例えば、以下の一節などはどうだろうか。
○斎之呪願
三徳六味 施仏及僧
法界有情 普同供養
『諸回向清規』巻1
それで、これを訓読すると、「三徳六味、仏及び僧に施し、法界の有情、普ねく同じく供養せんことを」となる。そうなると、この「三徳六味」とは、三宝に布施すべきものだということになるが、「斎」とある通り、ここでは昼食の食事を「三徳六味」だとしている。なお、「三徳六味」については、『大般涅槃経』を説明に使うことが多い。
諸もろの優婆塞、仏及び僧の為に、諸もろの食具を弁じ、種種備足せよ、皆な是の栴檀・沈水・香薪、八功徳水の成熟する所、
其の食の甘美、六種の味有り、一には苦、二には醋、三には甘、四には辛、五には醎、六には淡なり。
復た三徳有り、一つには軽軟、二つには浄潔、三つには如法なり、
是の如き等の種種の荘厳を作す。
『大般涅槃経』巻1「寿命品第一」
以上の通りだが、『大般涅槃経』では、食事の供養について採り上げる。釈尊が死去する原因になったとされる、チュンダの食事に因んだ教えなのだが、その中で、素晴らしい食事の定義として、「三徳六味」が具わったものを挙げている。つまり、供養としての食事の最高峰が、この「三徳六味」なのである。
そういえば、同じ『大般涅槃経』では、「六味」のみ、別の説法で使われている。
云何が六味なるや、苦を醋味と説く、無常は醎味、無我は苦味、楽は甜味の如し、我は辛味の如し、常は淡味の如し。
『大般涅槃経』巻4「如来性品第四之一」
これは、大乗経典としての『大般涅槃経』を如来が説く意義について、「六味」をかけて説かれたものである。要するに、苦・無常・無我は声聞経典であり、楽・峩・常は大乗経典だというのだが、最初の3つが味として酷く、後者の3つが良い味、とかいう区別が成り立っていない辺りが、どうツッコんで良いのか分からない一節だったりする。
何なのだろうか・・・それから、この「三徳六味」というのは、どういうニュアンスか分からないが、禅問答に使われることもある。
問う、三徳六味を離れず、還た仏法有りや也た無しや。
師云わく、秪だ怕じて爾問わず。
進みて云わく、請うらくは師、道え。
師云わく、三徳六味、施仏及僧。
『雲門広録』巻上
三徳六味を、直接仏法と繋げて考えている。しかし、この内容からは、雲門文偃禅師の活躍された時代に、既に「斎時呪願」があったことを理解出来る。仏法とは、施食であるとも把握すべきだといえる。
ということで、今日という日に因んで、「三徳六味」が使われた文章を、幾つか紹介してみた。明日は3月7日なので、「三十七品菩提分法」になるかもしれない。
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