同業者(特に演奏家)の方には、よくお分かり頂けると思うが「学生時代に使用していた楽譜」のページを開く機会は往々にして訪れる。
ここからは恐らく私限定だと思われるが、その譜面の書き込みがあまりに幼稚な事について驚き・・・を通り越して呆れる。
チャイコフスキーの譜面を捲ると『ヴィブラートの幅広く』とか『軽く』とか「そんなんちょっとでも気ぃ使って弾いてたら分かるやろが、ヴォケェッ!」と言いたくなる内容が散見される。
チャイコフスキーなぞは大学に入ってからやったのでこれでもまだ比較的マシである。
先日高校時代に悪戦苦闘したヴュータンの”ヴァイオリン協奏曲5番”のページを開いてみると・・・
『粗野で野蛮でグロテスクにならないよーに!』(原文まま)
『常に美しい音で弾く』
練習中に「今のは粗野で野蛮でグロテスクなプレイだったナ!よし!粗野で野蛮でグロテスクにならないように『粗野で野蛮でグロテスクにならないように』って書いとこう。」となった可能性は極めて低いので、レッスン中に先生にそう指摘されたのだろう。
アンタ一体どんな音で弾いてたのよ?
他にも『音程正確に!』とか。いやアンタそれ当たり前だから。
それでも先生方は匙を投げずに育てて下さった。いや、実は投げられていたのかもしれないがそんな事は全然気付いていない。
ああ、ありがたやありがたや。
合掌。
親の心は親になってみなければ分からないというが「ヴァイオリンの先生」もまた同じだと思う。
本当に本当に「すみません」と「ありがとうございます」という気持ちで一杯である。高校時代にお世話になったT先生も、大学時代に御指導頂いたH先生も、立ち方・楽器の構え方から大改造して下さったT(N)先生にもそんな気持ちで一杯だが、実は一番頭が上がらないのは4歳の私にヴァイオリンの手ほどきをして下さった近所のK先生である。
ここからは恐らく私限定だと思われるが、その譜面の書き込みがあまりに幼稚な事について驚き・・・を通り越して呆れる。
チャイコフスキーの譜面を捲ると『ヴィブラートの幅広く』とか『軽く』とか「そんなんちょっとでも気ぃ使って弾いてたら分かるやろが、ヴォケェッ!」と言いたくなる内容が散見される。
チャイコフスキーなぞは大学に入ってからやったのでこれでもまだ比較的マシである。
先日高校時代に悪戦苦闘したヴュータンの”ヴァイオリン協奏曲5番”のページを開いてみると・・・
『粗野で野蛮でグロテスクにならないよーに!』(原文まま)
『常に美しい音で弾く』
練習中に「今のは粗野で野蛮でグロテスクなプレイだったナ!よし!粗野で野蛮でグロテスクにならないように『粗野で野蛮でグロテスクにならないように』って書いとこう。」となった可能性は極めて低いので、レッスン中に先生にそう指摘されたのだろう。
アンタ一体どんな音で弾いてたのよ?
他にも『音程正確に!』とか。いやアンタそれ当たり前だから。
それでも先生方は匙を投げずに育てて下さった。いや、実は投げられていたのかもしれないがそんな事は全然気付いていない。
ああ、ありがたやありがたや。
合掌。
親の心は親になってみなければ分からないというが「ヴァイオリンの先生」もまた同じだと思う。
本当に本当に「すみません」と「ありがとうございます」という気持ちで一杯である。高校時代にお世話になったT先生も、大学時代に御指導頂いたH先生も、立ち方・楽器の構え方から大改造して下さったT(N)先生にもそんな気持ちで一杯だが、実は一番頭が上がらないのは4歳の私にヴァイオリンの手ほどきをして下さった近所のK先生である。