それで、本書執筆の理由なのだが、加藤師的には、当時の九州で発刊されていた新聞を読んだところ、宗教に対して、時代遅れだの、社会の進化の妨げだの、色々と悪くいわれていたのだが、「通俗の理解に易き仏教主義の書籍を見ざる」ことが問題だと思い、自ら著してみたという。それが、教科書の形を取ったのは、世上に於いて、学校徳育及び修身教授の論が起きていたためだという。
先づ三学とは戒と、定と、慧なり、此三学は仏道修行の大本にして、此三学を具足せざれば、悟道には至られぬ、
○戒とは、仏の説たる法律にして、種々の戒法あり、在家の人には、五戒と、十善戒あり、出家の男僧には、二百五十戒、又た尼僧は、倍して五百戒と云、何れも一言に云へば、品行に正しくすると云より外はないことです、
「第十・三学」項、『小学教科書』21丁裏~22丁表
本書は全体で15章あるのだが、授業ではおそらく1章ごとに採り上げるものなのだろう。その内、全体の項目名の確認をしておきたいが、別の記事でしてみたいと思う。
さておき、上記の通り、仏教に於ける「三学」を扱った箇所である。あくまでも小学生向けの内容だから、ごく基本的なことのみを扱っているのだが、三学の「戒学」を挙げたものである。それで、在家五戒、十善戒、比丘戒の二百五十戒を挙げている。ところで、「比丘尼戒五百戒」については、「三百四十八戒」だという見解もあると思う。
でも、『摩訶僧儀律』巻40、『大智度論』巻13などに「五百戒」という話が出ているのである。おそらくは、後者の影響であろうと思うが、浄土教系の文献だと、善導和尚の『観経疏』にも出ているようなので、その辺の影響か?
それにしても、本書はもちろん、小学校の教科書だから、戒律の詳細について説くことは無い。ただ、浄土真宗の僧侶である著者が、本書で「戒」を扱った理由が分かるのが、「何れも一言に云へば、品行に正しくすると云より外はないことです」に極まるのだろう。本書はあくまでも、道徳や修身のために書かれているので、こういう話が出ている。
と思ったら、声聞戒と菩薩戒の違いについて書かれていた。あれ?ちょっと専門的か?
詳細はまた、何かの機会に書くとして、今日はこのくらい。
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