つらつら日暮らし

マルティン・ルター『九十五箇条の提題』を学ぶ・19

ドイツ宗教改革の発端にもなったとされるマルティン・ルターの『九十五箇条の提題』の日本語訳を学んでいく連載記事である。連載19回目である。

19 たとえ私たちが強く救いを確信しているとしても、煉獄にある魂が自らの救いについて確信し、また安心しているなどということは証明されていない。少なくとも〔そこに置かれている〕すべての魂がそのように確信しているということは証明などできない。
    深井氏下掲同著・18頁


既に【連載17回目】でも述べた通り、煉獄という場所は死者の小罪のある霊魂や罪の償いを果たさなかった霊魂が、天国に入る前に現世で犯した罪に応じた罰を受け、清められる場所とされるのだが、この魂に対して、現世で行う祈りなどが届くと考えられていた。

ところが、ルターは、現世の我々がどれほど救えていると思っても、実際に煉獄にある魂がその想いを共有しているかは分からないと述べたのである。証明は、確かに出来ないというべきであろう。

そうなると、問題はやはりローマ教皇が与えていた救いの根拠になる。そして、今後の記事を見ながら理解していくことになるが、ルターは現世からの救いの射程について、厳しく判断するようになっていくのである。

【参考文献】
・マルティン・ルター著/深井智朗氏訳『宗教改革三大文書 付「九五箇条の提題」』講談社学術文庫・2017年
・L.チヴィスカ氏編『カトリック教会法典 羅和対訳』有斐閣・1962年
・菅原裕二氏著『教会法で知るカトリック・ライフ Q&A40』ドン・ボスコ新書・2014年
・ルイージ・サバレーゼ氏著/田中昇氏訳『解説・教会法―信仰を豊かに生きるために』フリープレス・2018年
・田中昇氏訳編『教会法から見直すカトリック生活』教友社・2019年

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