2017年10月25日、「氷川きよし32枚めのシングル」として「限界突破×サバイバー」がリリースされました。2月5日のテレビサイズ(ホップ)→8月26日のフルサイズでの配信(ステップ)からの完成形(ジャンプ)になります。
https://columbia.jp/artist-info/hikawa/discography/COZC-1387-8.html
歌唱はこちら↓
https://m.youtube.com/watch?v=ZW7gqSBQ4VI
シングルCDを試聴して論評される近田春夫さんが「考えるヒット」で取り上げてくださいました。
曰く
※この曲はアニソンとして大変よく出来た作品である。
※演歌とは全く違う洋楽フィールドのビート、リズムを、演歌歌手氷川きよしが見事にコントロールしている。むしろ水を得た魚といっていい歌いっぷりっある。
※聴けば聴くほど、演歌を歌う時のあのクセのある歌い方/発声とはかけ離れた、自然体の唱法。実はこちらがシンガー氷川きよしの本来の姿かもしれない。
そうした感想を述べられた後、「この曲が新曲だということは、(演歌中心の)ステージではどういった扱いになるんだろうか?」
「氷川きよしのお客さんは九割方がおばあちゃん。ドラゴンボールの世界を受け入れてくれるのか?或いはこの曲は、『これからは高齢者は切り捨てますよ』という宣言なのか?」
と疑問を呈されたのです。
近田さんの最後の疑問は、ある意味とても示唆的です。
このコラムを読んだ時は、「近田さん、切り捨てるだなんて大袈裟な」と反発したのですが、表現方法は違えど、「限界突破×サバイバー」が後々「Kiinaを支持していくか、リタイアするか」という選択のある意味"ふるい"の役割を担うことになったのは間違いありません。
ただしそれは「氷川きよしが高齢者を切り捨てる」のではなく「ドラゴンボールの世界に象徴される新しい方向を行く氷川きよし』をこれまでのファンが切り捨てるかどうか、という選別です。
歌手・タレントとファンの関係性は、どんな時も選ぶ主体はファンにありますから。
Kiinaがこれまでに歌手として歩んできた道は「氷川きよしにはこうであって欲しい」というファンの希望にどう応えていくか、と考えながら歩んできた道でした。
そこへ、もうひとつの全く違う道が指し示されました。Kiinaが等身大の自分をさらけ出しながら自分自身も楽しんで歌える道です。そこに「限界突破×サバイバー」がありました。
「この先、どっちの道を選ぶ?」と自分自身に問いかけて、Kiinaは「限界突破×サバイバー」の道を選択しました。その先にどんな困難が待ち受けていても、です。
それを「ファンへの裏切り」「わがまま」と非難した方もいましたね。
それはおかしい。
「歌手としてどんな道を歩むか」の主体は、あくまでも歌手本人です。ファンでもスタッフでもありません。
そして、それを支持するかどうかの主体はファンにあります。「自分には合わないな」と思ったら降りればいいだけのこと。
とてもシンプルなことなのです。
こうして7年後に、この時の「考えるヒット」を読み返してみると、近田さんの指摘はどれも的を射ているし、予言者でもあったんだなぁとも思います。
やはり近田さんは天才なのだと改めて思います。