3月4~9日まで沖縄へ、果物の視察に行ってきました。
暖かいだろうと思って、着替えは半袖のポロシャツを数枚持っていったのですが、以外に風が冷たくて寒かったですね。
結局半袖のものは一度も着ることなく、最初に着て行った長袖のポロシャツに、薄いジャンパーで4日間を過ごす羽目になりました。
其れはさておいて、最初に訪れたのが沖縄中央青果でした。
早朝5時に起床して、車で約15分くらいで到着。
早速、セリ前のセリ場に行ってみました。
季節柄、「桶柑」(タンカン)が多かったですね。
桶柑は、中国広東省が原産地の柑橘ですが、行商人が木桶で持ち歩いて売っていたことからこの名前が付いたとか。
あまり大きくは無いですが形は丸く、外観はキメが粗くスレ傷が多いので一見すると美味しくなさそうなんですが、甘い果汁がたっぷりで中袋と果肉は柔らかくオレンジに似た芳香があり、地元沖縄や九州南部では人気の高い柑橘です。
ほかには、近年注目され始めた「アテモヤ」や「パッションフルーツ」(黄色の物が多かった!)「ビワ」「パパイヤ」「島バナナ」などが並んでいましたが、「ブイ」という何かわからない果物や、細長いレモンなど珍しいものもありました。
3月4~9日まで沖縄へ、果物の視察に行ってきました。
暖かいだろうと思って、着替えは半袖のポロシャツを数枚持っていったのですが、以外に風が冷たくて寒かったですね。
結局半袖のものは一度も着ることなく、最初に着て言った長袖のポロシャツに、薄いジャンパーを着たままでした。
最初に訪れたのが、パッションフルーツ園でした。
広々としたビニールハウス内には、紫系の在来品種のパッションフルーツが、紙袋をかけられてぶら下がっていました。
完熟すると袋の中に落ちるので、それを収穫するのだとか。
そのほうが味が断然良くなるとのことで、こだわって栽培されているのだなあ、と感じました。
また、ハウス内の両サイドには、軸が付いたままのパッションフルーツが、横に張った糸に洗濯ばさみでずら~っと、綺麗に留められていました。
?、???
これってなんですか?
ああ、袋掛けが間に合わずに落下したものですよ。
まだ色がきていないものが多いので、こうして日に当てると追熟しておいしくなるんですよ~。
食べて見られますか?
こちらがほぼ追熟が完了したものですが、どうですか?
へえ~、色は紫色になってますが、まだ皺がよっていないのにおいしいですね!
おまけにジューシーで中身がぎっしり詰まっていますね!
こちらは、まだ未熟で色が来ていない物ですが、食べて見られますか?
ええ、是非!
うわっ、これは不味い!
酸っぱくてえぐみというか渋みがあって、おまけに青臭い!
とてもじゃないが、食べれたものではありませんね。
こんなに違うんですね~、いや~、勉強になりました!
教訓
パッションフルーツは、完熟した物、もしくは完熟に近いものが断然美味しい!
もう二十年以上前のことですが、テレビ局から電話があって、「印度リンゴ」を探してほしい、と言うのです。
当時、印度リンゴを見なくなって十数年にはなっていたと思うのですが、結局市場へ頼んで探し回ってもらったことがありました。
結局、あるリンゴ農家に一本だけ樹が残っていて、送ってもらったことがありました。
印度リンゴは、インドとはまったく関係がなく、青森県で発見されたリンゴです。
国光や紅玉が主力であった時代、酸味のあるそれらのリンゴと比べて、酸味がほとんどない甘い果汁と特有の芳香、緑色の地肌にピンク色がまだらにさす果皮が珍しがられて、一時は高級リンゴとして扱われていたことがあったのです。
残念ながら、ふじが台頭してくると、硬すぎて果汁が少なくぼそぼそとした食感が嫌われて市場から全く姿を消しました。
でも、交配親として、「王林」や「陸奥」を世に出しています。
「ふじ」が果物屋にとって救世主であったのは、それだけはありませんでした。
「ふじ」を交配親として、さまざまな品種が創られたのです。
一般によく知られている品種だけでも、
実がしまって甘くて美味しい「ぐんま名月(あかぎ×ふじ)」
小玉で美味しく屋台でリンゴ飴によく使われている「アルプス乙女 (ふじ×紅玉)」
晩生で果肉がカリカリして甘く果皮が黄色い「あおり15(星の金貨)(ふじ×青り3号)」
シナノ三兄弟の中で最も人気のある「シナノスイート (ふじ×つがる)」
甘いが実がかなり硬い「千秋 (東光×ふじ)」
さわやかな美味しさの「北斗 (ふじ×陸奥)」等々、
枚挙に暇がありません。
現在のリンゴ品種の多様さは「ふじ」のおかげでもあるのです。
果物屋にとって、「ふじ」は冬の主力品種として無くてはならないものにまでなったのです。
それまでは、みかんが主力の座を占めていたのですが、みかんだけでは売り上げが限界に来ていました。
そんな時に登場した「ふじ」は、まさに救世主という感じでしたですねえ。
しかも日持ちがよいので、春になっても売れるのですから、これほどありがたいものはありませんでした。
春から初夏にかけては、売るものが無くて、長期貯蔵のみかんでさえも4月頃には痛みがひどくて、毎日取り除いても追いつかず、一日に2,3回は調べなければならないほどほどでしたですねえ。
ふじが出るまでは、4-6月頃にかけて果物屋が売るものといえば、長期貯蔵のミカン、萩の夏ミカン、イチゴ、国光、台湾バナナくらいだったかな?
ああ、そうそう、6月に出回る地物のすももがありましたねえ。
サンタローザ(三太郎とも呼んでいた)やソルダムでした。
でも、スモモや夏ミカンは、梅雨時に出回るのでよく腐っていましたよ、まだハウス栽培が始まっていなかったですからね。
「ふじ」の欠点であった見映えの悪さも、選定・摘果・施肥、いらない葉をとる摘葉、反射材を地面に敷いて果実の着色を促す等の技術の発達や、新しい殺菌や殺虫剤等開発と施用技術開発だけでなく、着色の良い品種の開発などで、現在のような大きくて見映えのよい美味しい「ふじ」ができるようになったのです。
また、炭酸ガスや窒素ガスを使って氷温で貯蔵する冷蔵技術(CA貯蔵)の開発、コールドチェーンの発達、段ボール箱や発泡スチロール箱などの梱包材発などで、7月頃まで美味しい「ふじ」食べれるようになったのは、有難い限りでした。