2007年1月31日、夕方7時半からの昭和町タイムリー講座「著者を囲む読書会」に参加してきました。
今回は岩波文庫「山の旅」の山梨県立文学館・近藤信行館長さんを囲んでの会でした。
はじめに館長さんから、ご自身の山と文学との関わりについてのお話をしてもらい、その後参加者からのお聞きしたいことについて丁寧にお答えしていただきました。
近藤館長さんの最初の山登りは、昭和21年の富士登山で、御殿場から登り頂上のお鉢巡りをして、眼下に富士五湖など雄大な景色を眺めたことで、山に魅入られてしまったこと、
また神田神保町の岩波書店をとりまく長い行列を見て、それが折しも岩波文庫の発売日だとわかり、その行列に並んで何冊かの文庫を買って読んだことで、本読みにはまってしまったとのことでした。
当時読まれた本では、堀口大学の詩集や大島亮吉のエッセイ「山-随想-」などに感銘を受けたこと、
雑誌「山岳」のバックナンバー(明治39年創刊)を一括して、当時数万円という大枚をはたいて購入してしまわれたということなど、
館長さんのお人柄のよくわかるお話をいろいろ聞かせていただくことができました。
山には文学、民族、宗教、科学が織り交ざっていることや、心ある文学青年が山に情熱を注いでいることに感銘を受けられたことで、山の文学をこよなく愛されていることもわかりました。
いろいろお話された最後に、「山は人間にとって何なのか」ということを、小島烏水の書き著した「山を讃する文」を読まれて締めくくられました。その一部を紹介しておきます。
(友人の山崎紫紅と、甲府から金峰山へ登り、八ヶ岳から甲斐駒ケ岳へと巡る途中の台ヶ原にて)
・・・而して上下跋渉の間、心胸、豁如(かつじょ)、洞朗、昨日の我は今日の我にあらず、今日の我はおそらく明日の我にあらざらむ、而してこれ向上の我なり、いよいよ向上して我を忘れ、程を逐ひて自然に帰る、・・・
昨年の夏には、大宮口(現在の富士宮口)から富士山に登り、吉田口に下りられて吉田の火祭りを楽しまれたようですが、ますますお元気で活躍していただきたいと思います。
現在は「山と文学」について執筆中ということですので、発刊を楽しみにしています。
今回は岩波文庫「山の旅」の山梨県立文学館・近藤信行館長さんを囲んでの会でした。
はじめに館長さんから、ご自身の山と文学との関わりについてのお話をしてもらい、その後参加者からのお聞きしたいことについて丁寧にお答えしていただきました。
近藤館長さんの最初の山登りは、昭和21年の富士登山で、御殿場から登り頂上のお鉢巡りをして、眼下に富士五湖など雄大な景色を眺めたことで、山に魅入られてしまったこと、
また神田神保町の岩波書店をとりまく長い行列を見て、それが折しも岩波文庫の発売日だとわかり、その行列に並んで何冊かの文庫を買って読んだことで、本読みにはまってしまったとのことでした。
当時読まれた本では、堀口大学の詩集や大島亮吉のエッセイ「山-随想-」などに感銘を受けたこと、
雑誌「山岳」のバックナンバー(明治39年創刊)を一括して、当時数万円という大枚をはたいて購入してしまわれたということなど、
館長さんのお人柄のよくわかるお話をいろいろ聞かせていただくことができました。
山には文学、民族、宗教、科学が織り交ざっていることや、心ある文学青年が山に情熱を注いでいることに感銘を受けられたことで、山の文学をこよなく愛されていることもわかりました。
いろいろお話された最後に、「山は人間にとって何なのか」ということを、小島烏水の書き著した「山を讃する文」を読まれて締めくくられました。その一部を紹介しておきます。
(友人の山崎紫紅と、甲府から金峰山へ登り、八ヶ岳から甲斐駒ケ岳へと巡る途中の台ヶ原にて)
・・・而して上下跋渉の間、心胸、豁如(かつじょ)、洞朗、昨日の我は今日の我にあらず、今日の我はおそらく明日の我にあらざらむ、而してこれ向上の我なり、いよいよ向上して我を忘れ、程を逐ひて自然に帰る、・・・
昨年の夏には、大宮口(現在の富士宮口)から富士山に登り、吉田口に下りられて吉田の火祭りを楽しまれたようですが、ますますお元気で活躍していただきたいと思います。
現在は「山と文学」について執筆中ということですので、発刊を楽しみにしています。