丹 善人の世界

きわめて個人的な思い出話や、家族知人には見せられない内容を書いていこうと思っています。

我が家のルーツ

2008年11月02日 | 個人史
昔アメリカのTVドラマで「ルーツ」というのが話題になった。差別の中にいるアメリカの黒人が自分の先祖を調べるという物語。アフリカから奴隷として連れてこられた初代から奴隷として苦しい生活を強いられてきた子孫たち、そして南北戦争を経て奴隷解放されてからもなお差別の中で戦っていく物語だとか。実は一度も見たことはないのだが。
そんな時代、自分たちのルーツ探しというのがブームになったことがある。それぞれの家系がどんな先祖から出てきたのか尋ねるという。

我が家の先祖が淡路島に住んでいたというのは先に書いた。一旗揚げようと祖父が上京し、東京で結婚して戻ってきたけれど、あまりの田舎加減に嫌気がさした祖母は二度と近寄らずそのまま大阪暮らしとなって、その後祖父母が亡くなってからは祖先の地をまるで知ることもなく、調べようもないままにいた。

ところがある時、淡路島に住むAさんという人から、我が家の家のことについて知らせる頼りが突然届いた。

事情は次のような次第。
淡路島に高速道路が通ることになり、Aさんの家の側を通るのに土地の買い上げと言うことになったのだが、なんとその一部にほんのわずかだけれども我が家名義の土地が引っかかったと言う。我が家とAさんの家は隣同士で、遠い昔に我が家の女性が嫁いだ先を初代としてAさんと親戚付き合いをしていたらしい。祖父が家を離れる際にAさんに後のことをすべて任せていたという。

土地を勝手に処分することは出来ず、本来の所有者である祖父を訪ね求めようにも調べるすべがなく、国の事業と言うことで、役所が調べてくれたようだ。祖父が亡くなり、本来あとを継ぐはずの長男もすでに亡くなっていることが判明し、土地の所有権として3人が候補に挙がり、所有権を確定すると共に相続権の放棄を行って欲しいという。祖父の次男である父と、祖父の長男の長男である義兄と、三重県に住む祖父の弟の(これも亡くなっているので)長男の3人に同じ文章が送られてきた。

ということで、夏のある日、僕が運転手として3人を連れてフェリーで淡路島に渡る。渡った先のわかりやすい場所でAさんが待っていて、Aさんの先導で祖先が住んでいたという場所に行く。生まれて初めて先祖が住んでいた場所を訪れることになった。祖母が嫌がったのも納得できるような本当に田舎で、車でやっと行ける場所で、祖父母はどうやって行ったのかそれを考えると本当に嫌になる。
手続きは簡単に済み、先祖のお墓と言う所にも案内してくれた。本当にちっぽけな形にもならない、あるだけという墓ではあったがAさんがきちんと管理をしてくれているという。

それから両親との間で賀状のやりとりだけはあったのだが訪れるというようなことはなかったが、先年の阪神淡路大震災でまさに震源地となって、連絡を取ればお墓がすっかりこけてしまってしっかり起こしてくれたとか。起こすというような作業も必要ないくらいの物なのだが。ということで、父はすでに亡くなった後だったが、見舞いに母と兄たちとで訪れることにする。行ったことのあるのは僕一人。住所も田舎のこととてそれだけでは行けるわけがない。高速道路ができて周辺も整備されたので、記憶もかなり怪しくはなってはきていたが、それでも一発でたどり着けることは出来た。

直下型の地震ではあったが、幸いなことにAさんの家は直前に立替を行ったばかりで、基礎工事で土台をしっかりしていたから、地震の時は家全体が真上に飛び上がり、そのまま横にずれて落ちたという。だから、家全体を持ち上げてまた土台の上に据えるとまったく何もなかったかのように元に収まったという。もちろん近所の家はほとんどつぶれていたのだが。
近くに温泉の施設もできるからと誘われてはいたのだが、その後一度もAさんの家を訪れることはなかった。

昨年久しぶりに記憶を頼りに近くを走ってみたが、お墓がどこだったか、たぶんこれだろうというのは見つかったが確信はない。ピンポイントではなく、このあたりのどこかが祖先の住んでいた場所だという、そんな雰囲気だけの存在になってしまった。


この項目、一度書いてどういうわけかエラーでアップできずに、書いた文章もすべて消えてしまって、改めて書き直しました。