師一日、或曹洞宗の寺に至る、
住持雑談の次で曰、某し幼少より乍立小用せず、炉に唾を不吐、
師聞曰、其様な事にても無ては、出家冥加も有、早く一寺にも住し、人にも知る事有べからず、是上ながら、道心冥加の有様に成申度、
亦曰、小僧共に能教ゑたるが能也、必ず乍立小用させめさるるな、出家侍の立小用、見苦敷物也、炉に唾を吐せめさるるな、食物をも炙り、其上香炉の火をも取物也、
総じて曹洞宗は、をつつかみにて律儀なし、誠の道心社無とも、行規計りなりとも正くすべし、責て是程の事也とも無んば、人間に生を得たる甲斐なし、皆恥かきに出たり、咦、我も七十年、恥をかき来れりと也、
鈴木正三道人『驢鞍橋』巻上・61則、カナをかなにするなど見易く改める
鈴木正三道人が、曹洞宗の律儀に関する発言をした貴重な箇所となっている。内容としては、立ち小便についての是非である。まず或る曹洞宗寺院の住持が、自分は子どもの頃から、立ち小便をしたことが無いとし、また「炉」に唾を吐いたことも無いとしている。後者についてはとりあえず、前者を中心に考えてみたい。
まず、立ち小便の問題は、他でも議論されたことが知られている。
師、日暮に橋の辺に在りて納涼す。
因みに一りの小沙弥有りて、自ら橋上に来たりて、暫く橋の畔に止まり、立ちて莎笠を卸し、仰いで地上に有りて掛絡を脱ぎ、之を欄干に掛け、手巾を解き布衫を脱いで、之を莎笠中に置き、傍らの屏処に向かいて、腰を折りて小便す。直に河辺に下りて盥手して漱口し了りて、本処に還りて布衫を著け、掛絡を頂戴して掛け、笠を取りて便ち行く。其の齡十五六計か。
師、熟つら之を視て云く、今の小僧は、江戸中の無上尊なり。
『見聞宝永記』
これは、面山瑞方禅師の本師・損翁宗益禅師の発言である。いわば、自分が着ていた法服を脱ぎ、その上で立ち小便をしなかった沙弥(見習い僧侶)の様子を大いに讃嘆した様子が伝わっている。このように、立ち小便は問題であった。
自今より已去、比丘と結戒す、十句義を集むれば乃至、正法久住す、説戒せんと欲する者は、当に是の如く説くべし、立ちながら大小便することを得ざれ、尸叉罽頼尼なり。
『四分律』巻21「百衆学法之三」
以上の通りである。よって、立ち小便をしないことは、律学にも契った行いだといえる。よって、先の通り、或る曹洞宗の僧侶は自分はしたことが無いと主張し、正三もそれに同意しつつ、若い者達にもしっかりと教育すべきだと主張したのである。その上で、正三は「総じて曹洞宗は、をつつかみにて律儀なし、誠の道心社無とも、行規計りなりとも正くすべし」と示した。「をつつかみ」とは、短い髪の長さを示すが、いわゆる「剃髪」では無い。よって、この言葉が正しければ、正三が生きていた江戸時代前期まで、曹洞宗僧侶は剃髪をしていなかった可能性があるといえる。
後には、古規復古運動などもあって、剃髪が定着したのかもしれないが、この頃は江戸時代に入って渡来した中国僧の影響もあって、剃髪していなかったのかもしれない。そういうことが理解出来る、貴重な文章として正三の言葉を見てみた。
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