
あの日から1年――。広島市で小学1年の木下あいりちゃん(当時7歳)が殺害された事件を受けて、市は今月から、毎月22日を「子ども安全の日」に制定。子どもを守る取り組みを継続する。この日も市立小の7割以上にあたる104校が集団登校を実施した。保護者や地域住民らは「子どもの安全を守ろう」と改めて誓った。
あいりちゃんが通っていた市立矢野西小学校の児童は、この日午前7時半ごろから、保護者らに付き添われ集団登校した。
同小体育館で午前8時45分に始まった「安全・祈りの会」で、土田真理子校長は「あいりさんは看護師になりたいという夢が、かなえられなかった。私たちがあいりさんの分まで夢を実現するようにしましょう。あいりさんが毎日見守ってくれているので、命を大切に生きていきましょう」と児童に語りかけ、全員で黙とう。壇上には児童が折った千羽鶴が飾られ、あいりちゃんの父建一さん(39)が寄せたメッセージが披露された。
メッセージは、娘への思いをつづり、「あいりの分まで、幸せにそして出来るだけ長生きしてください」と記されたもの。会の終了後、土田校長は「1年がたっても悲しみは消えない。二度と悲しい事件が起きないよう、保護者や地域の支援を受けて、子どもが安心に学べるようにしていきたい」と声を詰まらせながら語った。
◇木下あいりちゃんの父建一さんが矢野西小学校の児童に寄せたメッセージは次の通り。(原文通り)

一年を振り返って
あれから早いもので「あいり」が亡くなり、一年が経(た)ちました。
私たちは皆さまの多大なるご協力により随分と救われることができました。「あいり」が亡くなったことにより、皆さまの子供に対する意識が大きく変わり、地域による登下校時の見守り活動などのボランティア活動が活発になった事は大変うれしく思っています。
歌を歌ったり話をするのが大好きで笑顔の絶えない「あいり」が居なくなり、今では明るさも消え家の中はすっかり静かになりました。それだけ「あいり」の存在は大きかったのです。
昨年の夏の終わりのある日、千葉から一緒に引っ越してきた、とても可愛がっていたカブトムシが亡くなると、弟と一緒にお墓を造って、手を合わせて供養したことがありました。その時、まさか3ケ月後に、自分自身が、望みもしない死を遂げて、お墓の中に入り供養されるとは、想像すらしなかった事でしょう。
生前から、私たちに「なぜ人は死ぬの、死んだらどこへ行くの、どうすれば生き返るの」などと聞いており、命は決して永遠ではないことを知り、子供なりに命の大切さを解(わか)っていたのではないかと思っています。そのため、死ぬ寸前あるいは、死んだ後に、自分がどのようになったのかを少しは、理解することが出来たのではないかと思うと、せめてもの救いになっています。しかし、私たちは「あいり」の死に目に会えず「さようなら」の一言も言ってあげることが出来なかったことは、非常に残念で悔やまれます。
もし、「あいり」自身が、みなさんと別れることを知っていたなら最後の言葉として、
「みんな ありがとう 短い間だったけど 楽しかったよ さようなら」この様に言ったのではないかと思います。
みなさんは、まだ若く夢も希望も無限にあります。あいりの分まで、幸せにそして出切るだけ長く生きてください。
平成18年11月22日木下建一
犯人トレス・ヤギは、極刑をもって償うべきだ

あいりちゃんが通っていた市立矢野西小学校の児童は、この日午前7時半ごろから、保護者らに付き添われ集団登校した。
同小体育館で午前8時45分に始まった「安全・祈りの会」で、土田真理子校長は「あいりさんは看護師になりたいという夢が、かなえられなかった。私たちがあいりさんの分まで夢を実現するようにしましょう。あいりさんが毎日見守ってくれているので、命を大切に生きていきましょう」と児童に語りかけ、全員で黙とう。壇上には児童が折った千羽鶴が飾られ、あいりちゃんの父建一さん(39)が寄せたメッセージが披露された。
メッセージは、娘への思いをつづり、「あいりの分まで、幸せにそして出来るだけ長生きしてください」と記されたもの。会の終了後、土田校長は「1年がたっても悲しみは消えない。二度と悲しい事件が起きないよう、保護者や地域の支援を受けて、子どもが安心に学べるようにしていきたい」と声を詰まらせながら語った。
◇木下あいりちゃんの父建一さんが矢野西小学校の児童に寄せたメッセージは次の通り。(原文通り)

一年を振り返って
あれから早いもので「あいり」が亡くなり、一年が経(た)ちました。
私たちは皆さまの多大なるご協力により随分と救われることができました。「あいり」が亡くなったことにより、皆さまの子供に対する意識が大きく変わり、地域による登下校時の見守り活動などのボランティア活動が活発になった事は大変うれしく思っています。
歌を歌ったり話をするのが大好きで笑顔の絶えない「あいり」が居なくなり、今では明るさも消え家の中はすっかり静かになりました。それだけ「あいり」の存在は大きかったのです。
昨年の夏の終わりのある日、千葉から一緒に引っ越してきた、とても可愛がっていたカブトムシが亡くなると、弟と一緒にお墓を造って、手を合わせて供養したことがありました。その時、まさか3ケ月後に、自分自身が、望みもしない死を遂げて、お墓の中に入り供養されるとは、想像すらしなかった事でしょう。
生前から、私たちに「なぜ人は死ぬの、死んだらどこへ行くの、どうすれば生き返るの」などと聞いており、命は決して永遠ではないことを知り、子供なりに命の大切さを解(わか)っていたのではないかと思っています。そのため、死ぬ寸前あるいは、死んだ後に、自分がどのようになったのかを少しは、理解することが出来たのではないかと思うと、せめてもの救いになっています。しかし、私たちは「あいり」の死に目に会えず「さようなら」の一言も言ってあげることが出来なかったことは、非常に残念で悔やまれます。
もし、「あいり」自身が、みなさんと別れることを知っていたなら最後の言葉として、
「みんな ありがとう 短い間だったけど 楽しかったよ さようなら」この様に言ったのではないかと思います。
みなさんは、まだ若く夢も希望も無限にあります。あいりの分まで、幸せにそして出切るだけ長く生きてください。
平成18年11月22日木下建一
犯人トレス・ヤギは、極刑をもって償うべきだ

