思いきって引越してみたの。

だいぶ生きました。
ヘトヘトになりながらも家を売って、
水害の地を去りました。

動き回る数字たち。

2024-08-02 15:24:00 | 日記
7分前に今週の相場が終わった。



なんとかショックと
呼べるだけの 大暴落。

これだけ大きな深みにはまると
頭は冷える。

どうしてこうなったかを
丁寧に解説してくれる仲間が
欲しいなぁ。

投資って経験の蓄積だと
最近、思えるようになった。

今日 渦中の栗を拾うより
来週 再来週 上向き出したのを
確認してから拾っても遅くは無い。

それを今日 冷えた頭で思い出し
実践したところだ。

手放さない限り 航海は続くので。
一喜一憂はしない。

だがしかし、
今日のマイナスは
大したもんです (O_O)



***

果樹園で仕事をしたい

2024-08-02 02:03:00 | 日記
自分の影が足元に濃く映る。
雨が降らず毎日カラカラに暑い暑い。

野菜の買い出しに行く道すがら
じっくり植物や果樹を見つめる時間が
このうえ無く 楽しい。

丸い深緑。
柚子かな、みかんかな?
その皮の緑色、マットな質感に見惚れた。




こちらはレモン?



イチジクも色付き始めた。

車が背後を通り過ぎるが
誰も足を止めないこの場所に
何種類も果樹が植っている。

葉っぱを眺めていると
幸せなきもちになる‥
それに気づいたのは
数年前。

季節が深まるのが楽しみです。


***

やっと空が白んできました。

2024-07-29 04:57:00 | 日記
先週から睡眠導入剤が変更になった。
依存性の少ないものをという
ドクターの配慮だったが、
これがもう効かないったら…

薬を変えるというのは
なかなかの事ですが、
近年作られたその薬は
まだ後発薬も無くて薬価も高い。
なのに眠りに落ちない睡眠薬??

ネットでググってみると
私のような薬効の得られない人の
ぶつぶつ文句がいっぱい出てきた。

これで 睡眠薬と呼んでもいいのか?


今日で一週間になるのですが、
限りなく覚醒状態に近い浅い眠りの日や
3時間で夜中に目覚めた日が3回、
ふざけんなー! と
以前の強めの薬で爆眠を得た日
などなど 不愉快な不眠の一週間でした。


依存性を低くすると こういう感じで
製品化されてしまうのでしょうか。
一度支払った薬代は戻っては来ませんし
この薬にさらに付け加える頓服なんて
いらねぇです。

依存性があっても
しっかり一日の睡眠が得られる
以前の薬に戻してもらえるよう
お願いするつもりです。


新しい薬のおかげで
日常バランスが乱れまくりの
7日間でした。よく頑張ったもんです。
毎日、暑かったしね。


***

昨夜からも眠れずに
2:44 に起き出して こんな時間に
投稿しています(失笑


突き抜けた暑さ、懐かしい。

2024-07-21 23:19:00 | 日記
二ヶ月ぶりの通院へ。

医師との相性が良いと
遠くても 転院は考えたくない。

だけど年明けまで住んでいたこの地は
全国でも酷暑の常連地帯。

梅雨明けたわね、コリャ
目を開けてられないくらい
太陽が眩しい!そして暑い!!




今日は当たりの日だったの?
真夏に咲く ハスの花も拝んで




田舎の遠くまで見渡せる景色に
恍惚となる・・




都会より
便利さより

眺望ってやつが
私には必要だったんだね。
こんな景色は、今の日常には
どこにも無い。

暑さの中、
黙り込んでしまった。



***

経過

2024-07-16 12:17:19 | 日記
妹の入院から ひと月が経つ。

1000キロ遠方にいることと、
私が見舞うとギクシャクするであろうから
ずっと九州で 母からの連絡を待つ日々。


被害妄想が酷かったのだが、
院長から 病名等の説明が無いまま
7月になった。

部屋に鍵は付いていないが
病棟の入口にナースステーションがあり
棟全体が施錠されるそうだ。

服薬治療のみ。
カウンセリングも無いの?
テレビ無し ラジオ無し
雑誌はあって それだけ。
一日が長いであろうが、
気持ちを休めるには 意識にスイッチを入れる情報を絶たねばならない。


母は暑い中、毎日 洗濯物を持ち
妹の部屋を見舞う。
午後4時になると退出を促されるそうで
帰り道、駅の近くの商業施設で
夕飯のパック寿司や魚を見るのが
楽しいと言った。

よくよく考えると
80才を過ぎた母にとって
純粋な「一人暮らし」はこれが初めて。

この 見舞い→ 買い物→ 一人の晩酌
ルーティンがお気に入りのようだ。

だから 私の帰省を遠回しに嫌がる。
そうか それなら一人を堪能して欲しい。


7月になってから
3泊、5泊の一時帰宅が繰り返され
初回こそ 妄想が顔を出したようだが
5泊の時はふだんの生活ぶりだったそうだ。

でも 娑婆は娑婆だ。
何もかも解き放たれたら
薬だけで 自分を制御できるのだろうか。
母と私の不安は尽きない。

というか、5泊の一時帰宅の時、
母は妹を預かることにものすごく疲れたと言っていた。

あれほど共依存の母娘だったのに。



ほんのちょっとだけ 思い出す。


私が昔、九州で乳がんになった時。
検査から告知から入院から退院まで
ずっと一人で乗り越えたことを。

入院前までは
ショックと闘い

入院中は 日々の肌着の洗濯をし
退院後は 家の寒さにオロオロした。


実家には老いた父もいたので
「来なくていい、自分で何とかする」
と言ったものの

汗をかいた肌着を
洗濯してきてくれる家族がいたら
ラクだったなぁ の思いは残った。

妹は当たり前にそれを母に頼み
さらにいろんなわがままを言っては
母を使い走りさせている。

ちょいと ムラムラしてしまう。
しょうがない。あの二人は
共依存なのだから、 と
思うようにしてはいるが。