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テレサ・テン(鄧麗君、Teresa Teng)の残照

『月亮代表我的心』

1989年6月4日は、民主化を求めて天安門広場に集まっていた学生や市民に対して、中国政府が軍事力をもって鎮圧するという暴挙に出た、大変悲しい事件が起きた日です。その天安門事件から本日で33年が過ぎました。

さて、先日5月30日22時からNHKで『映像の世紀 バタフライエフェクト…我が心のテレサ・テン』が放送されました。

ご覧になった方も多かったと思いますが、日本のテレビ局が制作したテレサ・テンの番組としては、異色の内容だったのではないでしょうか。

テレサが日本でリリースした歌で番組で使われたのは、彼女の日本でのデビュー曲『今夜かしら明日かしら』と『雪化粧』だけでした。日本デビュー時の来日記者会見の映像のバックグラウンドミュージックとして『今夜かしら明日かしら』が流れ、そのすぐ後のテレサのインタビュー映像のバックグラウンドミュージックとして『雪化粧』が流れました。

一番スポットが当てられた歌が『月亮代表我的心』という彼女の代表曲でした。中国語圏では大変人気のある曲で、2011年に台湾で中華民国建国百年記念の「最も愛される歌」に選ばれています。

番組が伝えたい内容が、“テレサが歌う『月亮代表我的心』が華人たちにどれだけ大きな影響を与え続けてきたのか”ということだったので、日本でのテレサの代表曲は特に必要なかったということでしょう。

この番組で流れた映像は、私も初めて見るものも多く、大変貴重な番組でした。

特に印象に残った映像は、呉栄根が台湾へ亡命した時の記者会見の様子でした。この時、テレサも同席していましたが、呉栄根が「大陸では誰もがあなたの歌を聴いています」と語ったときに、テレサが下を向いて顔に手を当て、その後ハンカチで涙をぬぐっている姿でした。

生涯一度も中国の土を踏むことのなかったテレサでしたが、まだ見ぬ大陸の人たちがテレサの歌を聴いているという事実が大変うれしかったのだと思います。

この呉栄根が台湾へ亡命した時の映像の少し前に、テレサの歌が大陸のすみずみにまで知れ渡ったことをどう感じていますか?と聞かれたインタビューがありますが、テレサは、「とてもうれしいです。信じられない思いです。冗談を言われているのかと思いました。」と答えています。

テレサのご両親は大陸出身であり、テレサの親戚も暮らしている大陸の人々が自分の歌を聴いてくれていることを知り、感慨もひとしおだったのでしょう。

若き日の習近平氏もテレサの「小城故事」が最も好きで、テレサのカセットを聴きすぎてテープが擦り切れてしまったとの話もあり、びっくりしました。

香港では、天安門事件が起こる少し前に民主化支援コンサートが開かれましたが、その時のテレサの勇姿も見ることができ、感動しました。

テレサ亡き後も、香港では様々に民主化運動が展開されてゆきましたが、歌手で俳優のデニス・ホーさんが、『月亮代表我的心』を歌いながら民主化運動をしている姿を見て、テレサの歌と共に民主化運動の精神が受け継がれていることを知り、大変うれしく思いました。

ただ、大変残念なことに、香港では多くの民主活動家が逮捕されてしまい、人権が守られていない状況になっています。

習近平氏も、テレサの歌に影響を受けた人間なのですから、せめて少しでもテレサが願っていた民主化への歩みを始めてもらいたいものだと感じました。

最後に『月亮代表我的心』という歌は、思想や政治体制を超え、台湾でも香港でも中国でも多くの人々に歌い継がれています。

テレサ・テンという歌手と『月亮代表我的心』という歌は、これからもテレサが歌に込めた感情と共に、多くの人々の心に永遠に生き続けてゆくことでしょう。


※参考資料
・『映像の世紀 バタフライエフェクト…我が心のテレサ・テン』NHK
・平野久美子著『テレサ・テンが見た夢』筑摩書房刊

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