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テレサ・テン(鄧麗君、Teresa Teng)の残照

『テレサファン』

昨年の3月21日には、場末のスナックで「女の生きがい」を歌い続ける、あるご婦人の話題を書きました。
そこで今年は、スナックへ行くといつもテレサの曲を歌っていた、私が昔勤めていた職場で一緒に働いていた、ある「テレサファン」の話をしたいと思います。

その人物を仮に「Uさん」としておきます。
Uさんは、学校を卒業し、北海道の田舎で20年以上の長きに渡り、とある職場で地道に働いていたのですが、諸事情により、どうしても田舎では暮らしにくくなってしまったようでした。
そこで、田舎を離れ、都会の人混みに紛れて生きる道を選択し、私が当時務めていた職場へと逃げるようにやってきたのでした。
実に人の良さそうな顔立ちでしたが、外見のみならず、本当に優しい人でした。やはり、テレサファンは優しい人が多いようです。
そういえば、どことなく川谷拓三さんを彷彿とさせる風貌でした。

私がかつて勤めていたその職場の面々は、経歴も様々で、元高校教師、元銀行マン、早稲田大学出身の元大企業戦士、倒産した中小企業の元経営者…など、そのまま順調に人生を歩んでいれば、今頃はそこそこの暮らしをしていたであろうに、と思える人が多くいました。

こういう言い方がふさわしいのかどうか分かりませんが、それぞれ何らかの大きな挫折を経験し、行き場のない想いを抱えた人々が肌を寄せ合い、心の古傷を慰め合っているような職場でもありました。

その職場では、ほぼ毎月、月末に打ち上げと称して料亭で食事をし、その後スナックへ行き、カラオケでバカ騒ぎをするのが恒例行事になっておりました。
同じ営業所で働いている正社員7~8名でスナックへ行き、カラオケで最低1人1曲は歌うことになっていたのです。

おおむね営業所の所長から歌い始めることが多かったと記憶しておりますが、若い頃歌手を目指していた人や、元ホストクラブのホストだった人などもいたので、自然にマイクが次々に渡っていき、いつもUさんが最後になることが多かったのでした。

Uさんは、あまり歌が上手い人ではなく、なおかつ自分から出しゃばる性格でもなく、その職場は中途採用の社員ばかりだったのですが、その中でもUさんは比較的新しく採用された人でもあり、皆から勧められるまで歌うことはありませんでした。

「Uさん、まだ歌ってないよ。何歌うの?」

そう勧められると、元来、酒を呑むのは好きだったUさんは、だんだん酔いが回ってくると日頃の羞恥心も薄れてしまい、音程が外れようがどうしようが全く意に介さず、堂々と歌い始めるのでした。

Uさんが新入社員として入ってきた時、私が付いて仕事を教えたこともあり、当時の年代ははっきり覚えていますが、ちょうどテレサが日本の歌謡界に復帰し、「つぐない」がヒットし始めていた1984年の初夏の頃でした。

ですから、テレサファンだったUさんが歌うのは、決まって「つぐない」か「空港」だったと記憶しております。

Uさんが歌い終わると「Uさん、またテレサ・テンか。さては、テレサ・テンのチャイナドレス姿が忘れられなくなったな。」と、よく所長にからかわれていたものです。

それでもUさんは、懲りることなくテレサの歌を歌い続けましたが、その職場に長く勤めることなく、1985年の年末には辞めてしまいした。

最後の頃には、レパートリーに「愛人」が加わったのは言うまでもありませんが、1986年に大ヒットした「時の流れに身をまかせ」をUさんが歌う姿は、とうとう見ることはできませんでした。

Uさんとはそれっきりになってしまい、今どうしておられるのか全く分かりませんが、私にはUさんのことが強く印象に残っております。

Uさんは、日頃は穏やかで優しい人でしたが、ある時「女は男を狂わす魔物だ」と語ったことがありました。

その、日頃穏やかなUさんが語った「女は男を狂わす魔物だ」という言葉がなんとも鮮烈で、ご自身の苦い体験から生み出された言葉であることは、疑う余地はありませんでした。

40代半ばで長年勤めた職場を辞め、田舎を離れ、家族とも生き別れになり、都会の人混みの中に身を隠すように生きざるを得なくなったUさんの悲哀が、「女は男を狂わす魔物だ」という言葉の中にすべて込められていたように感じました。

私はよほど苦い体験をされたのだなとは思いましたが、触れてはいけないUさんの古傷だと思い、詳しい事情まで聞くことはできませんでした。

ただ、この「女は男を狂わす魔物だ」という言葉は、裏を返せば女性が魅惑的に見えるということでもありますから、テレサのチャイナドレス姿には、きっと魅せられていたに違いありませんが、Uさんがテレサのファンであった理由は、ただそれだけではないでしょう。

はからずもUさんが生きてゆく中で味わった悲哀。
その深い心の傷をテレサの歌が癒やしてくれていたことは間違いないと思います。

テレサは、ご自身の体験の中で感じてきた悲哀を、厳しく恵まれない生活を強いられている多くの人々への慈悲心へと昇華し、社会的弱者への援助を続けていました。

そのようなテレサの慈悲心が、歌を聴いた多くの人々の心を癒やすことになったのだと思います。

冒頭で少し触れた川谷拓三さんがテレサと一緒に写っている写真を見出しに使いましたが、写真にはマイクを持って嬉しそうに話している川谷さんが写っています。
どこかのライブにゲスト出演された時のものだと思いますが、写真の様子から察するに、川谷拓三さんもテレサファンだったのでしょう。

川谷さんが俳優として売れるまでは、斬られ役、殺され役専門で、死体の役も随分演じられたようです。
そのような下積みの頑張りが報われ、やがて人気者になりましたが、1995年にテレサが他界したその年の暮に、54歳で亡くなられています。

川谷さんも若いころ随分苦労された方でしたが、テレサはその苦労を癒やしてくれる存在ではなかったのでしょうか。
それから、きっとテレサの人柄の良さにも惹かれていたのではないかと思います。

さて、テレサファンのUさんの話に戻りますが、文章を書いているうちに、Uさんに聴いたある話を思い出しました。

それは、Uさんがある労働組合の機関紙の編集に携わっていたという話です。
ですから、Uさんは、政治にも大変関心があり、ご自身の意見を機関紙に書き、人々に訴えていた人物でもありました。

熱烈なテレサファンであれば、テレサが民主化のために闘ったことは当然知っているでしょう。

天安門事件で、民主化を求めて結集していた一般市民を軍事力を以って制圧した中国共産党に対して、臆することなく反対する姿勢を表明したテレサの生き様を、決して忘れることはできません。

Uさんがお元気であれば、ロシアがウクライナへ軍事力を以って進攻している昨今の状況を、きっと嘆いていることでしょう。

最後に、テレサやUさんや多くのテレサファン共々、軍事力による制圧や侵攻に対しては断固反対しつつも、国民一人ひとりの人権が守られる、真の民主主義国家が一つでも多く生まれることを祈りながら、今回は話を終えたいと思います。

 

※参考文献
・『鄧麗君 歌姫-特選テレサ・テンの世界-歌物語』

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