娘を亡くしてからネットサーフィンにはまった私。
今でもあまり変わらない。
とにかく同じ経験をした人ならこの苦しみをわかってくれる
そう思い
来る日も来る日もそんな人を捜し求めた。
そうして友達が出来、支えあって今日まで来た。
毎日お互いにコメントしあうブログ友もあれば、
日記を読ませてもらうだけの方もあれば、
読んでくれるだけの方もある。
そして思うことは、人それぞれだということ。
悲しみの形も、進み方も、生き方も、
みんなそれぞれで、、
どれが正しくてどれが間違ってるわけでもなく、、
私は、、まいこを亡くして自分を見失った。
長い間、、自分が自分ではなかった。
長い時間引きこもった。
たくさんいた友達とも距離をおいた。
あれやこれやと楽しんでいたおけいこごとも出来なくなった。
毎日手をかけていたお料理すらまともに出来なくなった。
お化粧もおしゃれもせず、
まるで生活にくたびれた中年のおばさんになり下がった。
それでも、時間なのか、支えてくれる人のおかげか、
笑うこともできるようになったし、外にも出られるようになったし、
お仕事にも行けるようになったし、
昨年はおけいこごとも再開したし、
旅行にも行くし、美味しいものも頂くし、
でも、だからと言ってまいこの事を忘れたわけなどなくて、
まいこがいなくなったことを納得したわけでもなくて、
ましてや悲しみが消えるわけでもなく、
今でもまいこを思って泣かない日はないわけで、、、
それでも、私は楽しかった時はたのしい日記も書くし、
嬉しかった時は嬉しい日記も書くし、
馬鹿な日記も書くし、
毎日毎日悲しい、辛い、寂しい、悔しい、とばかりは繰り返せない。
たとえ心の中はそんな思いで溢れかえっていても、、、
わが子を亡くした親は自分が楽しんじゃ駄目ですか・・・
自分の事を考えて生きちゃだけですか・・・
楽しい時は楽しいと、美味しい時は美味しいと、
嬉しい時は嬉しいと、、
そんな風に感じちゃおかしいですか・・・
私は、亡くなった娘が幸せになれる方法があるのなら、
たとえこの目で確認することが出来なくても、
どんなことでもしてやりたい。
今の私が見つけたまいこが幸せになれる方法は、
この私が私らしく生きることなのだ。
それが、まいこを安心させる一番の方法なのだ。
まいこは・・私が毎日あの子を思い泣き暮らすことなど望んではいない。
私らしく生きることを望んでいるに違いない。
そんな風に思っている私。
それでも、そんな風に生きるのはすごく難しいことで、
簡単に前向きにもなれないし、簡単に元気にも明るくもなれないし、
楽しむことも、明るくすることも、
いや生きること自体に必死にならなきゃ無理なのが現実で、、、
元気そうにみえても、楽しそうに見えても
それは私自身のほんの一部であって、、、
偶然目にしたところで
私の考えを否定されるような考えが綴られたものを読んだ。
勿論私に対して書いているのではなく、
ご自身の思いを書かれていただけだが、、、
いろいろ感じた事がある。
だけど、、
やっぱりひとそれぞれなのだ。
私は私のやり方で生きて行けばいいんだ。
まいこがいなくなった事を認めたいわけじゃない。
だけど、、まぎれもなくまいこが今でも存在していて、、
姿が見えないだけで一緒に生きていると信じることで私は生きていられる。
だから、、
やっぱり、まいこが喜ぶように私は生きたい。
今でもあまり変わらない。
とにかく同じ経験をした人ならこの苦しみをわかってくれる
そう思い
来る日も来る日もそんな人を捜し求めた。
そうして友達が出来、支えあって今日まで来た。
毎日お互いにコメントしあうブログ友もあれば、
日記を読ませてもらうだけの方もあれば、
読んでくれるだけの方もある。
そして思うことは、人それぞれだということ。
悲しみの形も、進み方も、生き方も、
みんなそれぞれで、、
どれが正しくてどれが間違ってるわけでもなく、、
私は、、まいこを亡くして自分を見失った。
長い間、、自分が自分ではなかった。
長い時間引きこもった。
たくさんいた友達とも距離をおいた。
あれやこれやと楽しんでいたおけいこごとも出来なくなった。
毎日手をかけていたお料理すらまともに出来なくなった。
お化粧もおしゃれもせず、
まるで生活にくたびれた中年のおばさんになり下がった。
それでも、時間なのか、支えてくれる人のおかげか、
笑うこともできるようになったし、外にも出られるようになったし、
お仕事にも行けるようになったし、
昨年はおけいこごとも再開したし、
旅行にも行くし、美味しいものも頂くし、
でも、だからと言ってまいこの事を忘れたわけなどなくて、
まいこがいなくなったことを納得したわけでもなくて、
ましてや悲しみが消えるわけでもなく、
今でもまいこを思って泣かない日はないわけで、、、
それでも、私は楽しかった時はたのしい日記も書くし、
嬉しかった時は嬉しい日記も書くし、
馬鹿な日記も書くし、
毎日毎日悲しい、辛い、寂しい、悔しい、とばかりは繰り返せない。
たとえ心の中はそんな思いで溢れかえっていても、、、
わが子を亡くした親は自分が楽しんじゃ駄目ですか・・・
自分の事を考えて生きちゃだけですか・・・
楽しい時は楽しいと、美味しい時は美味しいと、
嬉しい時は嬉しいと、、
そんな風に感じちゃおかしいですか・・・
私は、亡くなった娘が幸せになれる方法があるのなら、
たとえこの目で確認することが出来なくても、
どんなことでもしてやりたい。
今の私が見つけたまいこが幸せになれる方法は、
この私が私らしく生きることなのだ。
それが、まいこを安心させる一番の方法なのだ。
まいこは・・私が毎日あの子を思い泣き暮らすことなど望んではいない。
私らしく生きることを望んでいるに違いない。
そんな風に思っている私。
それでも、そんな風に生きるのはすごく難しいことで、
簡単に前向きにもなれないし、簡単に元気にも明るくもなれないし、
楽しむことも、明るくすることも、
いや生きること自体に必死にならなきゃ無理なのが現実で、、、
元気そうにみえても、楽しそうに見えても
それは私自身のほんの一部であって、、、
偶然目にしたところで
私の考えを否定されるような考えが綴られたものを読んだ。
勿論私に対して書いているのではなく、
ご自身の思いを書かれていただけだが、、、
いろいろ感じた事がある。
だけど、、
やっぱりひとそれぞれなのだ。
私は私のやり方で生きて行けばいいんだ。
まいこがいなくなった事を認めたいわけじゃない。
だけど、、まぎれもなくまいこが今でも存在していて、、
姿が見えないだけで一緒に生きていると信じることで私は生きていられる。
だから、、
やっぱり、まいこが喜ぶように私は生きたい。
わかりますわかります、まいこママの言おうとしていることが
言葉では、なかなか言い表せないですよね
私は、自分のしたいこと、やりたいだけをしていますから気分は楽です。人からあれやれこれやれって言われることは正直できません、やりたくありません。少しえらい仕事に出合ったら、これができれば何になるんだ、いくら頑張ってやっても達哉が帰ってくるわけでもないし、とフーと力が抜けてしまいます
今の僕は、あれからの僕はうわべで生きているみたいです、達哉の今頃の姿を思うと飢餓狂います。多分、きっとこんな風に一生過ごすんだと思います。これも僕に与えられた一生なのかなーって思います。
できればできれば僕が死んで達哉に泣いてほしかったと思います
まいこママ、これも人生ですよ、自分自身の
時には、傷つけられることもあります
偶然、目にしたブログで
否定されるような意見を書かれている
すごくショックでした
人それぞれ
わが子や、大切な人を
突然、亡くした私たちは
今、生きていることさえ
苦しいのに…
その中で、楽しみを見つけて
生きている
私も、七瀬は
泣いて暮らしているのを
望んでいないと思っています
少しでも笑顔で
楽しいと感じたり
おいしいものを食べて
おいしいって思うこと
おしゃれしたり
そんな、私の姿を見て
喜んでくれていると思っています
本心は、まだまだ
なのですが…
七瀬は、姿は見えないですが
そばにいて
ニコニコと笑ってくれている
そう思っています
まいこママさん
私は、まいこママさんに
いつも、励まされています
辛いこともありますが
これからも、よろしくお願います
私も何が言いたいのかよくわからなくなりましたが、そう色々なのだということ。
私自身を振り返ってみても元気な日もあれば何も出来ない日もあって、
強い人も弱い人もいて、
突き進まなければ気がすまない人も、前に進めない人もいて
どれが正解でどれが間違いではないと言うことです。
たとえば、死後の世界など信じられない人も、
死後の世界を信じることで生きられる人もいて、
みんなが自分の生きられるように生きればいいのだと思います。
私達は大きな悲しみを背負った。
だから余計に自分の生きられる道を選んで生きていくしかないのだと思います。
自分から死を選ぶわけにはいかないのなら生きる道を見つけなければならないのですものね。。
それは人と同じ道を選べば生きられるかといえばそんな簡単なことじゃなく、、
やっぱりそれぞれのやり方があるのでしょう。
私だって前を向きたいときもあれば、なにもかもを投げ出したくなるときもあります。
これが私の人生ですか、、、
私も死んで娘に泣いて欲しかったです。
そして進み方もみんな違ってそれでいいのですよね。
苦しくて息をするのも苦しくて、眠れなくて布団の中で声を殺して泣いて、、
胸をかきむしられるような苦しみの中、
小さな光を支えに、自分が何とか生きていく道を探しています。
一生懸命気持ちだけは、前向きになってます。
でも行動が伴うかと言われると怪しいです。
それくらい私達の神経はもろいですもの、、
楽しそうにしていたって、、元気そうにしていたって、、
悲しみが消えたわけでも吹っ切れたわけでもありません。
それでも、一生懸命生きる道を探さなくてはしかたがないです。
それがたとえ人に理解されなくても、それで生きられればいいと思います。
自分自身が生きる道ですもの。。。
こちらこそ、頑張ってるななははさんに負けないようにって思ってますよ。
事故直後は、いろいろお説教を言う人がいました。
「成仏できないよ」とか「変にならないで」とか、「下の子のために頑張んなきゃダメじゃない」とかね。
今考えると、よく言ってくれたもんだなぁーなんて思いますよ。
自分が子どもを失ったら元気で生きられるのかよ!って言い返したいくらいですよ。
でもそのときは何もいえなくてね。
結局人は、「あの人に比べれば自分は幸せ」なんて思いたいんでしょうかね。いつまでも、沈んだ顔をしてもらいたいのかしら?
でもそうはいきません。
私たちは素晴らしい子に恵まれたのは確かですから、堂々とあの子に逢えるまで生きる。
きっと守ってくれるから、「ママがんばれ!」ってね。
心の温かい人と、心の通い合う幸せ。そして家族の絆、大切なものを守って、涼しい顔して生きていきましょうね。
人それぞれだと感じますね。
私も時々いろんな方のブログを訪ねます。
ただ見てるだけのブログもありますね、
同じブログの方でも 自分の気持ちと同じときもあれば、
自分とは違うな・・って思うときもあります。まいこママさんの言うように、自分の気持ちを否定されたように思うこともあります。
そんな時はちょっと落ち込むこともありましたが、、
でもそんな事をしながら
自分なりに・・という所に行き着いていきますね。
そうはいっても いったりきたり・・
止まったり、後戻りしたり、迷ったり、
ほんと、それが自分の道になっていくんだな・・と思います。
娘が喜んでくれることをいつも考えています。
難しいけどね・・
それが全てですね。。
最初は知らなくても、いずれ未来=美香ママの
関係がわかったときに
「すごいですね、自分の子供を亡くして
ありがとうがいえるなんて・・・」
悲しいけれど可愛い可愛いわが子を失ったからこそ
わかる感謝の思いがあるわけですよ。
今まで親しくしてた人ほど、いざというときに
助けてはくれませんでしたね。
普段そうでもなかった人が、思わぬ思いやりをくれたりとか、
今は広く浅くの友人は求めてませんね、疲れるから。
お気楽に見えるかもしれないけれど、
私は美香の分まで楽しんでやらなきゃという思いが
心のどこかにあるような気がしてます。
楽しんで報告してあげましょうよ。
あの子の望むことは叶えてあげたい気持ちは、今も同じ。
一番望んでいるのは、元の私に戻ること。
私らしく生きていくこと。
そう頭ではわかっているのに、それがなかなか難しいですね。
それでも、真奈の好きだった嵐の番組を見たり、
CDを聴いたり、ドラマを見たり・・・
そんな時間を持つようになりました。
真奈と一緒に見ているつもりが、私も楽しみになってきています。
『何も楽しむことはできない』と、思っていたころよりは少し進んでいるのですよね。
私はちがうなぁ・・・と思うときもあります。
共感できることは共感し、ちがうところは「なるほど・・・」と考えさせられます。
私自身は、今新入社員のような気持ちでみなさんのブログを読ませてもらっています。
いろいろ勉強させてもらってるというか・・・
それでおそるおそる自分でもやってみたりして。
楽しいときには笑って、おいしいものも食べて・・・
まいこさんの自慢のお母さんでいるのがいちばんですよね!
それは悲しみやまいこさんを忘れたわけでもないです・・・
(名前、zumin's auntから変えてみました)
やっぱりみんな人それぞれで、
それぞれのやり方で生きて行かなきゃ仕方がないんですよね。
同じようにわが子を亡くしても生き方はそれぞれで、
どれが正しくてどれが間違ってるってことはなくて、、、
私はやっぱり私らしく生きて行くよ。
自慢の娘を思いながら逢える日を楽しみに生きて行くよ。。