丹 善人の世界

きわめて個人的な思い出話や、家族知人には見せられない内容を書いていこうと思っています。

野球(2)

2011年02月11日 | 個人史
ミスターが嫌いな理由がもう一つあった。

彼が偉大な選手であるのは事実だから認めよう。
巨人の監督やって、1年目は大コケしたのは、コーチ経験もなくいきなり監督やってパフォーマンスだらけだったからという理由で認めよう。反省して2年目からはまともに監督をつとめたのも認めよう。
成績不振になって監督を辞めたのはよくある話だから別に彼の責任でもない。

ただ気になるのは、彼が監督を辞めた後、他球団からしきりに誘いの声がかかったこと。しかし彼はかたくなにそれを拒み続けた。理由は分からない。その球団は他の監督を呼んだ後も、彼を待ち続けるという態度を示したが、一向に誘いには乗らなかった。まるで、もう監督業は嫌になったかのような姿勢で。

しかし、再び巨人軍から声がかかった時、二つ返事で監督に返り咲いた。結局彼を待ち続けていた球団はコケにされたわけだが、彼がその球団に行きたくなかった理由は語られない。言えることは、結局彼は巨人しか目には入っていなかったということ。巨人のことしか考えていないと言うこと。
彼を称してミスタープロ野球と呼ぶ人もいるが、とんでもない。プロ野球界発展のことなんかまったく眼中にはない。

彼と並び称されるもう一人の偉大な選手にO選手がいる。彼も引退後は巨人の監督も務めたが、辞めた後、誘われるままに人気のないパリーグの僻地でもある福岡の球団の監督になって、そこで実績を残した。彼こそプロ野球界全体のことを考えた人物だと言える。それに比べてミスターの人間的な小ささは何だろうかと思う。
そんな彼を持ち上げようとする風潮がどうしても我慢できない。
彼が二度目に巨人の監督についたとき、もうプロ野球に何の魅力も感じなくなったと言える。野球のことを無視すればいいんだと思うようになって、それ以来野球には関心がなくなった。