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つらつら日暮らし

『梵網経』から盂蘭盆会へ

今回の記事を書くに当たり、以下の一節を頂戴してみたい。

更に進んでは仏陀甘露の妙法を以て親を済度し親をして転迷開悟成仏得脱せしむるが如き、或は此世の親ばかりで無く過去世の親や先祖の供養を行ふが如きは、大孝中の更に大孝なるものである、盂蘭盆は正しく此大孝中の大孝たる仏事なのぢや、我国は神代の昔しより惟神の道として忠孝一体といふ教が定つて居る、仏教儒教の伝はるに及んで其道は益々明らかに世に現はれて来たぢや、忠と孝とは道徳の源泉であるから、之を君と親とに対する単純なる義務とのみ思ふてはならぬ、梵網経には所謂常住仏性の孝順心・慈悲心の発現したものぢや、
    『永平悟由禅師法話集』鴻盟社・明治43年、66頁


これは、大本山永平寺64世・森田悟由禅師の御法話を参照したものである。この御法話から、我々の菩薩戒の根本聖典である『梵網経』から、何故「盂蘭盆会」に展開されるかが明示されているため、それを参究してみたい。

まず、先に結論を申し上げておけば、『梵網経』と、「盂蘭盆会(或いは『盂蘭盆経』)」に共通するのは「孝」である。例えば、『盂蘭盆経』であれば、「孝順」が4箇所、「孝慈」が1箇所であるが、「孝順」についての同経での説示は、以下のようにまとめられている。

仏、諸もろの善男子・善女人に告げたまわく、「是の仏弟子の孝順を修する者、応に念念中に常に父母を憶い、乃至、七世の父母を供養すべし。年年の七月十五日、常に孝順を以て、所生の父母、乃至、七世の父母を慈憶し、為に盂蘭盆を作して仏及び僧に施して、以て父母の長養、慈愛の恩に報ぜよ。若しは一切の仏弟子、応当に是の法を奉持すべし」。
    『仏説盂蘭盆経』


以上のように、「孝順」が供養の源泉となっており、そのために「盂蘭盆会」に展開される様子が理解出来よう。それで、先ほど引いた森田禅師のご見解について、『梵網経』と関わることが指摘されているが、同経には「孝順心」に関する説示があるが、例えば下巻の戒本中、「十重禁戒」のみを見てみても、3箇所「孝順心」が出ており、菩薩戒の持戒と孝順心とが合致する様子が分かる。更に、森田禅師が意識されていたのは、以下の一節などであろう。

仏の言わく「仏子、なんじ自ら殺し、人に教えて殺さしめ、方便して殺すことを讃歎し、作すを見て随喜し、乃至、呪して殺さば、殺の因・殺の縁・殺の法・殺の業あり。乃至、一切の命ある者は、故らに殺すことを得ざれ。これ菩薩は、応に常住の慈悲心・孝順心を起こし、方便して一切の衆生を救護すべし。しかるに自ら心を恣にし、意を快くして殺生せば、これ菩薩の波羅夷罪なり」。
    『梵網経』「第一不殺生戒」


要するに、この孝順心・慈悲心は常住なる仏性に由来すると、森田禅師は示しておられるのである。「孝順心」だけであれば、他の大乗経典に見えるが、「慈悲心」との組み合わせになると、『梵網経』が最も際立つことになる。よって、森田禅師はここを、供養の源泉として取り出されたのである。

我々にとって、『梵網経』は菩薩戒の根本聖典としてのみ評価しがちであるが、供養の心の源泉という観点から見ても、重要な経典であることが理解出来た。

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