つらつら日暮らし

「三徳六味」の話(令和5年度版)

今日は3月6日である。よって、以前から「三徳六味」について記事にしている。この「三徳六味」とは、禅宗の食事作法で唱える偈文に見られる語句である。

例えば、以下の一節などはどうだろうか。

○斎之呪願
 三徳六味 施仏及僧
 法界有情 普同供養
    『諸回向清規』巻1


それで、これを訓読すると、「三徳六味、仏及び僧に施し、法界の有情、普ねく同じく供養せんことを」となる。そうなると、この「三徳六味」とは、三宝に布施すべきものだということになるが、「斎」とある通り、ここでは昼食の食事を「三徳六味」だとしている。なお、「三徳六味」については、『大般涅槃経』を説明に使うことが多い。

 諸もろの優婆塞、仏及び僧の為に、諸もろの食具を弁じ、種種備足せよ、皆な是の栴檀・沈水・香薪、八功徳水の成熟する所、
 其の食の甘美、六種の味有り、一には苦、二には醋、三には甘、四には辛、五には醎、六には淡なり。
 復た三徳有り、一つには軽軟、二つには浄潔、三つには如法なり、
 是の如き等の種種の荘厳を作す。
    『大般涅槃経』巻1「寿命品第一」


以上の通りだが、『大般涅槃経』では、食事の供養について採り上げる。釈尊が死去する原因になったとされる、チュンダの食事に因んだ教えなのだが、その中で、素晴らしい食事の定義として、「三徳六味」が具わったものを挙げている。つまり、供養としての食事の最高峰が、この「三徳六味」なのである。

そういえば、同じ『大般涅槃経』では、「六味」のみ、別の説法で使われている。

云何が六味なるや、苦を醋味と説く、無常は醎味、無我は苦味、楽は甜味の如し、我は辛味の如し、常は淡味の如し。
    『大般涅槃経』巻4「如来性品第四之一」


これは、大乗経典としての『大般涅槃経』を如来が説く意義について、「六味」をかけて説かれたものである。要するに、苦・無常・無我は声聞経典であり、楽・峩・常は大乗経典だというのだが、最初の3つが味として酷く、後者の3つが良い味、とかいう区別が成り立っていない辺りが、どうツッコんで良いのか分からない一節だったりする。

何なのだろうか・・・それから、この「三徳六味」というのは、どういうニュアンスか分からないが、禅問答に使われることもある。

 問う、三徳六味を離れず、還た仏法有りや也た無しや。
 師云わく、秪だ怕じて爾問わず。
 進みて云わく、請うらくは師、道え。
 師云わく、三徳六味、施仏及僧。
    『雲門広録』巻上


三徳六味を、直接仏法と繋げて考えている。しかし、この内容からは、雲門文偃禅師の活躍された時代に、既に「斎時呪願」があったことを理解出来る。仏法とは、施食であるとも把握すべきだといえる。

ということで、今日という日に因んで、「三徳六味」が使われた文章を、幾つか紹介してみた。明日は3月7日なので、「三十七品菩提分法」になるかもしれない。

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