<「中野際」の風景>
●歩いた日:2023年5月3日(水)
●歩いた所
・野荒町:伊豆林、前谷地、篭林、篭林後、町ノ内
・境 田:篭林
・金 沢:下野際、中野際、上野際、南明田地、碇、狐森、中谷地、味噌森、高畑、寺田
●歩いたログ(足跡)(道のり7.9km)
(以上の地図:国土地理院)
(「上野際」から)さらに東に進むと十字路に至る。右手(南)に折れて「出川」にかかる橋に足を延ばす。橋の上から上流方向を望む。
📸010:「中野際」の風景
この辺りの「出川」は、流れが川幅いっぱいに均一で、雑草なども生えていないので、川底が舗装されているようだ。
「中野際」は「出川」の北側一帯に大きな集落を形成している。そのたたずまいを眺めようと、橋から引き返して十字路を突っ切り、北に向かう。
十字路から少し行ったところ、道の右側に大きな池がある。これも湧水なのだろうか。
池を過ぎてすぐ右折し、「中野際」の中を巡るように歩いて、また「出川」沿いの道に出る。
東に少し進むと水路がある。ログ地図にある「田沢疎水幹線用水路」である。「出川」の方を望むと、流れて来た水は「出川」に落ちるようになっており、ここが幹線用水路の終点であることがわかる。水路の少し上流を見たいと思い、左折して北に進む。
📸011:「南明田地」の一角
田んぼの代掻き作業の前でまだ水が来ていない。
右にカーブした道の先に建つ家のすぐ先が「出川」である。これまでのブログに登場した「田沢疎水幹線用水路」は、満水の時期には大人が溺れそうになるような大きな水路だったが、ここは最末端だけに、こんな狭い水路になっている。
繰り返しになるかも知れないが、改めて「田沢疎水幹線用水路」について少し触れると・・・。
「田沢疎水幹線用水路」は、「東山(奥羽山脈)」の麓に広がっていた広大な未墾地(原野)を開田して食糧の増産を図るため、S12年からS37年までの25年間(戦中や戦後の混乱期に大幅な工期延長を余儀なくされた)にわたる国の事業によって完成した水路である。取水口は「仙北市」の旧「角館町」と「田沢湖町」の境にある「抱返り渓谷(玉川)」で、水路は、「大仙市」の旧「中仙町」、「太田町」、「美郷町」の旧「千畑町」、「六郷町」を流れ下り、旧「仙南村」のこの地が終点で、その総延長は30.6kmに及ぶ。この後(S38~45年)に建設された「第二田沢幹線用水路」(25.5km)とともに、「仙北平野」を全国有数の食糧基地に一変させた歴史的遺産とも言える農業施設で、2006年(H18年)に「農林水産省」の「疎水百選」にも選ばれている。
左手の家辺りは、ログ地図には「上野際」と表記されているが、調べると「南明田地」となっており、奥の道脇の家が「上野際」である。
同じ場所から西を望む。
(「中野際」の風景2)
左手の家々は「中野際」である。右端の木立のあるところは、ログ地図に記入されている神社の建つ場所で、「篭林」の「皇太神宮」前と同様に、ここにも広場作られているようだ。
手前の田んぼは、圃場整備の最後の仕上げ、作土(稲を栽培するための耕土)を均す作業を終えたばかりのようだ。
ここから引き返し、📷011に写る左手の家のすぐ先を左に折れ、道なりにしばらく進む。
昔からの道らしく大きくカーブしながら東に延びており、道沿いには大きな屋敷にゆったりと家が建つ。道の右(南)側が「上野際」で、左(北)側が「南明田地」である。
北から来る道と合流し、南に少し進んだところで振り返る。
📸012:「上野際」の風景
左手の手前に見える家々は「上野際」、奥に見える家々は「南明田地」。その境となっている道を左から右に歩き、杉木立のところでこの道に出て、手前に来たところ。
この道を右手奥(北)に行くと、「旧六郷町六郷東根を往く」(2019.12.2~掲載)で歩いた「一ツ屋」である。次回はこの間を歩いてログ(足跡)を繋げたい。
(⑤に続く)
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