

遺構が発見されたのは 左側の倉庫の下 (2008年1月 撮影)

年代は異なるが 軌道はここにもあった (2008年6月 撮影)

新港橋も軌道跡をデザインに残している

見学会当日の様子







工事が進む 最近の様子
2008年10月 横浜市中区
Panasonic DMC-FZ18
港の貨物線遺跡が出土/横浜市中区・東西上屋倉庫跡
2008年6月8日 神奈川新聞 カナコロより引用
「東西上屋(うわや)倉庫」(横浜市中区海岸通)の跡地で、明治・大正期に使われていたとみられる鉄道のターンテーブル(転車台)が見つかった。公園整備中の土中から突然姿を現した。専門家によると、関東大震災(一九二三年)以前にあった横浜税関の貨物引き込み線の施設だった可能性が高く、発見されたのは初めてという。発展期の港湾の様子を今に伝える、重要な資料になりそうだ。
転車台は車両を回転させて向きを変えるための設備で、見つかったのは四基。いずれも金属製で直径は約二・四メートルあり、人力で動かす構造とみられる。四基は岸壁に向かって一列に並び、互いに線路でつながっている。それらと直角に交差する四本の線路もある。線路の幅は、JR線などと同じ一〇六七ミリだった。
明治から大正にかけて、この一帯には輸入貨物を保管する上屋など、横浜税関の施設が集中していた。転車台は、震災で崩壊したこれらの施設のがれきとみられる”地層”の下、深さ七十~九十センチの地中から見つかった。
同税関は「震災以前の一九〇〇(明治三十三)年に発行された税関周辺の地図には、転車台を示すとみられる四つの丸印が記されている。明治時代には既に存在していたのではないか」と推測する。
当時の横浜港には、桟橋や上屋、倉庫の周囲に総延長約八キロの線路が張り巡らされ、百五十両のトロッコが行き交っていたという。横浜マリタイムミュージアムの志澤政勝副館長は「転車台は、近くの大さん橋で降ろした輸入貨物を税関の上屋まで運ぶために使われていたのだろう。当時の横浜港内の鉄道の写真はほとんど残されておらず、岸壁まで鉄道が引き込まれていた事実を示す物証といえる」と話している。
◆東西上屋倉庫 1949年、港運業者などが中心となり設立した株式会社。開港150周年に伴う横浜市の公園整備計画の一環で、6月初旬に本社を近くの大さん橋ふ頭ビルに移した。転車台は、1号倉庫(約2200平方メートル)跡地から出土。現存する2号倉庫なども間もなく解体される。