予定としては志賀高原の次に、一般道で野尻湖や黒姫高原に向かうつもりでしたが、この(道の駅「北信州やまのうち」)辺りから霧が出ており、そして時間的に難しかった為断念し、信州中野ICから上信越自動車道に乗りました。
これから、上越方面を目指します。
ここから向かう先は、観光ではなく、個人的に調べたくて行きましたので、名所と呼ばれる所には立ち寄っていません。
向かう先とは、新潟県中頚城郡頚城村(現在は平成の市町村合併により、新潟県上越市となっています)という所。
信州中野ICからは71キロ離れた大潟PA(上越JCTより北陸自動車道に入ります)まで行きます。
さて、何をしに行くかというと、以前から○滝は、ご先祖のいた地を自分の目で見て、肌で感じたいと思っておりました。
ここ最近、戸籍をよく目にする事が多く、調べていくうちに曽祖父がそこの人だという事が分かりました。
小学生の時、「わたしの昭和史」というテーマで戦前戦後から現在(20年以上前になりますが)に至るまでの当家の変遷について調べた事がありました。
その時から、新潟から東京に出てきたという認識はありましたが、具体的に誰がどこから来たのかという事は知りませんでしたので、今回のドライブの目的の一つに組み込み向かった訳です。
残念ながら現住所は分かりません、戸籍に記載されている所在だけを頼りにその近辺に向かいました。
大潟PAで高速道を下り、一般道へ。
まずは、北越急行ほくほく線 くびき駅 へ向かいました。
くびき駅に着きましたが、駅前ロータリーにはクルマが止まっているものの、商店も無ければ、人もいません。
駅構内に入り、時刻表を見ると上下線ともに一時間に一本程度。
駅員さんも見当たらず、仕方なく公衆電話の電話ボックスへ。
電話帳から、それらしい名前を探す事にしました。
しかし、電話帳を開いてびっくり、○滝は、都内でもそんなに多い名前では無いですし、以前勤務していた2千人規模の一部上場企業でも私一人、生まれてこの方、親戚を除いて、同じ名前の人と出会ったのは二人だけなのに(芸能人は除きます)、1ページもあります。
その中から探すのは、やはり至難の業、諦めて別の手段に移りました。
頚城村役場(現、頚城総合事務所)に向かい相談する事にします、ただ、現住所はわからないですし、100年位前の人の名前を出されても、当然特定する事は難しく、「この地区の中のどちらかかもしれません」という回答が精一杯。
その地区(4軒ありました)と思われる地図のコピーを頂きました。
変な相談にもかかわらず、丁寧に応対して頂き総合事務所の方、本当にありがとうございました。
地図に基づいて現地へ行ってみると、集落はありますがそれ以外は一面たんぼです。
以前、周囲に何も無い所だと聞いた事はありましたが、本当に見事な位何もありません。
何も無いだけにきっと曽祖父がいた時と景色が大きく変わっていないだろうと信じつつ、しばらくの間、その辺りを歩いてみました。
私の親が知らない所に一人で来て、この地にたどり着けただけでも満足感でいっぱいでした。
この続きは、その3へ。
これから、上越方面を目指します。
ここから向かう先は、観光ではなく、個人的に調べたくて行きましたので、名所と呼ばれる所には立ち寄っていません。
向かう先とは、新潟県中頚城郡頚城村(現在は平成の市町村合併により、新潟県上越市となっています)という所。
信州中野ICからは71キロ離れた大潟PA(上越JCTより北陸自動車道に入ります)まで行きます。
さて、何をしに行くかというと、以前から○滝は、ご先祖のいた地を自分の目で見て、肌で感じたいと思っておりました。
ここ最近、戸籍をよく目にする事が多く、調べていくうちに曽祖父がそこの人だという事が分かりました。
小学生の時、「わたしの昭和史」というテーマで戦前戦後から現在(20年以上前になりますが)に至るまでの当家の変遷について調べた事がありました。
その時から、新潟から東京に出てきたという認識はありましたが、具体的に誰がどこから来たのかという事は知りませんでしたので、今回のドライブの目的の一つに組み込み向かった訳です。
残念ながら現住所は分かりません、戸籍に記載されている所在だけを頼りにその近辺に向かいました。
大潟PAで高速道を下り、一般道へ。
まずは、北越急行ほくほく線 くびき駅 へ向かいました。
くびき駅に着きましたが、駅前ロータリーにはクルマが止まっているものの、商店も無ければ、人もいません。
駅構内に入り、時刻表を見ると上下線ともに一時間に一本程度。
駅員さんも見当たらず、仕方なく公衆電話の電話ボックスへ。
電話帳から、それらしい名前を探す事にしました。
しかし、電話帳を開いてびっくり、○滝は、都内でもそんなに多い名前では無いですし、以前勤務していた2千人規模の一部上場企業でも私一人、生まれてこの方、親戚を除いて、同じ名前の人と出会ったのは二人だけなのに(芸能人は除きます)、1ページもあります。
その中から探すのは、やはり至難の業、諦めて別の手段に移りました。
頚城村役場(現、頚城総合事務所)に向かい相談する事にします、ただ、現住所はわからないですし、100年位前の人の名前を出されても、当然特定する事は難しく、「この地区の中のどちらかかもしれません」という回答が精一杯。
その地区(4軒ありました)と思われる地図のコピーを頂きました。
変な相談にもかかわらず、丁寧に応対して頂き総合事務所の方、本当にありがとうございました。
地図に基づいて現地へ行ってみると、集落はありますがそれ以外は一面たんぼです。
以前、周囲に何も無い所だと聞いた事はありましたが、本当に見事な位何もありません。
何も無いだけにきっと曽祖父がいた時と景色が大きく変わっていないだろうと信じつつ、しばらくの間、その辺りを歩いてみました。
私の親が知らない所に一人で来て、この地にたどり着けただけでも満足感でいっぱいでした。
この続きは、その3へ。
お父様の生まれ故郷は北海道夕張なんですか?現在は、市自体が特に大変な所ですね。
きっと、お父様もいろいろな思いがあるのではないかと、想像します。
しかも、簡単に行ける所でも無いですし、ドライブには不向きですね。
○滝は以前から歴史が好きですから、このようなドライブも苦になりません
ひとりでぶらりとお墓参りに行くとのことですが、それは私も同じですね、
両親ともに下町で生まれ育ち、親類も都内、埼玉、千葉、神奈川の近い所にいますので、お墓参りも行きやすいのです。
父の生まれ故郷(北海道夕張)ですら、幼い頃に一度行っただけなので、記憶が曖昧です。
祖先の事を調べるのも、なかなか面白そうですね~
。
なかなか充実した一日でしたね
我が家の父方の祖母も新潟の人です。
高田市というところだそうですが、私は一度も行ったことがありません。
先祖のことを考えるようになるというのは、それだけ我々も年齢を重ねたということなんでしょうね。いい旅をされたと思います。
我が家のお墓は鎌倉にあるのですが、たまにひとりでぶらりとお参りに行きます。そこには祖父と、一度だけ抱っこしてもらったことのある叔母が眠っております(叔母は20代で亡くなってしまいました)
E46をお墓のすぐ横に止めて、お花を手向けて、お線香を焚いて、心の中で「俺の車見てくれよ!俺も車を運転して来るようになったよ」と話しかけると、ちょっと切ない気持ちになります。