つらつら日暮らし

「四十八軽戒略頌」について

拙僧の手元に、『〈密宗必須〉三聚戒本』という冊子があって、内容は『梵網経』『瑜伽戒本』『根本説一切有部戒経』の3種の戒本を収録したもので、「密宗必須」とある通り、日本の真言宗で用いたものである。そこで、その中に、「四十八軽戒略頌」が収録されていた。

今日はその「偈頌」を見ておきたい。

  四十八軽戒略頌
前の三十戒は摂善法なり。
末の十八戒は摂衆生なり。
是を梵網後二戒と名づく。
    原典に随って訓読


以上である。これは、『梵網経』の「四十八軽戒」について、前後に区分し、更にその意義付けを行ったものである。それで、この「略頌」であるが、典拠は新羅・義寂による『菩薩戒本疏』巻下之本に「又四十八中、前の三十戒、多く摂善と為す。後の十八戒、多く利生と為すなり」とあることに由来するようである。

そこで、「四十八軽戒」を前三十、後十八に分けられるかどうか、なのだが、以前、拙ブログでは『梵網経』下巻を見ているので、その成果を改めて見ておきたい。「第三十詐親害生戒」とあるのだが、確かに同戒は、「悪心を以ての故に、自身に三宝を謗り、詐りて親附を現って、口には便ち空と説くも、行は有の中に在り。(智顗本:「白衣を経理し、」が入る)白衣の、為に男女を通致して婬色を交会し、諸の縛著を作す。六斎日と年の三長斎月に於いて、殺生・劫盜・破斎・犯戒を作さば、軽垢罪を犯す」とある。確かにこれは、摂善法としての価値付けが可能であろう。

一方で、「第三十一不救尊厄戒」の条文は、「仏言わく、仏子、仏滅度の後、悪世中に於いて、若し外道、一切の悪人、劫賊の、仏・菩薩・父母の形像を売り、経律を販売し、比丘・比丘尼を販売し、亦た発心の菩薩道人を売り、或いは官使と為し、一切人の与に奴婢を作すを、而も菩薩、是の事を見已れば、応に慈心を生じて方便救護し、処処に教化し、物を取りて仏・菩薩の形像、及び比丘・比丘尼・発心の菩薩・一切の経律を購うべし。若し購わずんば、軽垢罪を犯す」となっており、確かに多くの人々を救わんとする内容となっている。

つまり、前後で戒の条文の性格上の違いがあることは明らかである。そして、これから、或る一節について理解が出来た。それは、道元禅師の直弟子とされる経豪禅師が著した『梵網経略抄』に見える「第三十一自り、第四十八軽戒に至る、一一の心、前に云う如し」であり、第三十一軽戒から以下については、説明の多くを省いているのである。その意味について、経豪禅師も「第三十一軽戒」以下については、それまでの三十戒との違いがあると理解されていたためであろう。

なお、『三聚戒本』には、他にも「三聚浄戒総頌」が収録されているが、それもまた、機会を得て採り上げておきたい。

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