つらつら日暮らし

「戒に五分の身業口業有り」という話

『大般涅槃経』の註釈書を見ていたら、少し気になる一節があったので、見ておきたい。

 菩薩、若し能く是の如く堅持すれば、阿耨多羅三藐三菩提戒に至る。
 案ずるに、僧亮曰く、戒に五分の身業口業有り。五戒・十戒・二百五十戒、是れ根本の三乗通行するなり。余の四は、是れ菩薩戒なり。
 覚とは、三善を覚するなり。
 念とは、無相念を念ずるなり。
 正法戒とは、無漏、其の内解に由りて、師授すべからざるなり。
 僧宗曰く、第二科なり。
 宝亮曰く、五枝戒とは、戒体なり。
 根本業戒とは、小乗の四重戒なり。菩薩、心を先と為すと雖も、亦た身口を遺さざるなり。
 前後の眷属とは、第二篇以下に従うなり。是れ四重の余なり。
 覚清浄とは、三毒等、悉く菩薩戒を犯す。此れ明、起たざるなり。
 正念とは、謂く四十軽戒を亦た犯さざるなり。
 回向とは、即ち上の四戒なり。
    『大般涅槃経集解』巻27「聖行品第十九」


これだが、まず最初の1行が経文であり、その後は、経文への註釈となっている。そこで、註釈者である僧亮が、持戒について論じており、「五分の身業・口業が有る」としている。これは、実際の行いと、言葉遣いについて論じているが、在家五戒・沙弥十戒・比丘二百五十戒は、仏教に於いて根本であり、三乗に皆共通しているという。だが、残りの四つは、菩薩戒であるという・・・「四つ」?

ということで、今回はそのことについて調べようと思い、記事にした。もちろん、上記の内容で気になることは複数ある。例えば、「正法戒」とかいうありそうで無さそうな表現。内容は、学人本人の内で会得されるので、師から授けられるものではないとしている。本具の戒か?

それから、「五枝戒」も気になるが、戒体だという。つまり、各々に具わる戒の徳の本質のことだ。

また、「根本業戒」という表現も、ありそうで無さそうな感じだが、いわゆる四波羅夷のことを指している。

まぁ、ここまでは良いだろう。問題は、先の通りで「菩薩、心を先と為すと雖も、亦た身口を遺さざるなり」ということなのだろうか?要するに、菩薩戒は心を先に考えて、具体的な実践とは距離を置いているけれども、それを指すのだろうか?良く分からない。

まとまらない記事なので、最後に1つ、上記で「正念とは、謂く四十軽戒を亦た犯さざるなり」とあって、「四十軽戒」を採り上げている。これは、瑜伽戒なら「四十二軽戒」、梵網戒なら「四十八軽戒」などが想定されるところ、他の場合もあったということになるだろうが、実はこれもよく分からない。

なんだ、分からないことばっかりだな。

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