つらつら日暮らし

永平寺の鐘が響いた日

御開山である道元禅師の時代からは、少し後の記録だが、以下のような一節がある。

△中興和尚、永平寺に御住中、虚空に鐘声鳴る。此嘉暦二年四月十六日也。開山和尚御現住の時も堂に鐘声鳴しが、今吾住山の中にも亦鐘声ありとて、中興和尚御悦不尋常。此鐘声により、軈て勧進に思食し立ち、今の大鐘を鑄立て給。此義、則ち鐘の銘に書付給也。
    『建撕記』


嘉暦2年とは西暦では1327年であり、当時の永平寺は五世・義雲禅師(1253~1333)が住持を勤めておられた時代である。それで、その年の夏安居が始まった4月16日に、空から鐘の音が鳴ったとされている。この現象は、道元禅師の御在世時にも発生したとされる。

 建長三年、当山の奧に常に鐘声の聞ゆる事、自檀越相尋について御返事也。
 御尋について申候。此七八年之間は、度々に候也。今年正月五日子の時、花山院宰相入道と希玄と霊山院庵室に仏法の談議し候処に、鐘声二百聲斗聞へ候。其本京東山清水寺の鐘、若しは法勝寺の鐘の声かと聞ゑ候。
    同上


こちらも、少し後の記録ではあるが、以上の通り永平寺の奥で、常に鐘の声が聞こえていたという。義雲禅師が喜ばれた理由は、御自身は永平寺の中興として、改めて運営を模索していたところに、御開山の時代と同じことが起きたからである。なお、『建撕記』では、このことが鐘の銘で書かれているという。

開山和尚在りし日、鐘声許多、山奧に鳴る。今夏結制後の朝、梵鐘、忽爾に嶺頭に響く。冥符よりの先兆貴ぶべきものか。
    『義雲和尚語録』「永平禅寺鐘銘并序」


先の一節は、この文章を承けて書かれたことである。今夏結制後の朝というのを、4月16日だと解釈されているのである。ところで、この「鐘が鳴る」ことは、何を意味しているのだろうか?以下の一節を見ておきたい。

鐘頌に曰く、一聴鐘声、当願衆生、脱三界苦、得証菩提。
    『正法眼蔵抄』「優曇華」篇奥書


以上の通りだが、これは一見して「当願衆生」と出ているので、『華厳経』「浄行品」からの引用かと思いきや、実は違っており、おそらくは同品を準えて作ったものである。ただ『扶桑鐘銘集』を見てみると、ほぼ同じような偈頌が曹洞宗ではない寺院でも用いられており、いわば中世の日本に於いてその方面では知られていた語句なのかもしれない。

そんなことを思いつつ、簡単な記事で恐縮だが、今日という日付に伴って書いてみた。

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