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洛陽48地蔵

2019-02-24 19:20:30 | 京都案内

洛陽48地蔵
 
1.縄目地蔵 壬生寺 坊城綾小路下る西
2.水那上地蔵みながみ 光林寺 綾小路大宮西入る
3.雀森地蔵 桶取おけとり地蔵 更雀寺静原市原町
4.養老地蔵 悟真寺 太秦東蜂岡町
5.万人購地蔵 休務寺 綾小路大宮西入る
6.延命地蔵 休務寺 錦小路大宮西入る
7.幸地蔵 昌福寺 智恵光院下立売
8.福見返地蔵 勝厳寺 下立売千本西入る
9.妻取地蔵 祐正寺 下立売七本松東入る
10.腹帯地蔵 報土寺 仁和寺街道六軒町西入る
11.跡追地蔵 超円寺上・御前一条下る西側
12.昆陽野地蔵 鍬形くわがた地蔵 地蔵院 大将軍川端町
13.玉体ぎょくたい地蔵 清和院 七本松一条上る東
14.浄土引接(摂)いんじょう地蔵 浄福寺一条上る西
15.六臂ろっぴ地蔵 智恵光院一条上る 西
16.釘抜地蔵 石像寺 千本上立売上る東
17.天神同体地蔵 上品蓮台寺 千本鞍馬口上る
18.逆川地蔵 歯痛地蔵 地蔵院 千本鞍馬口上る東
19.木槿もくげ地蔵 西林寺 御霊前室町西入る北
20.土止地蔵 槌留つちとめ地蔵 西園寺 寺町鞍馬口下る東
21.王城地祭おうじょうちさい地蔵 仏陀寺寺町今出川上る東
22.水落地蔵 了蓮寺 百万遍内
23.鎌倉地蔵 真如堂南地蔵堂 浄土寺真如町
24.米野地蔵 尊勝院 粟田口三条坊町
25.衣通姫地蔵 西方寺 東大路二条西入下る
26.夢見地蔵 三福寺 東大路二条西入下る
27.袖取地蔵 檀王法林寺 三条大橋東畔
28.那落化現地蔵(生身地蔵)矢田寺 寺町三条上る
29.西院川原地蔵 誓願寺 新京極六角
30.常盤華地蔵 光明寺 新京極裏寺町
31.醒井地蔵 妙心寺 新京極裏寺町
32.弟児地蔵 常楽寺 新京極裏寺町
33.鯉地蔵 (蛸薬師堂)妙心寺 新京極蛸薬師上る
34.腹帯地蔵 西光寺 新京極蛸薬師上る
35.枕反地蔵 (立江地蔵)善長寺 新京極蛸薬師下る
36.染殿地蔵 十住心院 新京極四条
37.目疾地蔵 仲源寺 四条大和大路東入る
38.鬘掛地蔵 六波羅蜜寺 松原東大路西入る
39.夢見地蔵 法観寺 東山区八坂町
40.身代地蔵 正法寺 清閑寺霊山町
41.勝軍地蔵 清水寺 清水一丁目
42.玉章地蔵 退耕庵 本町十五丁目
43.獅子地蔵 専定寺 正面本町東入る
44.乳房地蔵 福田寺 六条河原町西入る
45.駒止地蔵 蓮光寺 下・富小路六条上る
46.手引地蔵(安産地蔵)極楽寺 下・富小路五条下る
47.来迎地蔵 新善光寺 下・富小路五条下る
48.泥付地蔵 本覚寺 下・富小路五条下る
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京都の史蹟

2019-02-24 19:17:08 | 京都案内
      京都の史蹟
 
◎上京区
紫野斎院址 むらさきののさい 櫟谷七七野いちいだにななの神社。安産。野宮ののみや
後藤長乗邸址 ちょうじょうてい 刀剣金具の彫刻家。擁翠園ようすいえん茶屋・角倉・後藤京都三長者
尾形光琳屋敷址 呉服商 雁金屋宗謙の次男。墓は 泉妙院(妙顕寺塔頭)
出雲寺址 伝教大師。御霊寺。聖観音立像。
御霊の森址 応仁の乱の発端。「なれや知るみやこは野辺の夕雲雀ひばりあがるをみても落ちるなみだは」と市民をなげかせた。
塔の壇 相国寺七重塔の土壇。その後の洛中洛外図はこの塔からの眺望を基とした。
冷泉家屋敷れいぜいけ 歌道家元。三十七畳の大広間。七夕歌会。御文庫。しとみごうしのついた衝立
藤井右門宅址 うもん 勤王の先駆者。竹内式部に入門。山縣大弐やまがただいに。明和事件。薩 摩屋敷(同志社大学)近く。
室町御所址 花の御所。上御霊神社の五所八幡宮は花の御所八幡宮を移したもの
持明院殿址 じみょういんどの藤原通基。仙堂。光照院こうしょういん(本尊釈迦如来)が移築。
本阿弥光悦京屋敷址 本阿弥ノ辻子ずし。寛永の三筆・松花堂昭乗しょうじょう・近衛信尹のぶただ光悦
飛鳥井邸址 あすかい白峯神宮。和歌・蹴鞠(まり精)藤原氏。名水・飛鳥井ノ水(潜竜社)
山名宗全邸址 そうぜん 宗全(持豊もちとよ)
観世屋敷址 かんぜ 桃園小学校。大和猿楽の結崎座ゆうざきざの太夫。藤若丸。観世水。
右近馬場址 うこんのばば 競馬くらべうま。騎射きしゃ。業平が「見ずもあらずみせもせぬ人の恋しくばあやなく今日や眺ながめ暮くらさん」
北野大茶会址 だいちゃかい三斎さんさい井戸。松向軒しょうこうけんは高桐院。東陽坊長盛の茶席は建仁寺
御土居1591年東は鴨川より西は紙屋川・北は鷹ケ峰より南は九条延長は26町(22.5 )高さは5 底辺の幅は18 出入り口7カ所。
紙屋川 禁裏きんり御用の紙を漉すいた川。薄墨紙。宿紙村しゅくしむら。
蛤御門 「1788年焼けて口あく蛤」1864年「蛤御門の戦」
猿ヶ辻 姉小路公知卿 きんともきょう尊王攘夷派が刺客に襲われ翌早暁絶命。清浄華院しょうじょうけいん
春日潜庵邸址 せんあん 久我こが。橘辻子たちばなのずし。夜咄席よばなしのせき
吟月弄月軒ぎんげつろうげつけん西行庵
富岡鉄斎邸址 てつさい京都府議会公舎 賜風書楼 しふうしょろう 。墓は大原野の是住院ぜじゅういん
皆川淇園弘道館址 きえんこうどうかん 東福門院の典医をつとめた父。
狩野元信邸址 もとのぶ 大仙院の花鳥図・霊雲院の山水花鳥図。墓は妙覚寺。
阿部晴明屋敷址 あべのせいめい 陰陽道おんようどう
戻橋 阿部晴明が橋下に鬼のような顔をした式神しきじんを封じ込めていた。
茶屋四郎次郎屋敷址 ちゃやしろうじろうち徳川幕府のお出入り呉服商
里村紹巴宅址 さとむらじょうはたく 豊臣秀吉お抱え連歌師。光秀の反意を知り自重するようすすめる
京都守護職屋敷址 京都府庁。会津藩主松平容保たかもり。
伊藤仁斎古義堂址 じんさいこぎどう堀川学派。古義学派。仁斎手植えの老松。
黒田如水邸址 にょすい 信長・秀吉に仕える。策士。
山崎闇斎邸址 あんさい 下御霊神社の垂迦社すいかに祀る。儒者で神道家。金戒光明寺に葬られる
山名長年戦没地 ながとしせんぼつち チョウ塚。南朝の忠臣。
聚楽第址 じゅらくだいのあと豊臣秀吉。出水学区松林寺の壕址・東堀町の八雲神社の「もち」の老木・梅雨ノ井
日本盲唖学校発祥地 もうあがっこうはっしょうのち待賢小学校。熊谷伝兵衛
京都所司代屋敷址 待賢小学校。京都監獄。刑務所
大極殿址 平安京大内裏址。朝堂院ちょうどういん。豊楽院ぶらくいん。内野
御殿医奥溪下屋敷址 おくたにけ侍医。下屋敷
藤原定家一條京極邸址ていか藤原俊成の子 新古今和歌集の撰者
大久保利通寓居址ぐうきょのあと有待庵(孫子の兵書から)。近衛家から薩摩藩家老へ利通へ                                     
紫式部邸址 978年頃父藤原信孝に生まれた。墓は紫野西御所田町堀川北大路下る 西側                                       
法成寺址 ほうじょうじのあと藤原道長が現在の府立文化芸術会館のところに建立。
荒神河原 こうじんがわら近衛河原1600年清荒神(護浄院)が来てから荒神河原
三本木遊郭址 さんぼんぎゆうかく丸太町橋の北で西岸に沿っての花街。
山紫水明処 さんしすいめいしょ頼山陽。水西荘(今無い)墓は東山・長楽寺。
新島襄旧宅 1875年 同志社英学校を開校。翌年薩摩藩邸に移転。新島の住居に
女紅場址 にょこうば 九条家。我が国初めての女学校。新英学校女紅場。現在の鴨沂高校。
九條殿址 くじょうどの 関白忠通の三男兼実がここに住んだ。京都三珍鳥居の1つ。
旧二條城址 きゅうにじょうじょう 平安女学院。足利幕府の最後。
木戸孝充旧邸 きどたかよし こういん 近衛家の下屋敷。明治維新三傑西郷・大久保・木戸
◎中京区
横井小楠殉節地 しょうなんじゅんせつのち 維新の先駆者。肥後藩士。
並河天民講学所址てんみんこうがくしょ 蝦夷地の開拓を。伊藤仁斎に学ぶ、のち意義を。清閑寺に葬られる。                             
高陽院址かやいん 賀陽院。栄華物語。
冷泉院址れいぜいいん清小納言は家は冷泉院・朱雀院・東三条院とたたえられる。
舎密局址せいみきょくのあと オランダ語シェミストリー理化学研究所。京都産業に貢献。
富小路殿址とみのこうじどのあと 太政大臣藤原(西園寺)実氏さねうぢ邸宅
若林強斎楠軒址 きょうさいぼうなんけんのあと 尊王思想を唱えた儒者。
東三殿址 ひがしさんじょうどのあと 千貫ちぬきノ井。角振社・隼社。ぬえ。
閑院址 かんいんあと藤原冬嗣ふゆつぐの別邸。妙顕寺みょうけんじ
松永昌三講習堂址しょうぞう 京学。春秋舘。維新後三井家。
在原業平邸址FONT SIZE="2">ありわらのなりひら神楽岡に葬る。紫水軒。安保親王の第5子。在五中将在中将
金座・銀座址両替師。後藤徳乗。湯浅作兵衛常是(大黒作兵衛)一部に第一勧銀
二條陣屋防火建築。小川家米屋・両替。12カ所の井戸。
神泉苑 禁苑。清泉。雨乞い
大学寮址 だいがくりょう 弘文院。勧学院。奨学院。
京都東・西町奉行所址 職司町しょくしちょう 神沢杜口かんざわとこう翁草。平塚瓢斎ひょうさい花洛名勝図会
朱雀門址 すざくもん耳敏川みみとがわ
六角獄舎址ごくしゃ三条新地牢屋敷。六角獄舎。平野国臣・乾嗣竜つぐたつ・長尾武雄・古高俊太郎 ふるたかしゅんたろう
手島堵庵五楽舎址 てじまとあんごらくしゃ下京に修正舎・西陣に時修舎・中京に明倫舎
高倉宮御所址 たかくらのみやごしょ初音中。以仁王もちひとおうの御所。通玄寺つうげんじ。集書院 しゅうしょいん
三條東・西殿址 にしどのNTT。平治の乱。藤原信頼のぶより。源義朝よしとも。
三條衣棚 ころものたな 法衣業を営むものが集まった。棚売りを始めた。千切屋が始めた。
三條釜座 さんじょうかまざ鋳物師が住み着く。今は大西・高木両家のみ。
鬼殿址 おにどの 藤原朝成ともなり笛の名手。藤原伊尹これただと蔵人頭の任官で不仲に。たたりで死んだと。鬼殿・悪所といって、敬遠
八文字屋自笑宅址 はちもんじやじしょうたく 誓願寺近く。八文字屋本の出版元。安藤八左衞門
石田梅岩邸址ばいがん 心学。庶民の道徳。
伊藤若沖宅址じゃくちゅう錦の青物問屋の長男として生まれた。鶏の画を得意とする。斗米庵
南蛮寺址 なんばんじ 六角室町。サンタマリア上人の寺。銅鐘は、妙心寺塔頭・春光院に
大黒庵武野紹鴎邸址だいこくあんたけのじょうおうてい菊水。茶道三昧。
高松内裏址だいり保元の乱にはここが作戦本部。
旧本能寺址仏光寺油小路・本応寺から各地転々。小川蛸薬師に
橘逸勢邸址たちばなのはやなり蚊松殿はいまつ。書に優れ、嵯峨・空海とともに三筆。御霊神社(上京・下桂)
朱雀院址すざくいん梛なぎ神社。隼はやぶさ神社。本朝文粋。栢梁殿はくりょう
新選組壬生屯所址 縁寺に処刑された隊士の墓
高瀬川と木屋町角倉了以。
佐久間象山・大村益次郎遭難地 さくましょうざん・おおむらますじろうそうなんのち
長洲藩邸址京都ホテルから東、高瀬川 にいたる一帯。蛤御門の戦の元兇。
勧業場址かんぎょうじょうのあと産業振興の中枢機関。常盤ホテル。明治天皇・ロシア皇太子を見舞う。
竹市半平太寓居址ぐうきょのあと料亭「丹虎」四国屋十兵衞の離れ。月形半平太のモデル
吉村寅太郎寓居址 天誅組てんちゅうぐみ。10歳で床屋。土佐勤王党に。大和鷲家口の戦いで戦死。墓は霊山
池田屋騒動址 そうどうの宮部鼎蔵ていぞう以下7名即死。1864年6月5日
坂本龍馬寓居址 酢屋。中川家。
土佐藩邸址 山内。立誠小西。大火とまり。岬神社・土佐稲荷。
本間精一郎遭難地そうなんの越後の国商家の出身。尊王攘夷。
坂本龍馬・中岡慎太郎遭難地醤油屋近江屋新助。見回組佐々木唯三郎・今井信郎。
◎下京区
古高俊太郎寓居址ふるたかしゅんたろうぐうきょあと 桝屋喜左衛門。守山。翌日池田屋騒動。
円山応挙宅址 1733年丹波の国。墓は太秦の悟真寺ごしんじ
呉春(松村月渓)宅址 ごしゅん まつむらげつけい フグを食べて自殺を図る。大通寺。一乗寺の金福寺。四条派。
本居宣長修学地松坂。小児科医。儒学。堀景山。賀茂真淵。
菅家邸址 かんけていあと菅大臣神社かんだいじん白梅殿・紅梅殿。北菅大臣社。
道元禅師示寂地じじゃくのち 道元生涯を終えた。
松永貞徳花咲亭址 花咲稲荷社。和歌・連歌・和学を柿園・芦の丸屋あしのまろや・花咲の翁・五条の翁・御傘ごさん
藤原俊成五條邸址しゅんぜい五条室町か寺町か。新玉津島神社。烏丸に面する俊成社。俊成町
三善清行邸址 みよしきよゆき きよつら醒泉小学校。妖怪が現れる。心賢く悟りある人。 意見封事ふうじ12箇状。道真に辞職勧告。
河原院址かわらいんのあと源融とおる。河原左大臣。毎月潮水5.4トン運ばす。籬ノ森まがきのもり・榎エノキ。
六條院(釣殿院)址 ろくじょういん つりどのいん塗師屋町。釣殿のみ子・釣殿宮。万寿寺の本尊は東福寺に                                  
慶滋保胤池亭址 よししげのやすたねのいけのていあと本姓賀茂。池亭。寂心・横川。月林寺。如意輪寺。今昔物語・ 宇治遺物語・続本朝往生傳。
山本亡羊読書室址 ぼうよう本草学者。医薬界に貢献。墓は深草の宝塔寺
六條柳町遊郭址 やなぎまちゆうかくあと楊梅・鍵屋町・的場。上・中・下ノ町。室町・新町間。近衛信尋のぶひろと灰屋紹益しょうえきが吉野太夫をひいきにして張り合った。
源氏堀川館址 やかたあと 醒ヶ井通。六条堀川館。源頼義が西洞院佐女牛小路に居宅。六条判官。土佐坊昌俊が襲った義経の堀川御所。佐女牛井さめがい。醒ヶ井。
天満屋騒動址 土佐の海援隊士陸奥陽之助らと十津川郷士十七名が三浦を襲う
亭子院址 ていじいんあと東中筋正面下る。宇多上皇の御所。亭子院歌合ていじいん。古今和歌集。法金剛院に移った。不動堂町の明王院(西山浄土宗)はもと亭子院の不動堂。
島原元二条柳馬場次に六条三筋1640年現在地に。角屋すみや。和違屋。
新選組堀川本陣址 堀川七条南。不動堂村。近藤勇が深雪太夫を見受け住ませた。ここが伊東甲子太郎暗殺の地
芹根水址せりねのみずあと芹の清水。井筒を書家烏石葛辰うせきかっしん木津屋橋(月見橋)阿弥陀ケ峰・清閑寺の間から見る月は信州の姥捨山の景に似ている。
七條仏所址 ひちじょうぶつしょのあと仏師定朝じょうちょう。時宗金光寺こんこうじに寄進。東山長楽寺に合併
東市・西市址 ひがしのいち・にしのいち営業時間は午後半日。月前半東市・後半西市。東市が栄える市比 売神社いちひめは東市の守護神で金光寺こんこうじ(市場道場)とともに移った。
平家西八條殿址 梅小路・東海道線付近。蓬よもぎ。白拍子祇王・祇女・仏御前の舞台。
鴻臚館址 こうろかん 外国使節を接待する。渤海ぼっかい国使。大江朝綱がはなむけの漢詩。
◎南区
六孫王経基邸址 ろくそんおうつねもとてい 源経基の邸宅。墳墓を神社に。
羅城門址 らじょうもん 楼上に兜跋とばつ毘沙門天像。渡辺綱が鬼の腕を斬りとった。
西寺址 さいじ 唐橋小学校北。右寺・右大寺うだいじ。守敏しゅびん僧都。矢取地蔵尊
菅家吉祥院址 かんけきつしょういんあと
◎東山区
白川橋 五条大橋の石材を転用して石橋に。公儀橋
刀匠粟田口氏宅址 吉光よしみつ。粟田口藤四郎・正宗と並んで江戸時代に大いにもてはやされた。
将軍塚 古墳。土偶に鉄の鎧を着せ弓矢を持たせ埋める。塚が鳴動するように。田村麻呂
大和橋 やまとばし 大和大路の白川にかかる。お茶屋「木屋」「大友」
青木木米宅址 もくべいたく お茶屋「木屋」の一人息子。京焼の鬼才。
目疾地蔵 仲源寺ちゅうげんじ雨奇晴好うきせいこう(蘇武そぶ)雨止あめやみ
祇園二軒茶屋 西に藤屋・東を中村屋。合餅あわせもち。
長楽館 ちょうらくかん タバコ王。村井吉兵衛。ガーディーナー設計。伊藤博文も来泊
円山六坊址 円山公園の東北隅。安養寺にいたる。長寿庵(左阿弥)織田頼長の五輪石塔
大雅堂址 だいがどう池大雅が妻玉瀾ぎょくらんとともに住んで居た。歌仙堂。墓は上京区の浄光寺。
芭蕉堂 双林寺旧境内。高桑蘭更たかくわらんこう。南無庵。森川許六。4月12日花供養。11月12日芭蕉忌。
平康頼山荘址 たいらのやすより双林寺ほとり。宝物集。西行塔頭蔡華園院さいかおんいんに訪れ。西行庵
御陵衛士屯所址 ごりょうえしとんしょ高台寺塔頭月真院。伊東甲子太郎たちが禁裏御陵衛士に
雲居寺址 うんごじ高台寺辺り。菅野真道まみち。八坂東院。金色阿弥陀仏大像。奈良の大仏の半分。
八坂寺址 やさかじ八坂の塘。法観寺。渡来人八坂氏の菩提寺。雲居寺の浄蔵貴所が祈って傾きを復した。
翠紅館址 すいこうかん本願寺が正法寺塔頭叔阿弥しゅくあみを買収別荘に。勤王の集会所。翠紅館会議
竹久夢二寓居址 たけひさゆめじ宵待草(多忠亮おおのただすけ曲)。愛人彦乃。画家・詩人。
霊山寺址 りょうぜんじ霊鷲山りょうじゅせんインド摩掲陀まかだ国。天台宗。清少納言・枕草子で釈迦仏の御 住処。更級日記菅原孝標
たかすえ・藤原明衡あきひらも歌を。のち正法寺。石造五輪卒塔婆。鏡水・山ノ井
木下長嘯子山荘址 ちょうしょうしのさんそう 挙白堂。自由清新の歌風で和歌史上に一時期を画した
平重盛小松殿址 たいらのしげもりこまつどの馬町。音羽川渓谷。輪灯籠堂。灯籠大臣。灯籠は東洞院高辻から寺町四条下る浄教寺(重盛像・有栖川宮筆重盛の顕彰碑)に。
藤原邦綱若松亭址 くにつなわかまつてい渋谷街道の中程。大福長者。平家。平清盛にとり立てられ大納言。
松原橋 五条橋・清水橋・勧進橋。南東に十禅師ノ森・弁慶が牛若丸に主従の誓いをしたところ
六道ノ辻 珍皇寺ちんこうじ元愛宕寺おたぎ。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の6種。慶俊僧都の迎え鐘
六波羅政庁址 北条時房・泰時。北(松原大和大路)・南方庁(方広寺)。
平氏六波羅邸址へいし平正盛が愛宕寺(珍皇寺)内に三味堂(常光寺)を建立が機縁。頼盛の池・教盛の門脇殿
方広寺(大仏殿)ほうこうじ豊臣秀吉。銅鐘・石垣。地震・雷・火事・親父(家康)によって壊される
法住寺殿址 ほうじゅうじ後白河上皇。北・南殿など四郭。蓮華王院・景勝院。    
伴蒿蹊閑田廬址 ばんこうけいかんでんろあと 泉涌寺。国学者。歌道古今調の名手。
法性寺址ほつしょうじ左大臣藤原忠平。本町十五町。藤原氏の氏寺。現在の浄土宗の法性寺に千手観音像(国宝)                              
夢の浮橋址 本町・泉涌寺の中程。御大葬の時の通路。              
一ノ橋址 本町十~十一丁目。付近に滝尾神社(大丸稲荷)・常盤御前にまつわる伝説の宝樹寺橋詰堂)浄心寺。
◎左京区
藤原惶窩山荘址ふじわらのせいくわんさんそうあと 鞍馬川に沿った山間渓谷。近世儒学の始祖。
朗詠谷 ろうえいだに藤原公任きんとう朗詠谷。 
岩倉具視旧宅 いわくらともみきゅうたく蟄居ちっきょ。元勲岩倉具視
南勲南渊年名小野山荘址 みなみふちのとしなおのさんそう赤山禅院の前。 尚歯会しょうしえ
藤原敦忠山荘跡 ふじわらのあつたださんそう西坂本。歌人。林丘寺付近。生前道真の怨霊に悩まされ早死
梅田雲浜寓居址 うめだうんぴんぐうきょ一灯寺(葉山観音)後烏丸御池に中川宮の知遇を得。尊王攘夷に
一乗寺下り松 保元物語・平家物語。平敦盛の北の方がここに捨て子し法然上人が養育しのち僧に。
詩仙堂 石川丈山隠者の家。嘯月楼しょうげつろう。中国36詩人詩仙の額。後水尾天皇のお召しを 拝辞した。「渡たらじな瀬見の小川の浅くとも老いの波そふ影もはづかし」
糺の森 ただす下鴨河合神社の鎮座する。36000坪。矢取の神事・御手洗会みたらしえ。勧進猿楽。
北白川廃寺址 滅苦寺・目くじり。愛宕郡上粟田郷。粟田寺。奈良時代前期の創建。   
橋本閑雪白沙村荘かんせつのはくさそんそう画家。竹内栖鳳に師事。疎水べりの300本の桜は夫人の寄贈
神楽岡 天照大神が天岩屋にこもられたとき800万神がお神楽を奏でてあまくだった所。日降 山。日降坂。藤原山蔭。紅もゆる丘の花。くれないの丘。
俊寛僧都鹿ケ谷山荘址 しゅんかんそうづ平家打倒失敗。霊鑑寺付近。談合谷。
楼門の滝 ろうもん 鹿ヶ谷より如意ヶ嶽に至る中程。如意ノ滝。如意寺。
香川景柄梅月堂址 かがわかげもとのばいげつどう岡崎神社近く。歌壇。二条派地下じげの宗家。
小沢芦庵宅址 おざわろあん 和歌。図南亭てなんてい。和歌ノ浦の松。本居宣長も来る。蒲生君平をかくまう
香川景樹宅址 かがわかげきたくあと 歌壇。鷹司・西洞院家に仕え小川・香川について和歌を。養家香川 と合わず。桂園派。東塢亭とううてい。臨渊社・観鶩亭かんぼくてい
白河院並に法勝寺址 市立動物園北。藤原良房よしふさ。六勝寺の一つ。
田能村直入旧宅(画神堂) たのむらちょくにゅうきゅうたく がしんどう若王子神社に至る疎水西畔。久邇宮朝彦親王からの額。京都画学校の校長。のち谷口藹山あいざん。富岡鉄斎らと日本南画協会を組織。
藤原閑雄山荘址 永観堂。 刑部卿藤原真夏の第五子。東山進士。岩垣紅葉モミジ。
亀山法皇離宮址(禅林寺殿) ほうおう上の御所。南禅寺。
新宮凉庭順正書院址 りょうていじゅんせいしょいん蘭方医。所司代間部詮勝あきかつの筆「順正書院」天授庵
無鄰庵 むりん山縣有朋の別荘。庭師小川治兵衛の作。明治天皇御下賜の松。四者会談。
白河殿址 しらかわどの鴨川二条東。鳥羽・崇徳天皇の御所。白河泉殿。白河北殿・白河南殿。
梁川星巖邸址 やながわせいがんてい丸太町橋東。鴨沂小隠おおぎしょういん。尊王攘夷。墓は天授庵
◎北区
船岡山 高さ112m東西200m清小納言「岡は船岡」
雲林院址 うんりんいんのあと。うりんいん。うぢい。合歓の桜。
蓮台野れんだいの 船岡の西野。卒塔婆千本。源頼光(くも塚)・仏師定朝・阿刀氏(弘法大師の母)の墓
蓮月尼旧栖茶所 れんげつにきゅうせいちゃしょ 西賀茂の弘法さん。歌人・太田垣蓮月。墓は小谷墓地。
氷室ひむろ氷室・氷池・氷室神社。
西園寺山荘北山殿址 さいおんじさんそうきたやまどのあと藤原公経きんつねの山荘。後の金閣寺。本堂(西園寺)
◎右京区
淳和院址 じゅんないんあと西院村。南池院。佐井通の春日神社は淳和院の鎮守社。境内に淳和院の礎石
清原夏野双丘山荘址 きよはらなつの右大臣に。詩文に優れる。「令義解りょうのぎげ」双岡大臣「比大臣」                                  
陶工尾形乾山窯址 けんざんかまあと鳴滝乾山。泉谷の法蔵寺。光琳の弟。桑原空堂に百拙和尚に
般若寺址 はんにゃじ「蜉蝣かげろう日記」大江玉渊たまぶちが創建。真言宗。
いさら井 広隆寺。和泉式部の作。式内 大酒(大辟)神社。イスラエルの井。潦井。井浚。
蛇塚古墳 女盗賊 おしげが根城。京都市に於ける最大古墳。
仙洞亀山殿址 亀山殿の旧苑池を利用して禅宗 天龍寺の庭園が造られた。嵯峨殿。
棲霞観址 せいかかんあと源融。棲霞寺。その後三国伝来の釈迦仏を安置した清凉寺が建つ。
雄倉殿跡 おぐらどのあと醍醐天皇の皇子兼明親王。「七重八重花は〃〃」藤原定家の小倉山荘もここに。                                  
◎西京区
葉室氏山荘址 はむろしさんそうあと 藤原北家勧修寺派分家。葉室大納言。浄住寺・葉室寺
天皇ノ杜古墳 てんのうのもりこふん御陵村。平尾山。真如院(廃寺)
樫原本陣址 玉村家は本陣。
樫原廃寺址 八角形の瓦積基壇をもつ塔。四天王寺式伽藍。
◎伏見区
荷田春満旧宅 かだのあずままろきゅうたく 稲荷大社の祠官。国学。門下生賀茂真渊。東丸神社あずままろ
元政上人隠栖地 げんせいしょうにんいんせいち石井吉兵衛。詩歌に優れ。「鳴呼孝子元政之墓」水戸光圀
深草谷口古墳 浄蓮華院(天台宗)の本堂背後。
鳥羽離宮址 城南離宮せいなんのりきゅう。鳥羽殿。鳥羽離宮跡公園。
鳥羽伏見戦址 小枝橋。三日間多くの死傷者。
撞木町遊郭址 しゅもくちょうゆうかくあと 町の形が丁字型。林又一郎。天神・囲。半夜。笹屋。
伏見奉行所址 御香宮の南。1633年小堀遠州・水野忠貞。
伏見殿址 指月の森。桃山丘陵台地の南端。
寺田屋騒動址 公武合体派の公卿を殺害を企てる。島津久光・有馬新七。とせ。
明智薮 あけちやぶ 明智越。
鴨長明閑居址かんきょあと 方丈石。賀茂社の神官。和歌・琵琶に優れる。
◎山科
奴茶屋 やっこちゃや腰掛茶屋。和宮・明治天皇もよる。紀念ノ井。片岡丑兵衛。南朝の遺臣。
人康親王山荘址さねやすしんのうさんそう四宮。十禅寺。足摺あしずり池。徳林庵に石造宝篋印塔(南北朝)
大石良雄旧宅址 西野山。金蓮寺の梅林庵(中京)岩屋寺。大石寺。大石神社(旧府社)
山科本願寺址 山科中央公園。土塁。濠の址。蓮如死後六角定頼・法華宗徒によって焼き打ち
栗栖野くるすの古墳。遊獵地。花木塚(坂上田村麿墓)折上神社。延喜式の後小野墓あとのおののはか。









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下京区の名所・史蹟

2019-02-24 19:13:53 | 京都案内
下京区の名所・史蹟

名前 場所 説明
◎天道神社 仏光寺猪熊西 平安京と同じく1200年の歴史があり悪病消除・子孫長久開運の御利益
◎成道院 綾小路大宮西 安産・子供の成長を見守る(子育て呑龍)の木像を安置
◎光縁寺 綾小路大宮西 住職と親交のあった新撰組隊士山南敬介ら沖田総司の縁者のものの墓がある。
◎西住寺 高辻大宮西 誌公観世音像「国立京都博物館に寄託」を持つ寺
◎妙厳院 四条大宮西 画家堂本印象及び印象の実兄で陶芸家の堂本漆軒の墓がある寺。
◎ 光林寺 綾小路大宮西 俳人炭太祗、儒医松田正木貞等の墓がある。
◎ 中川四明句碑 綾小路大宮西(光林寺内) 俳人正岡子規に師事した中川四明が光林寺に眠る江戸期の俳人太祗を偲んだ句が刻まれている。
◎義経太刀掛の松址 黒門四条下る この松の下で太刀を贈られた源義経と熊野別当湛増が祝宴を催したといわれる。
◎妙満寺由緒 綾小路堀川西 町名は顕本法華宗総本山妙満寺が一時寺地を当地に移したことに由来
◎住吉神社 醒ヶ井高辻下る もと新玉津神社であったが火災で移転し改名した。末社人麻呂社は歌人冷泉為村が祀られる
◎火尊天満宮 油小路綾小路下る 祇園祭には油天神山を出し社殿の菅原道真の天神像を山に安置する。別名風早天満宮と呼ばれる。
◎観音寺 醒が井仏光寺下る 清荒神が現在の荒神口に移るまであった所。よって元清荒とも呼ばれる。
◎化粧水碑 西洞院四条角 歌人小野小町の別荘があったとか。この水を小野小町が産湯・手水に使ったとかいわれている
◎西綾地蔵尊 綾小路油小路西 仏師定朝作と伝えられる木彫りで金色極彩色の地蔵尊。身長約60cm立像。
◎道元禅師示寂の地 高辻西洞院西 曹洞宗の開祖道元禅師が俗弟子覚念の住居であったこの血で生涯を閉じた。
◎秦家住宅 油小路仏光寺下る 下京で伝統的商家で市登録文化財。
◎大原神社 綾小路室町西 養蚕が盛んであった綾部町の大原講を移したもの。養蚕の神様を祀る。
◎繁昌神社 高辻室町 近くに問屋が多いことから商売繁昌の御利益があり、祭りの際神輿をかつぐと良縁に恵まれる
◎菅大臣神社 仏光寺新町西 菅原道真公誕生の地といわれ、産湯の井戸も残っている。別名白梅殿社と呼ばれる
◎北菅大臣神社 仏光寺新町西 菅原道真が太宰府に左遷される時句を詠んだ所といわれ、別名紅梅殿社と呼ばれる
◎日吉神社 室町仏光寺下る 山王祭の宵宮落しの故事のある神社
◎祇園社大政所御旅所 烏丸仏光寺下る 大政所御旅所として八坂神社の神輿の渡御があったが現在は四条寺町に移転し社のみとなっている。
◎幸福地蔵尊 新町四条下る ここに長く住んでいた老女が住居を町内に寄贈した暖かい気持ちに報うために町内が建立した。
◎神田明神祠 四条新町西入下る 平将門の首をさらした所で、前の通りには将門供養の空也供養道場があった。
◎膏薬図子 四条新町西 平将門を供養するお堂の前の小路
◎杉本家住宅 綾小路西洞院東 町家として市内最大規模の住宅で、市指定文化財である。
◎本居宣長修学地 綾小路室町西 「古事記伝」を著した国学者本居宣長が医学修行のため寄寓していた儒医堀景山の邸宅があったところ
◎神明神社 綾小路高倉西 源頼政が怪獣ぬえを退治した時に、祈願成就のお礼に奉納した鏃やじりが二本伝わる
◎岸田俊子 松原東洞院東 自由民権運動の際に婦人解放運動に取り組んだ人物
◎花咲稲荷社 間之町高辻下 花咲亭逍遙軒と号した歌人である松永貞徳の邸宅内に祀られた社
◎匂天神社 高辻烏丸東 創建、由来等は不明。一度取り壊され、再建されるが、現在は祠1つを残すのみである
◎因幡薬師(平等寺) 松原烏丸東 薬師如来像、如意輪観音、釈迦如来、因幡堂縁起(全て重要文化財)を安置する
◎仏光寺 高倉仏光寺下 真宗仏光寺派の本山で阿弥陀立像、聖徳太子像(ともに重要文化財)を安置する寺
◎光薗院 高倉仏光寺東 阿弥陀如来(重要文化財)を安置する寺。
◎大行寺 仏光寺高倉東 快慶作阿弥陀如来(重要文化財)を安置する寺。
◎夕顔塔婆 堺町松原上 「源氏物語」巻二、能「半部」に登場する夕顔を偲ぶ塔婆。個人宅。
◎豊園水碑 仏光寺東洞院東(洛央小学校) 豊臣秀吉の別荘竜臥城址にあたり、秀吉が茶の湯を汲んだといわれる名水の一つ
◎円山応挙宅址 四条堺町東 狩野派の画家石田幽汀に画を学んだ。円山派の始祖である円山応挙が住んでいた
◎呉春(松村月渓)宅址 四条東洞院東 与謝蕪村に学び円山派の始祖である円山応挙の画の技法を取り入れた四条派の始祖呉春が住んでいた。
◎灯籠町会所 東洞院高辻下 祇園祭の保昌山を出す町会所で、市指定文化財である。
◎京都大神宮 寺町四条下 神前結婚式の方式を明治期に考案した神社
◎火除天満宮 寺町四条下 三度の火災に見舞われたが近辺と共に類焼を免れたため、火除けの神様として名高い
◎透玄寺 寺町綾小路下 如意輪観音座像(重要文化財)を安置する寺
◎浄教寺 寺町四条下 小松谷の平重盛邸宅跡にあった「灯籠堂」が平家滅亡ご当地に移されてきたという
◎聖光寺 寺町綾小路下 大石内蔵助の母及び天野利兵衛の墓がある寺
◎空也寺 寺町仏光寺下 空也開基の寺で、釈迦堂の釈迦如来は、おこりを治すという信仰があった。
◎永養寺 寺町高辻上 境内に明治8年当時の開智小学校の講堂がある
◎浄国寺 寺町高辻下 江戸期の俳人である早川丈石の墓がある
◎春長寺 寺町四条下 本能寺の変の際織田信忠に従って討死した京都所司代村井貞勝の菩提を弔うため建立された寺
◎徳正寺 富小路四条下 仏師快慶作と伝えられる阿弥陀如来を本尊とする寺
◎細川の井戸 富小路四条下 徳正寺にあり、「題徳正寺細川井」と刻んだ碑が立っている。
◎乗願寺 寺町仏光寺下 加藤清正の重臣森本義太夫の墓があり、江戸期の画家松村景文の襖絵を伝える
◎冠者殿社 四条寺町東 「誓文払」で商人が「無言詣」で芸娼妓が各々罪を詫びて商売上の嘘を消してもらうという
◎元開智小学校校門 御幸町仏光寺下 古めかしく時代劇の雰囲気があり、薬医門という明治後期の様式である
◎勝円寺 仏光寺河原町西 後奈良天皇が帰依し、勅願を与えたという
◎古高俊太郎寓居址 西木屋町四条上西 勤王志士を密かにかくまい、新撰組に捕らわれて池田屋事件の発端となった古高俊太郎がすんでいた
◎武氏稲荷大明神 下松屋町丹波街道町 京都7口の1つ丹波口の近くに建てられている
◎住吉稲荷神社 島原西新屋敷 天和年間に住吉屋太兵衛が建立した稲荷神社。
◎光隆寺 大宮花屋町下 画家狩野探幽の父孝信による襖絵がある
◎慈雲寺 下松屋町五条下 「山州名跡志」に「古の中堂寺」と記されている寺
◎法華寺 西新屋敷中之町 東寺の法華堂を移したものといわれ、真言密教を学ぶために上洛した日蓮が住んだ所
◎硯水之井戸 西新屋敷中之町(法華寺内) 日蓮上人お手堀の井戸、または日蓮筆洗いの井戸とも言われる
◎日切地蔵 下松屋町中堂寺下 名前の由来は、日付を切って願い事をすると、必ず叶うといわれることから。個人邸宅内
◎木食上人地蔵尊 丹波口大宮西 町の聖と呼ばれた木食正禅養阿上人が作者といわれる
◎東鴻臚館址 西新屋敷下之町 平安期、朱雀大路の東西にあった外国の賓客を接待した迎賓館
◎角屋 西新屋敷揚屋町 下之町現存する最も古い揚屋(重要文化財)で、度重なる移転を重ねて当地に落ち着いた
◎輪違屋 西新屋敷中之町 元禄年間創業といわれる置屋で、市指定文化財である
◎島原大門 西新屋敷中之町 島原遊郭の正門、市登録文化財
◎五条天神社 松原西洞院西 牛若丸と弁慶が戦った所といわれ、能「橋弁慶」の舞台ともなり「源平盛衰記」などに登場する
◎徳成寺 六条堀川東 平安中期の僧恵心僧都(源信)作の阿弥陀仏がある寺。
◎真如院 猪熊五条上 織田信長が十五代将軍足利義昭のため作った庭をそっくりそのまま移転させた庭園がある
◎林昌院 猪熊五条下 赤穂浪士・京都留守居役・小野寺十内の妻丹女の墓がある
◎一音院 岩上五条上 豊臣秀吉の姉で、秀次の母である日秀が建立した寺
◎勧持院 猪熊五条下 本圀寺に帰依した加藤清正が宿所とした寺院で、境内の庭園は清正が作った
◎瑞雲院 岩上五条上 小早川秀秋の菩提を弔う為開創され、秀秋の墓がある。
◎左女牛井之址 堀川通楊梅下る西側 能「正尊」歌舞伎「御所桜堀川夜討」狂言「清水」に登場し、源氏六条堀川館内にあった
◎三善清行邸址 醒ヶ井通松原下る(醒泉小学校内) 文章博士兼大学頭であり、菅原道真に辞職を勧告したという三善清行の邸宅があった。
◎山本亡羊読書室址 油小路五条上る西側 江戸時代の本草学者山本亡羊が薬草を栽培し講習所とした。邸内の香椿の木は市の巨樹名木の1つ
◎亀山稲荷社 松原室町西入る 穴稲荷の形式で江戸末期の祠の特徴をよく備えた稲荷社
◎俊成神社 烏丸通松原下る 歌人藤原俊成の邸宅跡に祀られたといわれ、それにちなんで俊成の霊を祀っている
◎松原道祖神社 新町通松原下る 「今昔物語」、「宇治拾遺物語」に登場し、交通安全守護・縁結び・商売繁昌にご利益がある
◎新玉津島神社 松原通烏丸西入る 歌人藤原俊成が邸宅内に和歌の守護神として祀り、松尾芭蕉の師である北村季吟も祠官を努めた
◎大泉寺 万寿寺通西洞院東入る 親鸞が禅房を設けた所といわれ、本尊の阿弥陀如来は通称花降如来とも片袖如来とも呼ぶ。
◎光圓寺 松原通西洞院東入る 紙本著色京洛月次風俗図扇面流図屏風(市指定文化財)を所蔵する
◎親鸞上人入滅の地 松原通西洞院東入る(光圓寺内) もと関白九条兼実の荘園で月輪本庄花園殿の旧地でもあり、親鸞上人が生涯を閉じた地である
◎朝日神明宮 麸屋町通五条上る 天から降ってきたという恵美須大黒の神石がある神社
◎命婦稲荷大明神 堺町通松原下る 鉄輪の井伝説と深い関係ある稲荷神社。
◎鉄輪の井 堺町通松原下る 夫の浮気相手を呪った女が身を投げたことから、ここの水を飲ませると縁が切れるといわれる
◎不動寺 松原通麸屋町東入る 平安時代に王城鎮護のため、都の四方に経文を埋めたという四岩倉の1つで南岩倉ともいう
◎長香寺 高倉通松原下る 徳川家康の側室おこちゃんの菩提寺で寺号はおこちゃんの法名長香院にちなむ
◎牛若丸と弁慶の像 五条大橋西詰 御所人形作りの第一人者岡本庄太郎作で、牛若丸と弁慶の出会いの場面を表現している
◎扇塚 五条大橋西詰北側 御影堂扇の産地であった。歌舞伎「源平魁躑躅」の舞台、扇屋「上総」はこの付近とされる
◎古式一里塚松錺り神事 松原通麸屋町西入る 毎年7月14日に、稚児・禿をはじめとする長刀鉾関係者が松原中之町祇園社へ参詣する神事
◎朝顔の塚 松原通麸屋町西入る 光源氏のいとこである朝顔の君を偲ぶ塚。個人宅内にある
◎若宮八幡宮 若宮通花屋町上る 源頼義の産湯の井戸の伝承地があり、源頼朝から崇敬を得るなど、源氏とゆかりが深い。
◎興正寺 堀川通七条上る 真宗興正派の本山で、明治9年西本願寺から独立した寺
◎西本願寺 堀川通花屋町下る 飛雲閣、唐門、書院、北能舞台、黒書院、伝廊(以上国宝)玄関、浴室、鐘楼、能舞台、本堂、大師堂(以上重要文化財)がある。
◎法輪寺 東中筋通花屋町下る 学問にすぐれ本願寺の草創期に能化代役として活躍した戒雲上人が初代住職を務めた
◎大公孫樹 堀川通花屋町下る(西本願寺内) 天明の大火の際西本願寺御影堂へ水を吹きかけたと伝えられ、水吹き公孫樹と呼ばれる銀杏の木
◎天満屋騒動趾 油小路通花屋下る 海援隊士が、坂本龍馬を暗殺したとして三浦休太郎を襲った天満屋騒動があったところ
◎本願寺伝道院 正面通油小路角 東京帝国大学教授伊藤忠太の「建築進化論」の考えを明確に表現した近代建築で市指定文化財である
◎藪内家茶亭 西洞院通正面下る 藪内家の茶亭で茶室燕庵は重要文化財。庭園は国の名勝に指定されている。
◎稲荷福若大明神 若宮通六条上る 昭和のはじめに町内に神社がないことから建立された神社
◎諏訪神社 諏訪町通五条下る 征夷大将軍坂上田村麿が信州の諏訪大明神を勧請した神社
◎赤松小三郎遭難の趾 東洞院通五条下る 兵学者赤松小三郎が私塾の塾頭である薩摩藩士中村半次郎らに襲われ、ここで惨殺された
◎文子天満宮 間之町通花屋町下る 菅原道真の乳母多治比の文子が道真手彫りの神像を祀り崇めたことから天神信仰発祥地といわ
◎千喜満悦天満宮 五条通高倉東入る 菅原道真が右大臣に昇進した時の喜びを表した絵図と尊像を祀る
◎市比売神社 市姫通下寺町東入る 平安期東西の市場守護のため創建され、商売繁昌の御利益がありまたカード供養の塚がある
◎天之真名井 市姫通下寺町東入る(市比売神社内) 清和天皇から後鳥羽天皇に至る27代の間産湯に使われたという名水の一つ
◎安産地蔵 富小路通五条下る(極楽寺内) 源頼朝の室がこの地蔵に祈った後、島津三郎忠久を産んだことから、安産のご利益があるという
◎上徳寺(世継地蔵) 富小路通五条下る 境内に安置された地蔵に願をかけた男に子供ができたことから安産、子授けにご利益がある。
◎堀内雲鼓句碑 富小路通五条下る(上徳寺内) 江戸期に京大阪で最も高名な俳人の1人であった堀内雲鼓の句がきざまれている
◎蓮光寺 富小路通五条下る 負別阿弥陀仏、長曽我部盛親の墓がある
◎駒止地蔵 富小路五条下る(蓮光寺内) 平清盛が馬に乗っていると急に馬が進もうとしなくなり、地面を掘り起こすとこの地蔵が現れた。
◎八文字屋自笑の墓 富小路五条下る(本覚寺内) 浮世草紙の作者八文字屋自笑の墓
◎新善光寺 富小路五条下る 寺名は本尊が長野善光寺の阿弥陀如来の分身といわれることに由来
◎宗仙寺 高倉五条下る 源融の邸宅(河原院)跡といわれる。
◎荘厳寺 六条通河原町西入る 円山派の画家木下応受の墓がある。
◎金光寺 市姫通河原町西入る 空也上人ゆかりの寺で時宗市屋道場と呼ばれた
◎長講堂 富小路六条上る 後白河法皇の六条御所跡、後白河法皇木像(重要文化財)がある
◎万年寺 富小路六条下る 源義経の念持仏ともいう阿弥陀如来を本尊とする
◎延寿寺 河原町通六条上る 歌舞伎俳優初代尾上菊五郎や日本画家川村曼舟の墓がある
◎松明殿稲荷神社 七条通鴨川西入る 社名は伏見稲荷の大祭の時に、伏見からきた輿を松明で照らして迎えたことによる
◎木食上人の井戸 七条通鴨川西入る(松明殿稲荷神社内) 大阿闍梨である木食正禅養阿上人が寄進したといい、礎石にその名が刻まれている。
◎等善寺 河原町通六条上る 在原業平の異母兄で、小倉百人一首にも名が見える在原中納言行平の墓がある
◎竹林院 河原町五条下る 京都所司代村井貞勝の叔父である良雲入道が堂舎を建立した寺
◎河原院趾 木屋町通五条下る 左大臣源融が造営した広大な邸宅跡で、榎の老木が残っている
◎道祖神社 油小路通塩小路下る 古くから外からの邪悪の侵入を塞ぎるといわれ、後に塞と幸が結びつき、縁結びの神ともなった。
◎伊東甲子太郎外数名殉難の趾 油小路通木津屋橋下る(本光寺前) 新撰組脱落者伊東甲子太郎らが新撰組隊長近藤勇との酒宴の帰りに襲撃を受けここで絶命した
◎明王院 油小路通塩小路下る 本尊の不動明王像は空海作で、高野山波切不動尊、成田不動尊と併せて三体不動尊と呼ばれる
◎梅ヶ枝の手洗鉢 西堀川通木津屋橋角 夫のために遊女となった梅ヶ枝が金の工面に祈り、その話は歌舞伎「ひらがな盛衰記」に登場する
◎芹根水趾 西堀川通木津屋橋下る 江戸期に書家の鳥石葛辰が自ら石碑を刻み、人々に愛用させたという京の七名水の一つであった
◎文房四神之碑 西堀川通木津屋橋下る 江戸期に書家の鳥石葛辰の手による石碑で道祖神社より現在地へ移転した
◎木食上人供養碑 平安高校正面上る 大阿闍梨である木食正禅養阿上ゆかりの地に立っている
◎新撰組堀川本陣趾 堀川通木津屋橋上る 伏見に移るまでの二年間本陣を構えた所で、大名屋敷の堂々たる建物であったという
◎龍谷大学本館 猪熊通七条上る 鉄製の門扉、窓などをロンドンから取り寄せた洋風建築の斬新な建物で重要文化財に指定されている
◎江戸末期の京の絵地図 油小路通木津屋橋上る 明治2年に作成され、江戸末期の京都市街とその周辺が描かれている。当時では珍しい七色の多色刷りである
◎東本願寺 烏丸通七条上る 真宗大谷派の本山。大門は御影堂門ともいい、知恩院・南禅寺三門とともに京都三大門といわれている。
◎枳殻邸(渉成園しょうせいえん) 間之町通正面 東本願寺の別邸で国の名勝に指定されている庭園
◎大谷句仏句碑 間之町通正面(枳穀邸内) 東本願寺法主であり、明治期の俳人であった句仏・大谷光演の句が刻まれている。
◎猿寺(正行院) 高倉通塩小路下る西入る 猿寺の語源で、ひざの上に小さな猿の木像を抱いた円誉上人座像がある寺
◎輪形地蔵尊 高倉通塩小路下る西入る 地の前の牛車や馬車が通る道から1体の地蔵が堀り起こされ、交通安全守護にご利益がある。
◎七条仏所址 七条通高倉東南角 平等院鳳凰堂の本尊阿弥陀如来の作者定朝をはじめとして運慶・快慶らがここで彫刻に励んだ
◎粟嶋堂(宗徳寺) 岩上通塩小路上る 祭神少彦名命が腰から下の病、安産など婦人の守護神とされることから婦人病にご利益がある。
◎蕪村句碑 岩上通塩小路上る(粟嶋堂内) 娘の病気回復の祈願に訪れた俳人与謝蕪村が、裸足でまいる女性を見て詠んだ句が刻まれている
◎豆の子稲荷神社 坊城通北小路上る 古くから子供の神様として有名で、名前の由来は、子供がまめな子に育つよう願われたことから
◎権現寺 朱雀裏畑町 参道に、北白川の円覚寺から移されたという六条判官源為義の墓がある。
◎勝軍地蔵 朱雀裏畑町(権現寺内 )身に甲冑を帯び、右手に剣、左手に軍旗を持った姿をしている。8月第3日曜日のみ開帳される。
◎身代り地蔵 朱雀裏畑町(権現寺内) 森鴎外著「山椒太夫」の厨子王が追手から逃れる際、厨子王の身代わりとなったという。8月第3日曜のみ開帳。
◎朱雀坊 朱雀裏畑町 本願寺三世覚如上人の分骨所である。
◎福神社 壬生川通五条下る 祭神が紀貫之ともいわれている
◎西照寺 中堂寺西寺町 豊臣秀吉を雑炊でもてなし、喜ばれたことから、別名雑炊寺という。
◎長円寺 中堂寺西寺町 京都所司代板倉勝重が建立した寺
◎玉樹寺 万寿寺通櫛笥西入る 江戸中期の産科医賀川玄通の墓
◎善徳寺 中堂寺西寺町 沖田総司の姉の墓。京紅で塗られた紅壁。美人になる御利益
◎末慶寺 中堂寺西寺町 大津事件に関わる畠山勇子の墓がある寺。
◎ 中堂寺 中堂寺西寺町 平安期に延暦寺横川中堂の別院として創建されたと伝えられる寺
◎右京六条一坊五町邸の復元模型 七本松通五条下る(京都リサーチパーク内) 平安京の右京六条一坊五町にあった寝殿造の邸宅の復元模型がある
◎中堂寺六斎念仏 六斎念仏の上演組織が中堂寺にあったことに由来
◎若一神社 七条御所ノ内本町 平清盛が埋もれていた神体を掘理おこし崇めたところ出世したことから、立身出世のご利益がある。
◎天文観測器の礎石趾 御前通西塩小路下る(円光寺内) 江戸期の天文家土御門家が屋敷内に天文台を設置し、都の地震を予測した址という(円光寺内)
◎西蓮寺 西七条南中野町 松尾大社御旅所社僧をつとめた寺
◎梅林寺 梅小路東中町 土御門家の菩提寺で「寛永4年」「土御門泰邦製」と銘のある天文観測器の礎石がある。
◎網敷行衡天満宮 御前通北小路下る 菅原道真が船の綱を敷き御座としながら白髪となった様を描いた像を祀る綱敷き天満宮と行衛天満宮が合祀されている。
◎寂蓮寺 西之町 柳地蔵尊と西覚大明神のこと。名前の由来は近辺にあった白蓮寺の一部と思われていたためと考えられている。
◎旧柳原銀行本店建物趾 上之町 地域の人々により設立された柳原銀行の旧本店で市内最古の銀行建築と推定される。移転。市登録文化財
◎銭座場趾 東之町 京糸割符仲間が幕府の許可を得て寛永通宝を鋳造していた銭座の址で土に銅が多く含まれている。
◎勝定院 七条御所ノ内本町 足利四代将軍義持が開基した。本尊は義持の念持仏である阿弥陀如来である。
◎勝明禅寺 七条御所ノ内本町 平清盛が熱病を患った時、当所の井戸水で全快し、清盛没後、菩提を弔うため建立された。

参考文献

平成7年3月発行下京ふれあい事業実行委員会制作「下京再発見」
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