やることに。
日曜の深夜1時とかだったから、もうあんまりお店も開いてなくて。
駅からしばし歩きながら、ユトレヒトの街並みをずっと見ながら、いろんなことを思い出していた。
最初に来た日のこと、あの店に初めて行ったのはいつで、ここでこういうことがあって…って。
やっと見つけた開いてるカフェバーは、偶然にもミッフィーの作者、ディック・ブルーナさんの行きつけのお店だった。
そこでしばし歓談。
少しずつ、少しずつ、何かが波音を立てて迫ってきているような感じだった。
そしてバーも閉まるってことで、お開きに。
家が逆方向のなかじとヨリトとは、そこでお別れだったんだけど、
なかじとお別れの挨拶をして、「1年よく頑張ったな」って言われて、もう我慢できなかった。涙が止まらなかった。
なかじは、あたしのこの1年をずっとそばで見てくれていたたった一人の人で、
ほんとに辛くてしょうがなかった前半戦のあたしを知っている彼に、
そう言われたことで、ほんとにこの留学生活が終わったような気がしたし、
何て言ったらいいのかわからないけど、すごくホッとしたような気もした。
1年間、よく頑張ったんだな、頑張れたんだなあたしって、やっと実感した。
それから上にも書いたように、家に帰って、みよこちゃんときゅーちゃんとちょっとおしゃべりした。
この二人と仲良くなったのは、多分3ヶ月ちょい前くらいなもんだと思う。
でも、めんどくさがりのあたしが、自分から働きかけてでも仲良くしたいって思った二人。
ほんとに会えてよかった。
後期はあんまり人と絡んでないけど、その分量より質だったって思う。
この二人とは、近いうちに絶対また会えるからね。
楽しみにしてるよ。
おっとーもう4時過ぎてんじゃん
前もって書いててよかった、以下の文章。
最後に…
この留学でいろんな人と出会って、いろんな国のこと、文化や考え方の違いなど、ほんとにたくさんのことを教えてもらいました。
*Japan
*Korea
*China(,Hong Kong, Macao)
*Taiwan
*Thailand
*Singapore
*Indonesia
*Bhutan
*Australia
*India
*Pakistan
*Iran
*Turkey
*Ukraine
*Lithuania
*Romania
*Greece
*Poland
*Slovakia
*Czech
*Hungary
*Slovenia
*Austria
*Germany
*Finland
*Sweden
*Norway
*UK
*Netherlands
*Belgium
*France
*Switzerland
*Italy
*Spain
*Portugal
*Morocco
*US
…以上、(覚えてる範囲で)37ヶ国もの人たちと知り合い、あたしはたくさんの刺激をもらったし、きっとあたしも何らかの印象を与えていることだろうと思います。
(イギリスと中国は、分けるべきか迷ったけど一つに数えました)
それからもちろん、日本のみんなにも、いっぱいいっぱい支えてもらいました。
こうして日本を離れてみて、日本のいいところも悪いところもいっぱい見えたし、
それでもやっぱりあたしは日本人で、日本が大好きで、何より日本には大切な友達や家族がいて、あたしにはそれが必要なんだって実感しました。
ほんとはみんなにありがとうって言いたいけど、
中でもこの留学生活に大きく関わった人たちに感謝の言葉を。
special thanks to
なかじ
共に京都から乗り込んだ戦友。
彼がしっかりしすぎているのと、あたしが頼りなさすぎるのとで、
いつもいつもグチ聞いてもらって励ましてもらってました。
特に一番病んでた11月はほんまに助けてもらいました。
なかじがおらんかったら、絶対にあたしはこんなところに一人では生きてけなかったと思う。
今は日本人:オランダ人=4:6な彼ですが、
多分帰国する頃には2:8くらいになってることかと(笑)。
最後の1ヶ月ちょい、楽しんでね
tot straks in japan!!
ねぇさん
Janskerkhof、Baden-Powellwegの寮、共に同棲してました。
あたしの小食時も、甘いもの食べまくり時期も何でも知ってます。
あのストレスフルな前半戦、ねぇさんと日本語を話せること、日本人的感覚を分かってもらえることは本当に救いでした。
そのあだ名の通り、あたしにとって本当のお姉ちゃんみたい
無事に卒業してアメリカに帰っちゃったけど、
今は大変そうだけど充実した生活を送っているみたいで何よりです
みよこちゃん
偶然うちの寮に来たことで知り合ったアメリカ人、いや大阪人。
大人っぽいので最初は勝手に年上やと思って敬語で話してたw
後半戦はあなたの存在無しには語れません
きゅーちゃんと3人でいるのは、すごく心地がよかったよ。
ほんとに会えてよかった。ってか後期も残っててよかった。
私がおやじキラーなら彼女は白人キラー
こっちで何人の男を虜にしたことかw
これからも日本に来るときは必ず連絡ちょうだいね
ってか8月は必ず遊ぼう
ヒロさん
突然現れた謎のアメリカ人。日本人でもある。
あたしの中に彗星の軌跡を残していった仕掛け人。
みんなのいた2ヶ月はほんとにほんとに楽しかった!!!
彼のお陰で世界が広がりました
最初警戒しまくりやってごめんなさい
ドMなあたしをいじってくれる期待のエースです。
(変な意味ではない)
アメリカの田舎(笑)は絶対行きます!!!
お父さん、お母さん
私の留学、それから留年を認めてくれ、ずっと支えてくれている両親。
当然のことながら家族のサポートなしには、今の私はありません。
4年で卒業することを前提に認めてもらったこの留学(ほんとは半年留学のつもりでした)だったけど、
「やれるところまでやってみたい」という私の言葉を信頼して、1年の留学を許してくれました。
家庭の事情はよくわかっているし、
私だけがワガママを言って好き勝手やっている状況なのも自覚してます。
でもこの学生生活、悔いのないようにしたい。
あと1年半見守っててください。
リカ
大学受験で運命の出会いを果たして以来、もう離れられない存在。
何でも分かり合う大切な大切な友達です。
そんな彼女も同じ時期にシンガポールに留学してて、
留学生ならではの悩みを相談し合い、励まし合っていました。
1年離れ離れだったけど、
そんなこと感じさせないくらいすぐそばにいたような。
1年ぶりの再会は、我が故郷福岡で果たすことができるようです
帰ったらソッコーで連絡します!!!
ユウキ
1年先にアメリカに交換留学していた、留学生活の先輩ともいえる人。
この人との出会い無しには、あたしの留学は実現しえなかった。
オランダへの交換留学を決めたキッカケをくれ、
TOEFLの勉強法、選考に通るためのアドバイスをくれ、
そのほか留学に関するノウハウを全て教えてくれた人。
留学後も、精神面で支えてもらってて。
あたしのダメなところもちゃんとわかってくれてるので、
ほんとに凹んで、みんなが慰めてくれる中で、
唯一叱ってくれたのも彼でした。
今までずっと後ろから追っかけていたけど、
これからは同じフィールドに立ちます。
きっとまた今までとは違った関係が築けると思っています。
…ふと見返すと、うちの両親以外、みんな何らかの形でアメリカに住んでいる/住んだことがある人ばっかりやな!!
…とここまで前もって書いてたんですね。
絶対帰りが遅くなるのはわかっていたし。
でも、今日のblogは絶対に帰国前に投稿すべきと思ったので。
次の投稿はもう日本かな。
まずは関空、それから京都に行って、
7月あたまくらいまで京都に滞在します。
それから福岡には帰ります。
bedankt en tot ziens, nederland!!