していまして、食いつくように見てしまいました。
’80年代に入って若い嫁達が現れるまでは、
何かと注目を集めていたものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/4e/024a784efbcdbcdbd38f60b4974af87a.png)
プリンセス・マーガレット・ローズ・オブ・ヨークとして、
1930年8月21日、スコットランドのグラミス城にて
誕生されました。エリザベス女王は4歳年上の姉に
あたります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/42/f8e2e349da1a6e91d6d66b21407b5ae2.png)
写真を見てもお判りの通り、昔のイタリア女優張りの
美貌に、18インチ(45センチ)という驚異的細さの
ウェストを持つ王女は、どこに行っても注目の的。
それはそれはモテモテで、社交界のファッション・リーダー
だったそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/5b/a2e25addbf082956dd727a700c50eeac.png)
14歳の時に父のジョージ6世の侍従官となった
ピーター・タウンゼント大佐に出会い、ふたりは
恋に落ちていきます。しかし大佐は既婚者で
既にふたりの子持ち、しかも16歳も年上だったのです。
このふたりの仲は長いこと公然の秘密でしたが、
エリザベス女王の戴冠式の際、公衆の面前で
大佐の服についた埃を王女自ら取り除けるという
ハプニングで、誰もが知ることなってしまいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/e7/a5f61d8f199df41f122df2e72158ace7.png)
妻との離婚後、大佐は王女にプロポーズ。
王女も承諾。しかしエドワード8世とシンプソン夫人の件で
苦い経験のある、英国王室と議会がそれを許すわけが
ありません。大佐は約3年弱ほどベルギーへ飛ばされる
ことなります。それでも二人は結婚へ前進しようと
しましたが、大佐の帰国後、破局してしまいます。
何でも大佐と結婚するのであれば、王女としての特権を
全て取り上げる、というのが条件として突き付けられたが
為とのことです。しかもこの破局に関して、
王女が「大佐とは結婚致しません」旨を、正式に全国民に
向かって発表するという前代見聞な出来事も起こりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/d6/5f2c43e33f0c04f4988d632fb60e408f.jpg)
その後、1960年に写真家だったアントニー・アームストロング・
ジョーンズ氏と結婚。ジョーンズ氏はこの結婚でスノードン卿を
名乗るようになります。
この結婚で宮殿を出た王女は、新居を”お人形の家”と
価値観の違いを示すお言葉があったとか・・・
(多分、それでも凄い豪邸だったはず)
1961年にデヴィッド・リンレー卿、1964年にはサラ嬢を
出産され、順調に見えた結婚生活も1978年には離婚を
迎えます。
’90年に入ると病気がちとなり、何度かの心臓発作を
繰り返し、2002年2月9日、母であるエリザベス皇太后より
約一ヶ月半ほど早く帰らぬ人となられました。