居士、あるとき仏印禅師了元和尚と相見するに、仏印さづくるに法衣・仏戒等をもてす。居士、つねに法衣を搭して修道しき。居士、仏印にたてまつるに無価の玉帯をもてす。ときの人いはく、凡俗所及の儀にあらずと。
「渓声山色」巻
ここで、蘇東坡居士は、仏印禅師から「法衣・仏戒」などを授けられたという。この時授けられた「戒」とは、一体何だったのであろうか?
しかあればすなはち、たとひ帝位なりとも、たとひ臣下なりとも、いそぎ袈裟を受持し、菩薩戒をうくべし。人身の慶幸、これよりもすぐれたるあるべからず。
「袈裟功徳」巻
12巻本『正法眼蔵』に分類される同巻に於いては、同じような文脈で、やはり「袈裟の受持」と「受菩薩戒」を説いている。気になるのは、これらの時に想定されている「戒」が何であったのか?ということである。普通に考えてみれば、蘇東坡居士にせよ、皇帝であったとしても、在家には相違ないわけで、「五戒」であったのかとも思う。でも、「菩薩戒」といえば、『梵網経』に出ている「十重四十八軽戒」であったのかとも思う。
そもそも、『梵網経』を見ていれば、この戒を受けるものとして、以下のような想定がある。
仏子、人の与に戒を受けしむる時は、一切の国王・王子・大臣・百官、比丘・比丘尼・信男・信女…〈中略〉…一切の鬼神を簡択することを得ざれ。尽く受戒することを得しめよ。応に教えて、身に着ける所の袈裟は、皆、壊色にして道と相応せしめ、皆染めて青・黄・赤・黒・紫色ならしめ、一切の染衣、乃至、臥具も尽く以て壊色とし、身に著くる所の衣も一切染衣ならしむべし。
第四十軽戒
実は、この項目を始めとして、『梵網経』の戒本については、その解釈に異論が噴出することがあり、上記の場合にも、僧俗を通じて受戒を勧めることと、袈裟(衣)を着けさせるようにとは説いているが、この袈裟については、在家にも適用させるべきかどうかで議論がある。受戒については、この条文は菩薩戒の平等性を最も発揮した箇所としての評価がある(石田瑞麿先生)。
そして、道元禅師及び、その見聞された中国禅宗叢林では、多分に、この辺は平等性、戒も袈裟も僧俗ともに受持するべきものだったのであろう。では、その時の実際の戒の内容は何であったのか?菩薩戒であるからには、「三聚浄戒」を重視したことは間違いないであろう。しかし、何となくだが、「十重禁戒」も授けている感じがする。実はこの辺、禅僧の禅語録などからは、中々見えてこないのである。よって、今回の結論、極めてふぬけた内容だが、良く分からない、という話で終わるのであった・・・
南嶽の鬼神、多く迹を顕して、法を聴く。師、皆、与に戒を授く。
『景徳伝灯録』巻14・石頭希遷章
こういう形で、我々曹洞宗の系統の大先達に当たる石頭希遷禅師は鬼神などにまでも戒を授けたというが、これも一体何を授けていたのだろうか?道元禅師などは、やはり鬼神などに対しては八斎戒だった可能性もあるけれども、そういう理解で良いのだろうか。良く分からない。多分、この時代の人はこう書いてあるだけで、何を授けていたか知ってたんだろうなぁ。
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