○山居伝授儀規
一七日間、三時に巡堂し、専精に道心の堅固ならんことを祈祷す。
第七日午後、道場を荘厳し、室内に椅を設け、法被之を覆う。椅の後の壁上に高く両鏡を懸く。椅の前に一卓を設け、卓前に師資の拝席を展ぶ。卓上に華瓶・香炉・燭台・洒水器・松燭〈三把〉・衣鉢・血脈嗣書等を置く。瓶に松枝を挿み、洒水枝の松枝なり。
当晩の昏鐘鳴の後、師、資を引いて道場に入る。道場を繞すること三匝の間、唱えて曰く「南無仏陀耶・南無達磨耶・南無僧伽耶・南無祖師菩薩」。
三匝訖りて、師、先に焼香三拝し、椅に拠りて趺坐す。
次に資、焼香三拝し曲窮叉手して曰く、「生死事大無常迅速、伏して望むらくは和尚、大慈大悲、仏祖の大戒を聴許したまえ」。
師曰く、「仏祖の大戒、今当に汝に授与す。能く護持して違枉することを得ざれ」。
資、三拝し起立す。
師、洒水枝を把りて、自頂及び資頂並びに左右に洒ぐこと、各三返。
資、坐具上に在りて、長跪合掌す。
師、三帰戒を授け、三聚浄戒・十重禁戒、一一常の如く授く。
資、三拝趺坐す。
師、椅を下りて焼香問訊し、道場を繞り唱えて曰く、「衆生仏戒を受くれば、即ち諸仏の位に入る。位、大覚に同じうし已る、真に是れ諸仏の子なり」と。繞ること三匝し訖り、又、椅に拠る。
資、三拝し坐具を収む。
師、椅を下りて卓前に到り、血脈を展べて、自の左臂上に掛け、資を召す。
資、師の左辺に到り、血脈に向かいて触礼一拝、曲躳合掌す。
師、松燭を挙して、師資相伝の名字の処を見せしむ。血脈を以て、資の左肩上に掛く。
資、師に向かいて問訊し、椅の後に到りて血脈を畳み、左袖下に入れ、師の松燭を滅して椅に拠りて趺坐するを見て、卓前に到りて焼香三拝す。
《※以上が伝戒式に相当、以下が伝法式に相当》
師、卓上の班衣を拈じて、資に付す。
資、接収し頂戴して袈裟偈を唱え訖りて、黒衣を脱いで重ねて班衣を披す。
師、卓上の鉢を拈じて、資に付す。
資、摂取し頂戴して鉢偈を唱え訖りて、鉢を卓上に置いて、三拝し起立し、曲躳合掌して曰く、「生死事大、無常迅速、早く仏の慧命を拝請せんと欲す。和尚、大慈大悲哀愍聴許したまえ」と。
師、嗣書を度与して曰く、「仏祖の慧命、我今汝に付す。汝能く護持して軽忽せしむること勿れ」と。
資、曰く、「大慈大悲哀愍故」と、乃ち膝行七歩し、師の前に到る。
師、手を舒べて摩頂して曰く、「汝、向後、毀誉に動ぜざること、須弥山の如くならん。単単に大菩提心を保任して、一切時中に世相を見ること莫れ」と。
資、曰く、「大慈大悲哀愍故」と、乃ち脚根に六膝三拝し(※恐らくは、「脚根に三拝し六膝」が正しいが原典はそう読めない。つまり、師の足下に三拝した後で「膝退六歩」したのである)、坐具を収めて起立す。
師、椅を下りて嗣書を開き、松燭を以て相い照らし、互いに自己の名字を見る。
訖りて、資、書を畳んで懐中に入る。
次に、師、同じく椅に向かいて三拝す。
資、班衣を脱いで畳み、卓上に置いて、師に随って退出す。
翌日、方丈に上りて、焼香九拝し、法恩に謝するなり。
一、血脈は絹或いは紙を用いて之を書くなり。
一、嗣書は必ず絹を用う。絹、長さ三尺五寸なり。上面一尺地を余して、文字を着けず。只、下面二尺五寸地に於いて之を書すなり。
一、空塵書、絹を用いて之を書す。長さ三尺六寸四分なり。
右、嫡嫡相承して今に至る 付授
『日域曹洞室内嫡伝秘伝密法切紙』、『曹洞宗全書』「拾遺」巻・551~552頁、訓読は拙僧
以上である。この内容から留意されるべき事柄を、簡単に箇条書きしておきたい。
・伝戒式と伝法式が続けて行われる。
一応、分かりやすさを考慮して、《》で上下に分けておいたが、実際には伝戒式から流れで伝法式に繋げている。拙僧つらつら鑑みるに、道元禅師は『血脈』と『嗣書』とを等しいものとして扱っている可能性が高く、よって、古来は「伝戒式」と「伝法式」の違いが無かったはずである。それは、永平寺三祖までの最古の史伝である『永平寺三大尊行状記』からも明らかで、道元禅師の門下には、いわゆる「法嗣(伝法の弟子)」以外の項目は無いが、懐弉禅師以下は「伝戒」「伝法」と分けていくことになる。ここには、室内作法の整備や、弟子達のその後の扱いを巡って諸問題(いわゆる三代相論は無関係)が起きたことなど、様々に考えられるが、結局、『仏祖正伝菩薩戒作法』を「伝戒式」とし、新たに「伝法式」の作法書を作って、上記のように混成させたものといえよう。
・準備品に「両鏡」がある。
「両鏡」とは2つの鏡ということで、宗門室中に伝えられる『空塵書』の「塵空両鏡互相照・主伴交参今古明」の字句を実際に表現したものといえよう。式中にも、後半「伝法式」相当の儀規中、『嗣書』を照らす様子に、この字句の影響を見ることが出来る。
・「伝戒式」相当分は『仏祖正伝菩薩戒作法』を略したもの。
明らかに、『仏祖正伝菩薩戒作法』を略したものである。ただし、略し方は独特であり、まず「教授師」が一切登場しない。略されているのは、教授師に因む進退と見て良い。また、資(弟子)による登椅が無く、卓前に坐すのみで、その周囲を師が巡りつつ『梵網経』「衆生受仏戒」偈を唱えている。
・「伝法式」相当分は『伝法室内式』と共通点はあるが、以下の相違点が見られる。
①班衣(いわゆる九条以上の大衣)や鉢が先に授けられる。
⇒『伝法室内式』はその逆であり、いわゆる伝法や『嗣書』授与などが終わった後で、袈裟や鉢盂、竹篦などの「室内伝授物」を一気に授けるのが特徴である。
②「摩頂」後の師の言葉に独自性が見られる。
・末尾の授与品の台紙(台布)・書式について独自性が見られる。
⇒ここから類推するに、当切紙に於ける「三物」は、「血脈・嗣書・空塵書(大事相当か?)」であったと思われる。
簡単な結論として、上記内容から、当切紙に於ける作法は、以下の特徴があったといえよう。
①「伝戒式」相当分は、『仏祖正伝菩薩戒作法』から教授師に因む作法を削除したもの。
②「伝法式」相当分は、『伝法式行法』の略式と見做すことも出来るが、『空塵書』に基づく独自の作法か。
拙僧つらつら鑑みるに、元々、現在のような作法の確定は、江戸時代元禄期の「宗統復古運動」後の様子に過ぎず、中世から近世始めは、多様な室内作法が用いられていた。当切紙も、そのような多様な時代の一端を物語るものとして理解することが出来よう。また、拙僧に限ったことではないと思うが、少しでも室内作法を学べば、『空塵書』という切紙が相当に重要だったことは、すぐに理解出来ると思う。当切紙後半は、『空塵書』の思想や理念を元に作法化したものとの評価が出来るであろう。
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