goo blog サービス終了のお知らせ 

つらつら日暮らし

村山正栄『彼岸の信仰』に学ぶ2(令和4年春・彼岸会)

この春彼岸は、村山正栄『彼岸の信仰』(三密堂書店・大正14年)を学んでいきたいと思う。ところで、昨日の記事ではいきなり本文に入ってしまったが、本書の目次を紹介するのを忘れていたので、紹介しておきたい。

(一)緒説
(二)暦説より見たる彼岸の語義と其来由
(三)仏説より見たる彼岸の語義と其来由
(四)両義語の渾融
(五)我が国彼岸会の起原
(六)彼岸信仰の今昔


以上の通り、彼岸の語義について、暦の観点からと、仏説の観点から見ているのだが、彼岸会理解の難しさはこの辺にあると思う。そもそも、春分・秋分という太陽の動きに因んだ法会であるが、それ以外にも、真西に沈む太陽に向けて西方極楽浄土を観想し念仏するなどの行法、或いは太陽がこの日、中天を動くことから、兜率天の中陽院の信仰などが生まれた。

更に、仏説云々については、「彼岸」或いは「到彼岸(彼岸到)」という訳語の問題に帰着するものである。梵語のパーラミターを「波羅蜜」と音写することは、能く知られているが、その意訳として「到彼岸」などが使われたのである。

そして、これらの来由がない交ぜになったものが、現状の彼岸会に至るのである。

それから、ない交ぜになった、というのはあくまでも仏教や宗教を研究する立場からいわれることであり、本書でも到達したい考察対象としての民間信仰としては、上記内容の何か一部を上手く取り入れたものであると思う。

そのため、暦説や仏説を検討した上で、敢えて本書では「我が国彼岸会の起原」を採り上げるのである。詳細は明日以降、見ていきたいと思うが、以上のような難しさがあるという前提の上、お付き合いいただきたい。

この記事を評価して下さった方は、にほんブログ村 哲学ブログ 仏教へにほんブログ村 仏教を1日1回押していただければ幸いです(反応が無い方は[Ctrl]キーを押しながら再度押していただければ幸いです)。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「仏教・禅宗・曹洞宗」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事