立野広志かけある記

日本共産党洞爺湖町議会議員 立野広志 の活動報告

「洞爺湖町非核平和の町宣言」決議しました

2008年03月27日 | 議会
洞爺湖町は2006年3月27日に、虻田町と洞爺村が町村合併し新町が誕生しました。

合併前の洞爺村では、当時日本共産党村議として孤軍奮闘していた奈良太郎さんが、昭和63年3月の村議会で「平和非核の村」宣言を提案し、議決されました。
その後、村には「平和非核の村」宣言搭が建てられ、教育委員会などの援助で、原水爆禁止世界大会に洞爺高校生(村立)が参加したり、修学旅行先に広島の原爆資料館を訪れるなど、村内外で平和教育にも力を入れてきました。

奈良太郎村議が病気で亡くなられた後には、こうした活動も停滞し、いつしか宣言塔も撤去されその所在すらわからなくなってしまったのです。

 町村合併によって、それまで両町村が個々に行っていた各種宣言は白紙となってしまいました。新町において改めて宣言しなければなりません。
 行政側からは、これまで両町村が宣言していた、交通安全や暴力追放などとともに、洞爺村が唯一行っていた「平和非核の村宣言」についても、議会への打診がされたのです。
 私は、平和宣言の必要性を主張し、宣言の原案とその解説文をまとめ、会派代表者会議に提出しました。一人議員であるために会派代表書会議の構成メンバーとはなれませんが、会議の傍聴の際、傍聴者からの発言が認められ、宣言原案の説明を行ったのです。

 同時期に、公明党からも宣言案が提案され、共産党と公明党間で宣言案を調整し、全議員協議会に諮って後、本会議において、議会決議として提案する運びとなりました。
 他の議員からは原案に対する異論もなく、全会一致で「洞爺湖町非核平和の町宣言」が議決されなした。

洞爺湖町非核平和の町宣言文
「hikakuheiwasengen.pdf」をダウンロード




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