jr大久保駅前楽楽食堂「旧ラーメンカムイ」

大久保駅ホームから見える40年続く昔ながらの屋体の味のラーメン店
カムイから楽楽食堂を引き継いでいまも経営しています

ラーメン店主の柔道日記

2017-12-04 09:33:52 | 日記

2014年の10月柔軟体操の積りで柔道クラブを訪れ、週一回、三歳の子供達から高校生、師範の大人計約三十人に混じって、練習する事になりました、柔道着は約40年間部屋に吊るしていた年代物で黄ばみ、洗ってもとれず、今更新しい道着を買う気にならず、孫の学校のを着ようと思ったが65歳の中年太りには小さすぎ、ましてや続けられるかどうかの危惧もあり、黄ばんだ柔道着は自分の現役時代に試合で着た道着で愛着もあり、着たかった。初稽古の日、師範に挨拶、子供たち一人一人から挨拶され、その礼儀正しさに柔道をする意義を感じさせられた。

子供達に付いていくのがやっとだ、前回り受身では目眩がし、打ち込み30本で息が上がり休憩、師範から「無理をしないで体を慣らして」と言って貰い、怪我だけはしないようにと思っていたが、乱取りが始まると闘争本能がむくむくと、体の小さい中学生相手に三本、一本背負い、巴投げから寝技、自分でもびっくり。65歳になって畳の上で柔道が出来るなんて思いもしなかった。昔を懐かしむのではなく、体を動かす、こんな素晴らしい事はない。日曜日は小学生が主体で準備運動に30分、子供達は飛んだり跳ねたり体が軽い、これがハードでついていけない。受身するだけで次の日から筋肉痛だ。

一週間に一度の稽古は筋肉の痛みが治るのに良いペースかも、分かっていてもつい頑張りすぎて本気で大きい中学生と乱取りし、肩の筋肉に痛みが走り止めた。まだ投げられる事はない。初段位の実力は有ると自負。今はまだ子供たちに教えるより体を慣らす事が主で、投げられてやる事が怖い。ムチ打ちになる様で。子供達と柔道するとこんな楽しい事はないと実感。

当初は子供達と乱取りをしても足技しか掛けられない、得意の一本背負いを掛けられる様になったのは1ヶ月程してからだ。打ち込みを十分して、腰を回転出来る様になり、相手が子供だと言え、空中に投げた、その時相手を離してしまい、師範の先生から「手を離さないように」と注意される始末。腰がきちっと曲がらないので、畳に打ち付ける事が出来ず、手を離してしまう。硬くなった体の柔軟性は直ぐには戻らない、しかし66歳で一本背負いが出来るなんて、自分でも予想以上だ。しかし寝技は出来るだろうと思っていたが、高校生でも負けないと思い、やったら流石に力が強い。足を使って返そうとして内股の筋肉を痛めた、寝技ならテクニックで怪我はしないだろうと思っていたが、高校生が相手だと本気で力を入れなければならないので、筋肉を痛めてしまう。40年も筋肉を使っていないのだから、痛めて当然だ、完全に痛めてしまったら柔道は出来なくなる。一寸でも痛めたと思ったら、止める。そうして一週間の内に直す。毎朝の散歩で膝の筋肉をほぐし、肩を回し、腕立て伏せを20回、目的のある散歩は楽しい。こうして半年が過ぎた、75歳までは子供達と畳の上で乱取りがしたい。目標ができた

自分の黄ばんだ柔道着はみんなから異様に思われているらしい、みんなの柔道着は真っ白でよく洗濯しているみたいだ。「えらく汚れているね、洗濯しているの、漂白したら」と言われる始末で、学生時代にやっていた頃は、柔道はバンカラの代名詞みたいな物で汚れているのが自慢で、汗臭くなるまで洗濯しなかったように思うが、今は清潔第一で時代の経過に思い知らされ。その後二度漂白をしたら、少しは黄ばみは取れたが、まだまだ柔道着だけは他の師範を圧倒している。縫い付けられた学生時代の校名を上から布を当ててかくしている事もあって、「新しいのを買ったら」と言われたが「これは現役時代に使っていた物だから」と言った。それは私にとって青春そのものだから、人は思い出だけで青春を振り返るが。私は再び青春しようとしている。この黄ばんだ柔道着があったから再び柔道しようという気になった。

先日の練習で初段の中学三年生と乱取りして肩の筋肉がピリっとして脱臼しそうになり、痛くて力が入らなくなった。肩が抜けたという感じだ、これは時間が掛かるかも、彼は強いので本気で投げようとした、自分のイメージとは違って、筋力が衰えている。二十歳の自分とは違う事を思い知らされる日々だ、それでも本気で負けたくないとついつい力が入る。高校生と本気で勝負出来る様になるのが目標だ。その為にも怪我をしない事。

2015年8月 土曜日には休まず練習に参加して、少しづつ身体も慣れてきて、単に練習するだけでは物足りなく、自分の持っている知識や技術を教えたい欲求が湧いてきた。TOUTUBEで柔道のビデオを見ていると、現役時代に知らなかった事を教えられ、柔道の基本を子供達に教えたい欲求に駆られ、自分の柔道歴を披露して一番大切な事は何だとか言いたい気持ちになるが、まだ数か月の初段の門下生、多くの先輩師範を差し置いて言う事は出来ない、しかし日々子供達と柔道している内に教えたい病にとらわれ、今ならオリンピック選手も育てられるんではないかと思い込んでしまう。

、オリンピック選手の松岡選手を育てた大学の先輩がいる、自分も出来るのではないかと夢想したくなる。この年でこんな夢を抱かせる、素晴らしいではないか。

 8月28日 強い選手を育てる前に安全でなければならない。安全については先生方は細心の注意を払っている、準備体操から首の補強、バランス感覚、あらゆる受け身、寝技の補強運動。もしもの事があってはならない、先日ヒヤッとした、中学生と乱取りして一本背負いで投げたら畳から外に飛び越えて板の上に投げてしまい、足を強く打撲させてしまった。余裕が無いのに無理をしてしまった。ついついこの年で強くなろうとして無理な技を掛けてしまった。40年のブランクは安全にも鈍感になっている。

29日 試合に勝つ為には寝技が強くなければならない、山下も岡野も寝技が強かった。立ち技から寝技への連続、逆に井上康生はきれいな一本にこだわった、重量級の世界で戦うには体力差が有り過ぎた。一般の選手にしても立ち技を思い切って掛けるには寝技になっても絶対に抑えられないという自信が大事だ、抑えられない為には下になっても亀にならず、足を使って相手を返す、足を自由自在に使いこなせるか、それが寝技の自信だ。私は毎日そんな練習ばかりしていた。しかし40年前とはルールが変わった、寝技は直ぐ立てが宣告される。昔は寝技になったら相手の足を殺して肩を決めてから足を抜いて抑え込みに入る、今は10秒ぐらいで立たされる。だから立ち技から倒したら直ぐ抑え込む。その瞬間の練習が大事だ、それは逃げる場合も倒れたら瞬間に脇を締め、足を使い相手を寝技に引き込み、返す、その意識が大事だ、しかし残念ながら、立ち技の乱取りの時は投げても投げられても、そこでストップ,直ぐ立たせている、事故が怖いからだ。寝技している組に投げられて圧し掛かってきたら危険だ。確かにそこに留意しなければならない。しかし私は思う、昔の様にゆっくり寝技で勝負できないなら投げた瞬間に直ぐ抑え込みに入る、その感性、瞬発力が子供の時から養われるのが一番大事だ.立ち技と寝技を別々に練習するのは感性が磨かれないのではないか。更に世界の柔道を見ていても、その瞬間に絞め技、関節技を多用し、それから抑え込みに変化して行く、子供の時からこれを身に付ければオリンピック選手も夢ではない。 

 30日 明石市市民柔道大会 柔道会場に足を運ぶのは40年ぶりだ、主に中学生の試合を見た、同じクラブの中学生も出ていて、自分と乱取りしても結構強いと感じていたが、ほとんど二回戦迄で負けてしまった、私が関心したのは二見中学と望海中学の選手は身体も大きいし、立ち技しっかり引き付けて投げに入る、何より思いっきりが良い、そして倒した瞬間に寝技に行く、唯覆い被さるのではなく、腕をとり肩を決めて抑え込む、亀になった相手には瞬時に三角締めや腕を取って返そうとし、躊躇がない、私が大学に入ってから覚えた技術を既に中学の段階で身に付けている、巴投げを多用する選手もいた、そこから足を使って返して抑え込む選手も見かけた。彼らは寝技になっては絶対に抑えられないという自信に満ち溢れ、思いっきり技を掛けている、確かに彼らの中から天理大学等の有力大学に進み、オリンピックに出場する選手が出るかも知れない。今のクラブの小学低学年の子供たちにそんな柔道を教えられないものか。立ち技から寝技への瞬時の移行、日々の練習でしか養われない。

 9月8日遂にyoutubeから取り込んだ柔道のビデオをレコーダーで再現する事に成功、道場に持ち込んで子供達に見せて、教える事が出来る、言葉で説明しても中々理解できない、映像で、基本を教える事が出来る。高校大学と八年間柔道したが、自分はどの位のランクに居たのだろうか。

オリンピック選手を超一流、全日本選手権出場選手を一流、社会人大会出場選手を二流、大学等の一般の柔道選手を三流とすれば、私は三流の上か、しかし三流の上に成れたのは寝技の御かげ。今コミセンで柔道する子供はほとんどが普通の子供、特別な運動神経の子供だけが、二流一流になれる。しかし私は高校から始め、八年間しかしていないのにそれなりの成績を残せた。ほとんどが最後に寝技で抑える。そして弱いグループながらトップに成れた。今子供たちは後何年柔道するだろう。高校までとしても10年近く。今から寝技を鍛え、立ち技に自信を持ち、試合に勝つ喜びを覚えたら、そこそこの選手に成れるだろう、トップ選手でも寝技が土台、この土台を子供の内に修得すれば、未来が開ける。 

9月15日 子供達に柔道を教えたい気持ちが強くなり、全柔連に登録するのに、さて自分は講道館に何段として登録されているのだろうと不安になった、それは43年前、確かに四段の昇段試験に合格して申請したのに、証書が届かない、大学の師範に問い合わせてもらったら、三段の証書を貰っていないから、正式の四段には成れない、即手続きするようにと手紙を頂いた、しかし当時は大学を卒業し、教師に成りたてで余裕が無く、そのままにしておいた、まさか後に柔道するとは思わず、何段でも良いやと自称四段と人には言っていた。今回の事で講道館に問い合わせたら、昭和47年6月8日に四段に登録されているとの言葉に涙がこぼれて来て、ありがとうありがとうと嗚咽しながら言っていた、手紙を頂いた大学の師範が手を尽くして手続きして呉れたのだと直ぐに理解し、再び涙にくれた、そして今日、その四段の証書が届いた、43年間の自称四段からやっと卒業。まさにそれは卒業証書に見えた。

 

 9月28日 母校の柔道部の練習に行ってきました。40数年前に鍛錬した畳の上で現役の部員と乱取りした。相手は新入生の白帯にも拘らず、最初は巴から寝技で抑え込む所まで行ったのですが、流石に二十歳の大学生、日々練習している、体幹が強く逃げられ.その後は払い腰を三本投げられ、こんなに弱かったかと思った。その後、全部員の前で寝技の講習、現役時代を思い出した。この大学の柔道場は有形文化財に登録されていて、昔の面影そのままで、往年の学生達が切磋琢磨してきた道場で今も稽古出来る幸せを感じざるを得ない。

10月25日 母校が一年で一番大事な対抗試合を一か月後に控えて、みんな活気に満ち、気迫の籠った稽古、一年生部員の必死に稽古しどうにかして勝たなければならない思いが伝わって来て、新人部員の純粋さに感動させられた、小さな身体で寝技の稽古で痛めた耳の傷を包帯で巻いて、必死に大きな身体の先輩に向かって行く気迫にあんなものが自分に有ったのかと思い返えさせられた。寝技の技術はまだまだだけど、彼等なら四年間で素晴らしい選手になるだろうと確信した。

11月23日 伝統の三大学の対抗試合に行って来ました。母校は東京の大学に完敗。OB戦が行われ五人目に出場しました。相手は35歳の同じ位の体格の人で、そんなに強そうではなく安心していました。試合前に年いった者同士お手柔らかにと挨拶し、緊張もなく畳に上がりました、44年振りに試合する、流石に相手も母校の名誉の為、真剣です30歳若い相手は思っていた以上に力が強かった。引手を取られて、動けない、足技、背負いを掛けて来たが、捌いた。これなら投げられないと思うと余裕を感じ、楽しもうと思うが、こっちも技が掛けられない、中学生とは力が違う。巴や関節から寝技に行けるが、自信が無い。上から寝技で攻めようと、相手の後ろ帯を取って浮技を掛け、決まったと思ったが相手に優勢が上がった。その後相手が亀になり、腕を取って帯返しに行こうとするが相手も脇を締めて不十分、見せ場もなく終わったが。堂々と戦う姿勢を見せられたと思う。次は勝ちに行く気持ちを後輩達に見せられたらと思う。

16年8月24日 リオオリンピックで柔道は大活躍した、何故それだけ勝つ事が出来たのか、前回のベルリンで惨敗した反省から井上監督は世界の柔道の現実を分析し、日本伝統の一本取る美しい柔道、間合いを取って、相手を崩しスピードとタイミングで投げる柔道に相撲とレスリングの密着して投げる技も取り入て、外国選手に力負けしない、その為には体幹を鍛え、密着技から寝技で決める。金メダルを取った大野もベイカーもそしてリネールと互角に戦った原沢も体幹の強さで負けていなかった、その上に柔道本来の体捌きによる一本の柔道がこの素晴らしい成績になったと思う、子供達に教えたい、伝統の柔道に世界のjudoを取り入れた事が勝因だ、それは立ち技と寝技がつながった技の連絡、ぜひ子供達の稽古にも意識しても取り入れて欲しい。

 17年11月17日 先日神戸市実業団柔道大会にマスターズの部で出場しました。23歳で引退してから45年ぶりの公式戦です。この試合に向け、衣川柔道クラブで大人達とも段取りして、68歳としてはそこそこやれると、少し自信を持って挑みました、しかしスタミナが持たない、せいぜい2分が限度だ。到底立ち技では勝てない、寝技で勝負するしかない、練習でも大きな相手に上から圧し掛かられると足が使えず。逃げられない、試合に挑む興奮は何よりうれしい。試合用の柔道着を新調し、ゼッケンをつけ、全柔連に登録し出来れば5段を取りたいと思った、結果は三戦して三敗、全く歯が立たないということはないが、身体が大きく、押されて技が掛けられない。巴投げにいった所を抑え込まれた、相手は40過ぎのバリバリ、68歳の自分との年齢差は関係ない、実力の勝負に負けた。この年で実力の試合が出来る喜び、しかし柔道も押し込まれたら、技が掛けられない、そして一瞬の感性が衰えたら負ける事を痛感した。子供達には「押せ、感性を磨け」と言い続けたい、来週は母校の対抗試合で東京に行き、OB 戦出るつもりです、

11月23日、早朝の新幹線で東京、国立市の大学との対抗試合に行って来ました。現役の大学生は良く健闘して勝つ事が出来、私も気持ちよくOB戦に出場しました、相手は40歳前後のがっしりした体格、力も強く、引き回され、技を掛ける事が出来ない、この試合が真剣勝負としては最後と思い、負けても良いから積極的に技を掛け、後輩達に攻める柔道を見せたいと思っていたが、足技二度と飛び上がり十字関節を掛けたが、難なく外され、寝技で攻め立てられたが、足を使い軽く捌いた、それが唯一の見せ場だった、後は組手の勝負に終始して終わった、68歳で真剣勝負が出来た喜びは、見ていたOB達も感激してくれたようだ、思えば45年前この国立の道場でわが大学は完敗した、その悔しさを現役達は晴らしてくれ、私も思いっ切り柔道が出来た、健康に感謝するばかりです、これからは子供達に柔道の基本を教えて行きたい、そして大学で柔道する選手を育てたいと思う。