ストレス原因髪脱毛再生ブログ

2008年から始まった2回の脱毛後かつらを購入。2010年11月末、ついにかつらを取り元の自分の髪を取り戻す。(^-^)

香山リカの「しがみつかない生き方」を読んで

2009年12月26日 | 日記
日本に2週間出張している間、随分テレビをみた。普段住んでいる現地ではテレビを全く見ないため、本当に随分見た気がする。こっちにいる日本人の友達二人とおととい私の再就職祝いを兼ねて食事をした、その時に彼らも同じことを言っていた、「とくにモーニングショーがすごいんだよね!ホテルから出なきゃいけない時間だっていうのについつい見入っちゃう!」と。

その時に、勝間和代という人を知った。その人の成功本を紹介している番組で、彼女自身にはなんの興味も持たなかったが、同時に紹介されていた香山リカの「しがみつかない生き方」という本の中の一章に「勝間和代を目指さない」という章があって、香山リカが相変わらずそういったアンチ・トレンドな意見を出しているのを知って逆にそっちに興味を持った。

23日にこちら現地の本屋さんで香山リカ著の「しがみつかない生き方」と「雅子さまと「新型うつ」」の二冊を買って読んでいた。

アンチ・トレンドと書いたが、本当のトレンドはいったいどっちなのか、日本を11年以上も離れているわたしにはわからない。でも今の日本に必要なのは香山リカの本ではないかと思う。欧米発個人利己主義・成果能力主義に疲れた人たちは日本の30代で多いと思う。わたしもその一人だと思う。





中学の時からに欧米留学に憧れて英語を必死で勉強し、今ではネイティブにまでネイティブといわれるほどになった。親の反対で留学は泣く泣く断念、その後かなり反社会的になったがなんとか短大は卒業してブラブラしているところにこちら現地で働かないかとの誘いの声に二つ返事してからもう11年半、人生の3分の1がこちらで過ぎてしまった。4年前には7年勤めた日系の会社を辞め、理工系で大学復学。今年の最終試験を終えたのと同時に再就職活動を始め2ヶ月で現在の欧米系化学薬品会社に就職。わたしの担当は中国全土にいる日系顧客のアカウントマネージャー及びビジネス開発だ。北京語もビジネスレベルにはまだ到達しないが話す。

ここまで書くと、人生に満足して充実しているような気がするし客観的にいってそうなのだろう、でもわたしの人生でつまづいたのは、実は仕事でも復学でもキャリアでもなく全くの私生活でだった。これはあまりにも思いがけないことだった。そのおかげで今は2回目の髪脱毛経験を経てかつらをかぶる毎日である。





わたしは私生活に「しがみついて」いた。私生活にしがみつかない人などいるのか?って感じだが、香山リカの本によると仕事以外にも恋愛や子供などなんでもいいが何かにしがみつくと危ないそうだ。わたしの場合、私生活の「社交」で自己実現をしようとしがみついていた。当然、そういう他人行儀なものは、他人に左右されやすい、それどころか、常に他人を見張っていなければならない。誰々がどうしてこうなった、自分の思い通りにいかないのは誰々がこうしたからだ・・、等。詳しくはわたしの以前の記事、「髪が2度も抜けるほどのストレスの起因」「女同士の喧嘩」を読んでいただければ分かると思う。


わたしの私生活では周りには欧米人が多い。欧米人の中にもアジア的な欧米人がいるがわたしの周りには欧米的欧米人が多かった。つまり個人・利己主義をそのまま生きている人たちである。そのせいか、社交にしがみつくタイプが多かった。20人強の「仲良し」グループを同じグループ内にいるライバルの手からいかに自分の思う通りにしようといつも作戦でいっぱいだった。「だった」と過去形だが、自分がそのグループから手をひいただけで彼らは今でも毎日続いている。

詳しくは以前の記事でさんざん書いたのでここでは書かないが、その中に目立ちたがり屋で仕切ることが生きがいの波乱万丈好きなオーストラリア出身の45歳のJがいる。その横には18歳からアルコール依存症で男と寝ることしか頭にない性格の悪い破滅人生ましぐらのアメリカ人の41歳のPがいる。二人には大学生の子供がそれぞれいるが子供の父親とはとうの昔に別れている。その二人と仲が良いのは中華系カナダ人の仕切り屋の女の子で37歳のS。彼女は自分が主催するパーティーに人を呼ぶことにしか興味ない。他のライバルの女の子の主催するパーティーには目もくれないどころか、招待されても嫌がってこない。自分が中心じゃないと駄目なのだ。

他にもすごい性格のがいるが、この3人に絞ると、この3人はかなり「しがみつき」タイプだ。Jは15年も独り者のため、グループと毎日戯れることにこだわる。そのあまり、グループの「風紀」を乱す者の追い出しに執着する。Pは元々アルコール依存症、ドラッグ依存症、セックス・男依存症を経て、しまいにはグループのリーダーの妻の座を取るために、そのリーダー格の男と当時付き合っていた私の親友の嘘をばら撒き、そうしてリーダー格の男の妻の座を手にした。Sはこの二人の親友だが、この二人のように外からみて単純明確な単細胞ではないが、基本的に彼女が追いかけているのは「人気者」の座でありそのために人を使うことに何も惜しまない。ちなみにSはわたしたちの部屋の真下に住んでいるため、彼女の生活はこちらに毎日「丸聞こえ」である。

と、まあ、この3人だけでも「すごキャラ」揃いだが、他にもすごいのがウヨウヨいる。(他の人たちのことは書かない。グループの中の男たちのことも書かない、それは以前のブログを見て貰いたい。)

このグループが始まったのはわたしが25歳の頃だった。当時はもっといろんな種類の人が集まっていたが、今では「それ系」の人しか毎晩同じ近所のしけたパブに集まらなくなった。そのしけたパブは島のメインストリートに面していてそこを通らないと家に帰れないのでグループとはほぼ毎日出くわす。その中にわたしの彼を見つけると「またか」と失望する。でもわたしが29歳で以前の会社を辞め、半自宅で勉強の学生に復帰することを考えたとき、わたしの頭にあったのは、「仕事をいったん辞め、私生活を充実されるためにこのグループの社交に力を入れる」ことだった。今とはまったくの正反対で当時のグループはメンバーも違く、輝いて見えていたのだった。ところが大学に復帰する数ヶ月前に、グループの中心的にいたわたしの親友がそのリーダー格の彼氏と別れ、そこからグループは180度変わった。これも詳しくは以前の記事を読んでもらいたいが、わたしにとっては「輝く白」がいきなり「暗黒」に変わった。




香山リカの本には、同じような挫折を味わった人たちのことが書いてある。いずれも私と同じ年の30代前半だ。一例を挙げると、今まで仕事一筋でがんばってきた女性が、自分の責任範囲外の不祥事の責任を取らされて「下」の仕事に飛ばされて以来何もやる気がない、などだ。これは一人の特定の人を挙げているのではなく香山リカの診察室に来る人たちの総称した姿だという。

彼女曰く、雅子さまのウツも似たようなものなのでは、ということだ。

今のわたしにはなんとなくこのことが理解できる。





わたしにとっても「このグループで充実した私生活を!」と思ってはりきってきたのに、自分が手の届かないところで成り行きが正反対に進み、自分の思い通りにならないことから最後には髪が2度も抜けるところまで苦しみぬいた。

グループ内にいた前例の3人を初め、「それ系」の人たちのことをわたしは昔は余裕を持って「かわいそーやなあ、ま、しゃーねーか、放っておこう」くらいにしか思っていなかった。それがグループの行き先がわたしにとって「黒」になろうとし始めたとき、わたしはそれを自分にとって都合のよかった「元の状態に」戻そうと必死にあげきはじめたあたりから物事がわたしにとって狂ってきた。当然、人を思い通りにすることなんかできない、流れを変えることなどわたし一人の手でどうすることもできない、のにである。

仕切り屋のJは必死でグループを黒へ黒へと持っていこうとしていた。Pと親友のJは、わたしの親友とPがリーダー格の男をめぐって喧嘩をし始めた頃から、わたしの親友の追い出しにかかったのだ。わたしはそれを必死で食い止めようとした。食い止めようとしただけじゃなくて、逆にJとPを追い出そうとした。それはいってみればJとPと綱引きをしているに近い。つまり、「かわいそーやなあ、ま、しゃーねーか、放っておこう」としか昔は思えなかった性懲りもない人たちと全うに対決しようとしてしまったのである。

英語のことわざで、Be aware in fighting monster that you don’t become the one(怪物退治には気をつけろ、自分が怪物になってしまわないように!)というのがあるが、わたしはまさしく、怪物退治に没頭するがあまりに、自分が彼女らと同じ怪物そのものになってしまっていたのである。

そして気がついた2年前には9年一緒にいる彼との仲も、ほぼ壊れかけている状態になっていた。髪も2回抜けてすっかりハゲの手前にまでなった。自律神経もおかしくなり、なんでもないことで心臓がバクバクしてくるし、ウツっぽくなり何をしていても、「その連中とグループ」のことしか考えられなくなってしまっていた。そんな状態が2年も続いた。

なにせ自分はこのグループから手を引こうとしているのにわたしの彼がその正反対の行動ばかり取る。なので彼氏と別れてこの島を出ればこのグループから離れる事ができる、と考え始めたのは1年前だ。それ以来、このブログでも書いてきたが、彼と別れることばかり考えていた。前回の記事では部屋を探し始めた、と書いた。グループから離れた女友達は皆そうしている。今では結婚して子供も持って幸せに暮らしている。だから彼女らはわたしに同じことを言う。「連中と関わらなくてすむ」ことのすばらしさ、私も彼女らに見習って早くこの島を出るべきだ、と。

でもわたしにはうすうす気づいたいたことがある。それは、わたし自身が変わらないことには次回も同じようなことで挫折をしては同じような精神状態に入るのではないか、と。

それが香山リカの2冊の本を読んでなんとなく気づいた。





わたしは「社交」に「この島でグループと充実した生活を送ることに」固執しすぎていたのだ、ちょうど上にあげたJと同じように。Jは誰の目から見ても不幸である。躁うつ病じゃないかというくらい気分の上下が激しく、上のときは大げさに笑い続け愉快い遺脱した行為を繰り返す。気分が下の時は、人前でおお泣きしている。この二つのスイッチしかないそうだ。カウンセリングにも長年通って自分でもカウンセリングを勉強して人のおせっかいをしている。彼女の不幸の原因の大元がどこからきているか私にはわかりようもないが、一部だけ分かっているとすれば、それはグループがいつも自分の思い通りにだけいかないことに対する憤りである。グループが自分の思い通りにいっている時は異常にハッピーで、いかない時はいかない期間中ムスッととしているだけでなく、その次の日にはワザワザ人前にきてワンワン泣いて同情をもらっている。20人もの人をコントロールしようとするあまり、それが上手く行っている一瞬だけハッピーになれるという人生を送っている。ちなみにJは高校の演劇の先生で、学校では子供は先生の言うことを聞くものなので充実した仕事生活を送っているらしい。

Jのことをかわいそうな人と思いつつも、自分も同じになってしまったのではないか、と思う。4年前に会社を辞めるとき、「この島で、このグループと充実な日々を!」などの夢みてしまったのが仇(あだ)になってしまった。





そこから最近じょじょに回復しつつある。それは2ヶ月前に始めた仕事がきっかけだ。出張も多く、新しい出会いも出来事も沢山あり、わたしはじょじょにこの2年間の蔓延したウツから出かけている。





香山リカの本には仕事やキャリアに固執するあまり、そこで挫折してウツになった人たちのことが書かれているが、なにも挫折は仕事じゃなくてもありだと思う。わたしのような例もいると思う。仕事だろうが「グループ」だろうが、何かに固執してしがみついていれば誰にでも起こる悲劇だと思う。

でも、こんな悲劇なんて誰にでもいつでも起こりえる。そこでその挫折がわたしのように髪が抜けるまたはウツになるほどまでのストレスになる人とならない人の差が出るのは、その人がどれくらい「目標思考型」かどうかなのではないかと思う。わたしはかなりの目標思考型だ。でもその割には(というかだからこそ?)目標が挫折した時の対策法をまったく持っていない。自分が挫折することを考慮してないのだ。だから挫折するとたちまちこうなる、というのが今回のことでわかった。だから彼と別れてもこの島から出ても「わたし自身が何か変わらないことには、次回も同じようなことで挫折をしては同じような精神状態に入るのではないか」という思いは消えない。




今回の挫折で思い出した一人の友達がいる。高校のときからの親友で、彼女はわたしの憧れだ。なぜかというと、わたしがいつもがんばりすぎて疲れたとき、彼女のアンニュイさに助けられる。今回も日本で久しぶりにあった。久しぶりにあった彼女は離婚していた。そして以前勤めていたラジオのパーソナリティーも辞め、デザイン会社で事務をしながら夜は居酒屋でバイトをしていた。相変わらずネットワークが広く、相変わらず芸術三昧な人だ。わたしは彼女の価値観に高校生の時救われた。親に留学を反対されて自暴自棄になっていたときだ。彼女に出会ったあとソニックユースばかり聞いていた。「世の中くそ食らえ」的な反抗を辞めて、アンニュイなお宅的反抗というのがある、わたしはその世界にはまっていった。つまりサブカルになっていったのだ、それがわたしの学生時代だ。

あれから半人生たった今、同じ「挫折感」を味わった後の今、学生の時と同じ方向に自分が流れようとしているのが見える。例の「グループ」が、人気取りのグループでかなりメジャー路線をいくものだとすれば、わたしはサブカルのアンニュイ路線、と。

それでよいんじゃないかと思う。

でも一度でも自分が「目指した」人たちが今でもワイワイやっているのを目の前で見せられ続けるのはよい気がしない。いっそのこと彼らが皆不幸になってくれればどんなにせいぜいするか、どんなに「ほれ、わたしの言った通りじゃない」的に自己満足できるのに。でも世の中そうじゃないからこそ、目標思考で生きてきた人間は他人より酷い挫折感を味わうのだ。わたしがよい一例だ。





今回のことで、30代は20代のようには行かないことがよく分かった。これは良い学びだ。何かを学んだから、それを踏み台に次はより高いところに飛べる訳でもないし、飛びたいという意欲もあまり沸かなくなった。それでよいんだと思う。勝間和代をわたしは知らないが(本も読んだことないが)、つまる所わたしは勝間和代的に生きてきたと思う。すべてを次の土台に、そして次は必ず成功に、と思ってきた。それって・・・、すごく疲れる生き方だ。髪もすっかり抜けてしまった。20代の頃はそれでもよかった。上昇することだけ考えて生きてこられた。30代になったら下降することも考え始めたほうがよい。なぜなら必ず下降するのだから、体力的にも精神的にもキャリア目指す的にも私生活を充実させる的にも。それが30代でくるか40代でくるかはたまた70代でくるかは運に関わっていると思う、その人の努力じゃない。

下降し始めたとき、踏ん張って上昇しようとすればするほどきっと私のように精神をすり減らすだけだと思う。上にあげたJのように慢性精神不安定常態に、またはPのような破滅人生まっしぐらになるだろう。またはSはまだまだ下降の神様が訪れてはいないが、Sにもいつか訪れるだろう。ちなみにSは37歳にして7年前から白髪だらけだ。それを染めていつも隠している。聞くと「ストレスよ」というが、華やかにみえる人気者の充実したSの生活は白髪だらけになるようなストレス蔓延の生活にも精神状態にも他人の目からは見えない。

人生の落とし穴にはまった時、自分のこだわり続けるものが突然思い通りに行かなくなったとき、それににしがみつけばつくほど不幸になるんだな、と思った。わたしはもっと肩の力を抜いて、現状にまず満足して生きていきたいと思う。




「もっと自分は行けるはずだ、こんなハズじゃなかった」的な考えはもう要らないと思える。