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氷川きよしについて ★ by とねりこ

☆"茶色い戦争"の終結へ〜KIINA.の歌声でたどる昭和史⑩

※勘太郎月夜唄〜1943年(昭和18年):KIINA.2000年

https://m.youtube.com/watch?v=l7b3bSScvKU

映画「伊那の勘太郎」の主題歌として小畑実さんが歌われ、大ヒットしました。小畑さんは日本統治下の朝鮮で生まれましたが、終戦までは出自を日本としていたそうです。「勘太郎月夜唄」の前に「湯島の白梅」がヒット、KIINA.はこの歌もカバーしていますね。

 

この曲が出る2年前の昭和16年12月6日のハワイ・真珠湾攻撃を契機に日米は全面開戦へ。人命も経済も測り知れないほどの犠牲を出しながら、それから4年もの間日本は戦争を終わらせることが出来ませんでした。

国民の戦意高揚のため、音楽家も芸術家も文学者も協力を強いられました。音楽家は軍歌や戦時歌謡を作り、画家は戦争画を、作家は戦争賛美の詩や文章を綴りました。

日本の正義を信じて積極的に協力した人もいれば、時節柄やむを得ない選択をした人も、中には自分の節を曲げず沈黙を通した人もいたことでしょう。

満洲からの引き揚げを体験されたなかにし礼先生は、ご自身の番組にKIINA.を呼んでくださり「戦争を賛美する歌は、名曲であればあるほど罪が重い」と、音楽家の責任というものに言及されていましたね。

 

レオナルド・フジタという名でフランス画壇の寵児であった藤田嗣治はヨーロッパでの戦禍を逃れて日本に帰国していましたが、この時期に軍の依頼で数多くの戦争画を制作しています。

その中で最も有名な「アッツ島玉砕」という作品をご覧になった方もいらっしゃるでしょう。

ちょうど「勘太郎月夜唄」が出された昭和18年、日本軍が激しい攻防の末にアッツ島をアメリカ軍に奪われ、初めて「玉砕」という言葉が使われた戦闘の模様を描いたものですが、乳白色の肌の美しい女性を描いた同じ画家の絵とはとても思われないほど、日本兵もアメリカ兵も正視するのが辛くなるほど生々しい絵です。

「玉砕」「転進」。軍はあらゆる言葉を弄して国民に戦争の真実を誤魔化し続けました。「おかしいなあ…」と薄々感じながら、多くの国民は「勘太郎月夜唄」を楽しく聴いていたのでしょうね。

 

中原中也の詩に「サーカス」という作品があります。

その一節

「幾時代かがありまして

茶色い戦争がありました」

中原中也はこの戦争が始まるずっと前に亡くなっていますから、この「茶色い戦争」は第二次大戦ではありませんが、文学少女あるあるで中也大好きだった私の中で「戦争=茶色」のイメージになっていました。藤田の「アッツ島玉砕」も、一面茶褐色に塗られているのです。

 

アルバム「昭和歌謡史」の収録曲で終戦前の曲は「勘太郎月夜唄」が最後です。

ヤレヤレという気分がどこかにあります。歌の時代背景を書くのに、やはり戦争の時代は気が重いのです。

どの歌もKIINA.が素晴らしく歌っているだけに、その同時代にやってはいけない戦争があって、沢山の尊い命と人生が奪われたと思うのは気が重かったです。

 

「味わい尽くす♬」では、こんなことを書きました。

https://blog.goo.ne.jp/tazutazu3232/e/d4978d2824f2a05e964b5a54dabf8b10

コメント一覧(10/1 コメント投稿終了予定)

元布団の中のお母さん
新年も、早いもので今日は、『大寒』!

 とねりこさん、重みのある昭和史は、
セピア色の影で忘れれてはならない事実ですね〜

若いきよしくんの歌唱は、なかにし先生も絶賛して下さり、これからも歌い続けていかれるのも使命になりますね〜

☆明日の歌謡スクランブル『平成演歌集』
トリで、♪浪曲一代 がかかります♡
チャチャチャ
とねりこさん、みつこさん、皆さんおはようございます。悲しい時代、本当に戦争の意味は何だったのでしょう。勝利した戦いも敗戦した戦いも犠牲になった方々は帰って来ません。
(名誉な事だったのでしょうか。)
世間話として戦艦武蔵の建造に関わった人と最後を見届けた人の話を聞いて普通に話せる時代が来たのかなあって思いました。
でも歌は死なない、歌は歌ってくださる人がいる限り生き続けて行きます。歌唱れる方の解釈で、また聴く方の感じ方でそれぞれが違っていても歌は生き続けていきます。
KIINA.も戦争は知りません。でもKIINA.の曲としてKIINA.の感じ方、会釈で生き続けて行くと思います。私はKIINA.の曲として聴いて行きたいと思います。

余談ですが豪華客船(飛鳥Ⅲ)がドイツで建造され夏には帰って来ると思います。日本の方々が沢山出向されていました。日本で建造されると良かったのですが不況続きで出来ませんでした。でも豪華客船は平和の象徴のような気がします。
トマト
とねりこさん
皆さんおはようございます😊
有明遠征組の皆さんお疲れ様でした
楽しかったですね〜
私は翌日、初めての会場3月のチャリティーのサントリーホールの下見に行って来ました。徳光アナと紀香さんの司会のチャリティーのNHKホールには参加した事有りますがサントリーホールは初ですね
段々遠征では格好よりも安全第一で完全武装で(w)行くのですがサントリーホールはちと考えたほうが良いかな?
ちょっとでもKIINA.のファンで有る事ばれます様に…w
それにしてもロシア、アメリカ、イスラエル、隣国迄政治は滅茶苦茶。
KIINA.を追っかけて居られる日本はまだましかもです。
とねりこさんのブログの冊子化実現出来ると良いなぁ
若いKIINA.のスタッフにも貴重な資料になる事間違い有りません
勝手な思いを書き込みすみません。
劇場パンフ注文しました
ファンクラブ入会ももう直ぐですね。
5月からのコン再開楽しみ
ワクワクの春来たるですね〜🥰
藪つばき
おはようございます。「勘太郎月夜唄」、よく耳にしたことのある馴染み深い歌でしたが、戦前のヒット曲だったんですね。知りませんでした。小畑実さんのお顔は朧げながら浮かんできます。
そんな大変な時代だからこそ、人々はこんな流行歌に癒されていたのでしょうか。
透き通った青空に突き抜けるような、若いきよしくんの歌声は、そんな悲しい時代のことを忘れさせてくれるような明るさがありますね。そのことがかえって私たちの心を揺さぶるのでしょうか。
とねりこさんの「戦前にあった歌のことを書くのは気が重かった、これでヤレヤレという気分です」というお言葉には、本当におっしゃる通りだろうなと思い、「お疲れさんでしたね、ありがとうございました」と言葉をおかけしたい気持ちになりました。これからの歌は戦争もやっと終わり、人々の心にもほのかなともしびが灯り始めて行く頃のことになるのでしょうか。
読ませていただくのは大変楽しみなことなのですが、無理をされないかと心配です。くれぐれもご自愛下さい。
これからも、色々な方面から掘り下げて解説して下さる含蓄深い(知識が浅くてこんな言葉しか出てきません)とねりこさんの文章を読ませていただくことを楽しみにしています。
みつこ
東京から先ほど帰宅。娘や妹のお陰で色々な所を巡り東京を堪能しました。もちろん一番はKIINA.のコンサートでした。本当にいい思い出が出来ました。その一方でTVではガザの茶色の荒廃した様子が流れ、ネットでは捕虜になった北朝鮮の兵士が自殺しているとのニュース。日本で平和と幸せを満喫しつつ、ほんの80年前の日本も茶色の瓦礫の町で捕虜にならない為に自決した人々がいた事を忘れてはなるまいと思っていました。とねりこさんの今日のブログありがとうございました。
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