晴"考"雨読

日々の雑感

やむを得ない事と正しい事

2015-07-20 11:57:14 | Weblog
2015年1月に、恩師の玉垣良三先生が亡くなった。その追悼文を書く参考に、平成7年に出された玉垣先生の京都大学定年退官記念集録を見返していた。玉垣先生の事については後日ここにも書こうと思うが、今日は(海の日で暑くて外に出ないで籠っていることもあり)、その中に集録されている田中一氏の文章の一部を採録しておこうと思う。北大で新入生歓迎講演会で話された内容とのこと。以下で出てくる「原則的」とは、ものごとの表層にとらわれず、根本にもどって論理的に考えるということであって、決して何かの原則にしがみつくという意味でないことは言うまでもない。科学者は、自然との対峙のなかで、文字通り自然にこの考え方を会得していくが、ひとたび科学の問題を離れると、科学者でさえ、やむを得ないことと正しいことの区別が曖昧になってしまうことを最近強く感じる。


以下、引用。

(前半略)

”確かに、幸いなことに現在では多くの人々の生活水準が高くなって、何とかすれば大学に自分の子供を送るだけの財政的な条件が整うようになりました。そうすると、皆さんはそれぞれ大学を志望します。その結果、入学試験が極めて熾烈になる。その入学試験を勝ち抜くためには、とにかく、何でもかんでも頭に詰め込まなくちゃなりません。それはもうやむを得ぬことで、やむを得ぬことではないかと皆さんは思われるでしょう。それは私もよく理解できます。それでは皆さんの間違えはどこにあるのでしょうか。それはやむを得ないことはすなわち正しいことである、やむを得ないことと正当なこととを等置する、そういう考え方についなってしまうところに間違いがあるのです。やむを得ないことは、やむを得ないことです。しかし、それが正しくないこと、正当性をもたないという事も、また、その通りのことです。この両者を同じくするところが問題なのです。

 今まで歴史学の書をひもといてみれば分かるように、永久に栄えた国などありません。どのような国も、栄えた後に滅びていく。その滅びて行く過程の中で、その国の賢者たちは、そのone step, one stepを、これはやむを得ない、これはやむを得ないとつぶやきながら、ついに国が滅びるのもやむを得ないと思ってしまったのではないか。やむを得ないということと、正しいということとは、同じイコールで結ぶべきものではないでしょう。そういう話をしたんです。

  この話は随分うけまして、大変多くの心からなる拍手が話の終わったあとで起こりました。心からなる拍手であることなんて、どうして分かるんでしょうか。それは分かる方法があるのです。私も、「あっ、これでこの話は終わった。ようやく終わった、よかった。」と思うときは、拍手はいたしますけれども、指先が曲がっています。曲がった拍手をちょんとします。しかしながら、「あーよかった。」と思う時はピーンと指先をのばして拍手をしています。だからといって、私の話の終わった後、指をまっすぐにして拍手して下さいとは決して注文しているわけではありません。念のため申し上げておきます。

  成熟社会というものは、一つの特徴をもっております。それはやむを得ないことを正しい事とつい錯覚するところにあります。原則的ということは、そのようなやむを得ないことと正しいことを区別すること、そういう態度だと思います。成熟社会である現代社会は、やむを得ないことと正しいことを等置する考え方を必然的に生むと同時に、そのような考え方、姿勢に対して警鐘を発する、そういう立場が出て参ります。玉垣君の全活動を貫いてにじみでてくるその特徴は、このような意味で、現代社会、現代の成熟した社会の中で、大きな意味をもつ40年であったという風に思います。”

(後半略)




 




南部先生の事

2015-07-17 16:54:13 | Weblog
南部先生が2015年7月5日にお亡くなりになったというニュースを、東海村で行われていたJ-PARCのプログラム諮問委員会からの帰りの車のなかでラジオで聞きました。心からお悔やみ申し上げます。2008年のノーベル賞のニュースは、帰宅途中の車の中で聞いて躍り上がったのが思い出されます。

大学院の修士課程の2年のころに、Nambu-Jona-Lashinioの論文に出会いました。多体問題と素粒子の基本問題が結び付けられた素晴らしい内容に心から感動して、その後の自分の方向性が決まったということができます。

2008年の南部先生のノーベル賞講演(Jona-Lasinio氏が代行)と講演録で、私たちの論文が取り上げられたことは無上の喜びでした:http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/physics/laureates/2008/nambu-slides.pdf 
また、南部先生のノーベル賞を記念する”原子核研究”特集号を企画したときは、そのまえがきを快く(しかもジョークも交えて)引き受けて下さったことも、我々には大きな喜びでした: http://www.genshikaku.jp/backnumber.php?vol=53&issue=sp3 

南部先生には、1997年につくばで行ったQuark Matter国際会議で、招待講演をお願いしたころから、折に触れお話しする機会が増えました。(すでにそのこと75歳にはなっておられたと思います。)

2000年ころに京都大学の基礎物理学研究所でお話したときのことは良く覚えています。そのときは、アメリカの大学でテニュアをとる時期に来ていた米国人研究者の仕事について、私に向って専門的に質問されてこられました。評価委員か審査委員をされていたのかもしれません。また、最近の新しい(科学の)話題はなんですか、と好奇心旺盛に聞いてこられたのも強く印象に残っています。

東京大学では、私が物理学教室の談話会委員をしていたこともあり、2000年以降、数回談話会やコロキュームをお願いしました。2000年ごろのコロキューム講演は、原子核における自発的対称性の破れを説明するために、自らパワーポイントを用いて作成された、変形した原子核がくるくる回る動画を使われるなど、遊び心と深い洞察が詰め込まれたものでした。また、2005年ごろの談話会講演では、ボース-アインシュタイン凝縮に関する自らの考察を、黒板を使って詳細に説明されたのが印象的でした。

ノーベル賞を受けられたあと、京都大学で記念シンポジュームが開催され、南部先生の前で、格子QCDからの核力導出のお話ができたことは、私にとっては大きな喜びでした。http://tkynt2.phys.s.u-tokyo.ac.jp/~hatsuda/jpg-figs/NJL-HK.jpg 核力の短距離部分については、南部先生も1950年代にいろいろ考察され、最終的にω中間子の予言を行われた経緯があります。そのあたりのコメントがあるかと思ったら、南部先生の質問は、”あなたの方法はエキゾチックなマルチクォーク系に適用可能か?”というものでした。すでに多くの研究がある核力に閉じず、常に新しいものを指向するその姿勢に関心しました。ちょうど一昨日、LHCbがcharmを含むペンタクォークを発見したというニュースが飛び込んできて、私たちの方法がまさにそこにも適用可能であることにつけても、感慨深いものがあります。

南部先生が東京大学を訪問されたときに、私や私の研究室の若手と一緒に山上会館で昼食をとりながら、昔話を聞かせて頂いたことも懐かしく覚えています。東大の理学部旧1号館(いまは取り壊されてありません)で、夜は机をいくつか寄せて寝ていたこと、晩御飯にメザシを研究室で焼いて臭かったこと、戦時中、空襲の時に鉄橋の橋げたにぶら下がって避難したこと、大阪市立大学に勤めていたときは大学にあまりいかず映画館にいりびたっていたこと、などなど。(そのころ大阪市立大学は扇町という、私の実家のすぐそばにありました。)

どういう理由だったか覚えていませんが、昔の写真を何枚か持参されて、昔の同級生(例えば、林忠四郎先生など)のお話など、小一時間もお聞きしたことを覚えています。また、ノーベル賞論文を書いた前後のこと、自発的対称性の破れの概念があらゆるところに現れることに気が付いて、一般論の論文を書こうとも思ったが、まずは具体的なモデルで示すことが重要と考え、最初にQEDのような理論を考え、その後、紫外の繰り込みの問題と赤外の話を切り離して議論するために4フェルミ相互作用の採用に落ち着いたことなどなど、いろんなお話をしてくださいました。

ノーベル賞を受賞されたあと、東京大学での紹介を書くということになり、南部先生に経歴を確認しながら書かせて頂いた記事も思い出深いです: http://www.s.u-tokyo.ac.jp/en/research/alumni/nambu/ この記事は、南部先生ご自身から、たいへん良く書けているとお褒めの言葉を頂きました。

私が直接南部先生とお話しできる機会ができたのは、南部先生がすでに75歳を越えておられてからですが、何時お会いしても、新しい物理の発展に関心を持ち、自ら手を動かして新しい挑戦をされていることが強く印象に残っています。1mmでも南部先生の境地に近づけるように、心を新たにしてこれからの人生を過ごしていきたいものです。