つらつら日暮らし

お寺で犬を飼う話

なんか、日本の場合、猫は仏教伝来とともに、鼠害対策として連れて来られたという話を聞いたことがあるのだが、犬について、古来よりお寺で飼っていたという話があるらしい。とりあえず、以下の一節などはどうか。

  寺院に狗を養ふ
薩波多律摂に曰く、大寺の内には犬を養て防ぎ守らしむべし。
    子登『真俗仏事篇』巻6


ということで、わざわざ以上の記事があるということは、お寺で犬を飼っていたという話が伝わっているらしい。しかも、典拠らしき文献名も挙がっているので、それを見ておきたい。

蔵門鑰の時、応に私記を作すべし、防守の為の故に随意に狗を養うべし。其の狗を畜うるは、須らく行法を知るべし。若しくは窣覩波及び房院の地なれば、狗の爮爴する所、応に平填すべし、若し不浄を遺せば即ち応に除去すべし。若し修治せざれば、並びに悪作を得ん。
    勝友造・義浄訳『根本薩婆多部律摂』巻4「造大寺学処第七」


まずは、以上の通りである。「造大寺学処」とあるので、大寺を造るときになすべき戒律のことを指していることは明らかである。そのため、先の文献では、「大寺の内には」と断っているのである。なお、上記で言っていることは、そんなに難しいわけでは無い。

要するに、蔵の門などに鍵を掛けた時の防犯のために、犬を飼うべきだというのである。しかし、犬を飼うためには、「行法」があるとし、具体的には、仏塔(卒塔婆)や僧房の近くであれば、犬が地面に穴を掘ってしまったときなどには、埋めて平らにすべきだというのである。

また、不浄(犬のフン)などが遺ったときには、除去すべきだというのである。そして、こういった作業をしなければ、悪作の罪を得るとしているのである。

そういえばこの話、『釈氏要覧』巻中にも引用されている。よって、よほど知られた話だったらしい。それから、気を付けなくてはならないのは、お寺で防犯のために飼うのは良いけれども、それは僧侶個人の飼い犬の扱いではないのである。

なんじ仏子、刀仗・弓箭を蓄え、軽秤小斗を販売し、官の形勢に因りて人の財物を取り、害心を以て繋縛し、成功を破壊し、猫狸猪狗を長養することを得ざれ。若し故に作せば、軽垢罪を犯す。
    『梵網経』巻下「第三十二横取他財戒」


以上の通りなのだが、「猫狸猪狗を長養することを得ざれ」とあって、仏子たる者は、犬などを飼ってはならないとしている。この辺の扱いが難しいところだといえる。とはいえ、声聞律と大乗戒とを無理矢理並べた感もあるし、軽戒だから、重大に捉えなくても良いのかもしれない。

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コメント一覧

tenjin95
> gyoten さん

コメントありがとうございます。

一応、上記のような記事を書いてみましたが、多分、間違ってはいないと思います。

寺院所属、僧団所属、僧侶個人所属と、仏教の律ではこの辺を分けている印象で、犬や猫は僧侶個人所属にはならない印象です。ご指摘のように、修行の邪魔になるからですね。

この観点から、南泉斬猫話を見てみると、また理解が出来る気がします。
gyoten
こんにちは😊
防犯のためなら良いけれど僧個人のためはいけないというのは、愛情が執着になりやすいからなのでしょうかね。
猫も同様で経典を守るためなら良いけれど〜 なのかもしれませんね。
日々修行、すべてが修行、なのですね。
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