ストレス原因髪脱毛再生ブログ

2008年から始まった2回の脱毛後かつらを購入。2010年11月末、ついにかつらを取り元の自分の髪を取り戻す。(^-^)

「壁抜け」 

2010年04月24日 | 日記
久しぶりです。前回の記事から一ヶ月以上も経つのに、このブログに毎日10件以上の訪問者があります。何故なんでしょう?たまに、一日に60件の閲覧があったりします。どこで誰が読んでいるのかわかりませんね。(^-^’)


最近、精神的にものすごく楽で普通。初めてこのブログを読む人のためにまとめると、わたしは10年以上住むこの島でおこった人間関係問題に起因するストレスで2度にわたる脱毛を経験しており、2回目の現在はかつらをかぶる毎日である。この人間関係から9年来同棲する彼との仲もおかしくなり、しまいには自律神経までおかしくなり、怒り・憎しみ・不安を抱える毎日を送ってきました。(興味のある方は以前の記事をお読みください)

最近、ものすごく普通というのは、彼が2ヶ月前から自身の母親の末期がんのため国のカナダに帰っており、それと同時にわたしのストレスも見事消えたのだ。ストレスの原因がなくなって2ヶ月、何をどこからどう書き始めてよいのかわからない。



同じようにストレス状況にさらされて禿げるほど苦しんだ人はいますか?わたしの場合、去年の2月に2回目の髪脱毛でほとんどハゲになって以来、人生のどん底を歩いてきました。その間に29歳で復帰した大学を卒業し、最終試験終了後の2ヶ月後には欧米系の会社にマネージャーとして再就職しています。社会的にやることはやっているので途方もないどん底ではありません。ただ、かつて持っていた自信は根こそぎ奪われました。最近は、ようやく自信を取り戻しはじめ、ここしばらく止まっていた人生の歯車がやっと回ってきたような気がするのです。ただ、一からまた積み上げる自信をいうのは紆余曲折です。若い頃のまっすぐに何かを目指せたイノセンスはありません。


村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」という小説をご存知ですか?物語の中で主人公が水のない井戸に自ら入っていきますね、あれと同じことを経験したような気がします。わたしはこの経験の前、村上春樹の小説には何故いつも暴力が描かれているのかわかりませんでした。暴力描写が不必要にさえ感じていました。「ねじまき鳥」でも普通の日常の中で、ある大切なもの(猫や奥さん)が突然消えて、わけのわからないものに主人公が巻き込まれていきます。ストーリーの中に第二次世界大戦初期の話がでてきて、主人公自らが経験するわけではないが、パラレルに語られる戦争中の世界の中に暴力が日常に存在する。暴力というのはわたしたちの「普通」の生活にいくらでも存在するんじゃないか、と今なら思う。人生上手く行っているところに突然、次の角を曲がったとことに何か暗い得体の知れないものが待ち構えていて、レイプされてしまう。その後はもう普通に生きれなくなってしまう。わたしが経験した、人間関係のある事件も、ある意味で肉体的ではないが精神的に暴力的な経験だった。そういうものを経験して、わたしは自から井戸の底に降りていったんだと思う。そこに座って、外の空気の流れが変わるのを待つとうと思ったのか、または、意味など全くわからないけど、とりあえずそうしてみるしかないように。

または暴力というのは、あるものごとを新しく築くためには必要な「起爆力」なのかもしれない。



人間関係・・・、ある事件をきっかけに、わたしはある身近なグループから丸ごと遠ざかりました。それをすることによって自分はものすごく損をしたし、ある特定の人たちを嫌うことによってものすごく立場の悪い思いをし、現在の彼との関係も犠牲にしてきました。髪も抜けたし神経的にもおかしくなったし、良いことなどまるで何一つなかった。

でも・・・、もし過去に戻れるとしても自分がとった道と同じ選択をしたはず。



小説の中では井戸の底で主人公があるとき突然「壁抜け」をしますね。井戸の壁が、まるで通り抜けられて「別な世界」にいけるようなものに見えるのです。そして手をかざしてみると、なんと壁がふにゃふにゃで通り抜けられちゃうんです。この「壁抜け」は、とても大事なことを意味しているように思います。人間の深層心理かもしれませんし、このことについては「村上春樹、河合隼雄に会いに行く」で二人が話しているのも読みましたが、作者もその解釈は読者にまかせているような気がします。と、いうのも「壁抜け」はそれを経験する一人ひとりによって解釈や意味づけが違うような気がするのです。


わたしは、最近この「壁抜け」をしたような気がします。
上記にあげた本の中で、河合隼雄は「壁抜けは相当な力が入って命づくでやらないとできないし意味ない」と言っていますが、わたしは相当命づくでやりました。ヘトヘトです。体力も回復していません。でも、今、ここに別世界があるような気がするのです。別世界は見かけ上、元の世界と変わりありません。人も変わってないし、何度も引っ越そうとしたこの島にもいまだ住んでいるし、何度も別れようとした彼とも一緒です。



この二ヶ月の間にいろいろな変化がありました。まず、彼が国に帰ってここにいないこと、わたしも親しかった彼のお母さんが亡くなったこと、イースター休暇には10日間わたしもカナダに行き、彼と彼の家族とお母さんの「送別会」(お葬式は亡くなった本人が陰気臭い葬式が嫌いなためしなかった)を一緒に行った、ドライブで彼と二人で小旅行にもいった(これはよい息抜きになった)、わたしも長年の付き合いがある彼の家族や親戚や家族ぐるみの友達と時間を過ごせた、お母さんのマンションを売って、今彼とカナダに家を買う計画がある、などなどフィジカルな変化やできごとが沢山ありました。すべてポジティブなハッピーなことばかりです。カナダに引っ越す話も何度かしました。それは「氷河期の終わり」のような気さえします。

でも「壁抜け」と「氷河期の終わり」は基本的に何かが違うと思う。
「壁抜け」は、自分の次元的に違う意識への到達のような気がする。「氷河期の終わり」は、あくまで自分の周りの変化である。





自分の「壁抜け」経験をここで一言で語るのは無理がある。これは、追ってじょじょに書いてみたいと思う。といっても次にどんなことが出てくるかわからない。でもどんなことが出てきても、「あんなにしんどい」ことはないと思う。自分にはそれ以来、今までに持ち合わせていなかった「何か」を身につけたような気がするから。



PS:今は髪も、だんだん生えてきて、今では前からみたらただのショートカットにみえます。後ろはまだ少し薄いのですが。あと少し!

(^-^)