(一)緒説
(二)暦説より見たる彼岸の語義と其来由
(三)仏説より見たる彼岸の語義と其来由
(四)両義語の渾融
(五)我が国彼岸会の起原
(六)彼岸信仰の今昔
以上の通り、彼岸の語義について、暦の観点からと、仏説の観点から見ているのだが、彼岸会理解の難しさはこの辺にあると思う。そもそも、春分・秋分という太陽の動きに因んだ法会であるが、それ以外にも、真西に沈む太陽に向けて西方極楽浄土を観想し念仏するなどの行法、或いは太陽がこの日、中天を動くことから、兜率天の中陽院の信仰などが生まれた。
更に、仏説云々については、「彼岸」或いは「到彼岸(彼岸到)」という訳語の問題に帰着するものである。梵語のパーラミターを「波羅蜜」と音写することは、能く知られているが、その意訳として「到彼岸」などが使われたのである。
そして、これらの来由がない交ぜになったものが、現状の彼岸会に至るのである。
それから、ない交ぜになった、というのはあくまでも仏教や宗教を研究する立場からいわれることであり、本書でも到達したい考察対象としての民間信仰としては、上記内容の何か一部を上手く取り入れたものであると思う。
そのため、暦説や仏説を検討した上で、敢えて本書では「我が国彼岸会の起原」を採り上げるのである。詳細は明日以降、見ていきたいと思うが、以上のような難しさがあるという前提の上、お付き合いいただきたい。
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