晴耕雨読

本年三月に退職、現在は京都で通勤農業に励んでいます

親の責任

2009-09-09 10:20:10 | Weblog
最近中学生に携帯電話を持たせるかどうかが問題になっている。親として持たせたくないのだが、さりとて子供の「持ちたい」という願望を抑えることにも多少の迷いがある。できれば学校で一斉に禁止してもらえないかというような意見が堂々と語られている。こんな話を聞くと「親の責任をどう考えているのか」と腹立たしくさえなる。
私が現役の時代には「ダイヤル9ツウ」というのがあった。これはこの番号に電話すると情報が流れてくる代わりに莫大な情報料を請求されるのである。
ある保護者が「なんとかなりませんか」と駆け込んできた。「子供を指導できないのなら電話をはずしない」と答えたことがあった。
この二つに共通するのは「親の責任の放棄」である。私は時に触れ折に触れ「親の責任」の自覚を訴え続けた。


        「親の責任」

毎日のように、生徒が担任や生徒指導係りの先生に呼び出されて、校長室にやってきます。
本校では、教室に余裕がありませんので、校長室が会議室になったり生徒指導室になったり、保護者との懇談の場になったりします。
私は、校長室がこのように活用されることか大変嬉しいのです。なぜならそれぞれの学年の動きや生徒の状況が細かく把握できるからです。

         <生徒の背景にあるもの>

校長室で生活上の問題で指導を受けている生徒の様子を見ていますと、二つの原因があるように思われます。
先ず第一には、「家庭のなかの問題」が原因となっている場合。第二には「本人自身の挫折」が原因となっている場合です。
先ず第一の原因である「家庭のなかの問題」についていえば、家庭が子供にとって安らぎの場でなくてはならないのです。しかし、現実的には、子供にとって「家庭が安らぎの場」でないことが多いのです。
親が子供の顔を見るたびに「勉強しなさい」「早くしなさい」など指示や小言を矢継ぎ早に言います。親子の間で、会話や心の交流が途絶てしまっています。
さらに、子供にとって最も辛いことは、子供の前で親が争うこと、とりわけ「離婚」が語られることです。
子供が家庭のあり方について、自分で自分の考えや意見を主張することができる場合はいいのですが、このことが上手く出来ない子は現状から「逃避」しようとします。
それが「夜遊び」という形で現れたり、「喫煙やシンナーの吸引」、さらには「髪型」や「服装」を他のものと違えることによって、自己主張をすることがあるのです。
校長室で指導を受けている生徒の中には、このような子がたくさんいます。

        <挫折の経験が少ない>

もう一つは、生徒自身の挫折が原因の場合があります。「運動クラブに所属したが正選手になれず補欠になった」「英語が分からなくなった」「親友と思っていた友達が離れて行った」。このようなことが引き金となって、問題行動を起こすようになる場合があります。
私達の人生で、常に全ての希望が達成されたり、欲望が満たされたりすることはありえないのです。むしろ、人間の生活は常に希望は達成されず、欲求は満たされないほうが一般的です。
本来、子供たちは日常生活の中で、欲求不満を体験し、この欲求不満による子供の挫折体験が、子供の心の中に不満に耐える力を育てていくのです。
子供が小さいときから日常生活で、挫折を繰り返し体験していると、挫折に直面した時、それぞれの場で、どのように行動すればそれらをうまく乗り越えていくことが出来るか、また挫折しないように生きていくにはどうしたらいいかなどが身についてきます。
しかし、最近の子は、少人数の兄弟の中で生活しており、幼児期にこの「挫折」を体験していないことが多いのです。そのため、一寸した挫折にも、それを乗り越えることが出来ず、社会的に受け入れられないような行動、すなわち問題行動をとってしまうのです。

       <子育ての責任は親に>

第一の原因にしても第二の原因にしても、結局は「大人の責任」に帰することが多いことが理解していただけると思います。
子供を健全に育てるためには、先ず、家庭が子供にとって、本当に安住の場であることが必要です。
また、子育ての段階で、子供の言い分をそのまま認めるのではなく、時には厳しくその言い分を抑えることも大切です。
子育ての責任は大人、とりわけ親にあるのです。