気がつけば、はや7月、
今年ももう半分が終わってしまったのですね
相変わらずバタバタと走り続けています。
でも、バタバタの合間には娘の結婚式の写真を眺め、余韻にも浸っています。
若く元気な頃から
『良ちゃんの花嫁姿を見るまでは、元気で頑張るで!』が母の口癖でした。
娘は娘で
『どうしても ばぁばに花嫁姿を見せたい!』
『小さかった頃、忙しいおばたん(←私のこと)に代わって、いつもばぁばが私に色んなことをさせてくれた!あの頃は、ばぁばの家に行くんだけが楽しみやった!ばぁばは、私のお母さんの代わりやったもん。』
ずっと言ってくれていました。
そんな母が認知症になり、施設にも入所し、
今ではもう私のことも娘のことも分からなくなってしまい、
母に娘の花嫁姿を見せるのはムリと思っていました…と言うか『絶対ムリ!』と自分に思い込ませていました。(娘いわく「おばたんは自己暗示が強すぎる」)
娘が『ばぁばを結婚式に呼ぶ!』と言った時、私は猛反対し、娘と大喧嘩しました。
このコロナ禍の中、施設の人にも迷惑が掛かる…
車椅子の母が来る事で、式や披露宴の進行が滞ってしまっては、
娘の旦那さんやご両親にも申し訳ない…
それに、義父母にも気を遣うし…
何度も娘と話し合いました。
娘、
『ばぁばを呼べんのやったら、結婚式をする意味がない!』とまで言い出し、まったく譲らず…
そこまで想ってくれているなら…と、
プランナーさん、施設の職員さん、娘の旦那さんとご家族…まわりの皆さんにご理解とご協力を求めることを決心し、
母が来れるように…と計画を立て直しました。
母の担当の看護師は、私の大親友なのですが、
『みゆきちゃん!こっちの事は何も心配せんでええで!私がかよ子さんをちゃんと連れていくから!!任せといて!!』と言ってくれました。
プランナーさんも、他の参列者に迷惑が掛かったり、
式や披露宴に影響がない時間帯に、
娘がゆっくりと母と過ごし、たくさんの写真が撮れるようにスケジュールを組んで下さいました。
そんなこんなの葛藤があり迎えた当日、
着付けとヘアセットを済ませ、
控え室を出て一番に母の姿が目に入ってきた時、
私はもう胸がいっぱいで言葉が出ませんでした。
しかも母の膝の上には、父の遺影が…
親友が、母の部屋から父の遺影まで持ってきてくれていました。
母だけでなく、
父にまで娘の花嫁姿を見せる事が出来て、
私の顔は、まだ式も何も始まっていないと言うのに涙と鼻水でグチャグチャになってしまいました。
私の顔は、まだ式も何も始まっていないと言うのに涙と鼻水でグチャグチャになってしまいました。
結婚式も披露宴も終始ウルウル。
披露宴最後の花嫁からの手紙では
↑こんな内容のメッセージを読み上げてもらいました。
今までの苦労が全部報われた気がしました。
主人へは、
小さかった頃、お父さんお母さんが忙しくて、保育園や学校が休みの日に遊んでもらえず寂しくて、正直、家の仕事のことが理解出来なかったこと、
でも今は、一緒に仕事をするようになり、お父さんの漉いた和紙がどれだけ素晴らしく、皆に愛されているか、分かるようになった…と言ってくれていました。
隣にいた主人の顔を見る余裕はありませんでしたが、
主人も胸にグッとくるものがあったことと思います。
貰った手紙は、結婚式の案内状などと一緒に、家にあった桐箱に入れました。
娘の母子手帳も一緒に…
宝物として大切に置いておこうと思います。
母を結婚式に呼べてホント良かった…
まわりの方々のご理解とご協力のお陰で夢を叶えることが出来ました。
そして、
たくさん喧嘩したけど、そこまで母のことを大切に想ってくれている娘に感謝の気持ちでいっぱいです。