多摩川 健・・リタイアシニアのつれずれ・・時代小説

最近は元禄時代「寺子屋師匠 菊池三之丞 事件控え」全30話書いてます。週2-3回更新で順次 公開予定。

寺子屋師匠 菊池三之亟事件控え 第三話 泥棒村その2

2024年04月01日 11時18分08秒 | 時代小説

 

 

 

 

「兄上。何か!」その翌日の宵遅く、三乃丞が厠を使って井戸端から部屋へ戻ろうとする。木戸から入ってくるあの男にまた出会った。顔を背け、奥の方向に行こうとする。間違いない。あの時お助けいただいた方徳様だ。思い切って三之丞は声をかけた。

「川越でお助けいただいた方徳様ではありませぬか」 

  男は、はっとしたように顔を上げた。間違いなかった。

「あの折はありがとうございました。川越在の友人を訪ねた帰り道に腹痛で。お助けいただいた菊池でございます」

  三之丞の礼に、男はとぼけ顔で答える。

「おうおう。あの時の吾人か。確か寺子屋の師匠とか。ここであったか。旅の途中難儀をしておられる方を助けるのは、医師として当然ですよ」

   眉の濃い角張った目の方徳。

「誰かお知り合いがこの横丁長屋に・・」

「はい。時々薬草の仕入れに江戸に参りますが、今日は飯能河原の村の、家族からの届け物を、ついでにおいとさんに置いて帰るところです。時々こうしてよらせていただいております」

「たしか、おいとさんは近くの芝大黒屋さんに通いで・・」

「さようでございます。年頃でございますので、村の両親も、そろそろ帰って嫁入りの支度をさせたいと考えておるような次第でして」

「さようでございましたか。夜も遅い、気を付けてお帰りください」

 方徳は急ぎ足で、北東角のおいとの家に向かった。

 

 「おいとさん。今そこの井戸端で、昔、川越の街道で腹痛のところをお助けしたお方から声をかけられましてな。時々、村からの届け物と・・いたしておきましたが、どのようなお方ですかな。用心にこしたことはありませんからね」

「ああ。あのお方は、旗本菊池様の三男坊で家督の見込みなく、街中で気楽な仕事をと・・寺子屋の師匠で、長屋の子供たちが毎日世話になっております。趣味は銭湯の長湯と剣術だそうですよ。牛込の堀内道場では三羽烏とか」

「そのような方がおられるのか。用心じゃな」

   濃い眉の下の鋭い目が光る。

「この暮れの二十八日と決まりましたよ。雨が降ろうと、雪であろうと江戸湾から芝に大船も用意しています。万一のつなぎには、徳が当日宵の刻、この家に待機です。どうしても具合が悪い場合以外は、必ず決行と西川のお頭からの伝言でございます」

   再び方徳の目が鋭く光る。

「わかりました。いよいよですね。五年の準備が。ところで方徳さん。この麻の薬草はそんなに効果があるものですか」

  小箱を開けるおいと。

「私も試しましたが、間違いなく昏睡状態に陥ります。肝心ことは、使う量でございます。決してお間違えにならないように。味噌汁大鍋いっぱいに、土瓶いっぱい分のみでお願いします。それ以上では万一昏睡から冷めず・・もございますので」

   小箱の中の乾燥させた麻の薬草を、おいとの前に置く。

「では方徳さんがお帰りなったら、今日、自分で試してみましょう」

「おいとさん。お試しなら、くれぐれも碗の三分の一になさいませ。間違えては危険ですから。それと勝手口の芯棒だけは、夕餉前に外してくださいませ。道具で壊すことは簡単ですが、近所に物音が漏れて、悟られては面倒ですから」

「わかりました。それでは私も疑われないように、夕餉を食べまして・・」

「西川のお頭は、それを心配しておりますが・・本当に・・それでよいのですか」

「半年もしたらお店を引き上げ、村に帰ることにいたしましょう。覚悟はできておりますゆえ。半七さんも、待ってくれるでしょう」

   しっかりとしたおいとだ。

「それではおいとさん。身体を壊さぬようにお気をつけて」

   方徳は夜泣き蕎麦屋が横丁を通るそばを、さっと木戸を抜け暗闇に消えた。

 

  
  師走の二十四日夕刻。半年間鍛えた操船を、身をもって試す時が来た。半七と筏職十名。 みのすけと強力百姓四名は、大船を、江戸に向けて釜石浦からまさに出航させるところであった。同時にはやばしりのよしは、飯能河原に走った。 船上ではみのすけたちが、足回りの手甲脚絆、黒装束、工具、食料の点検をしていた。こちらは大船の別動隊が総勢十五名。飯能河原の村からは頭の捨松、弥助ほか十七名。総勢で三十二名の、五年がかりの大部隊であった。訓練のおかげもあって、大船は穏やかな波をけって南下し、銚子沖を二十五日には超えた。

 

   暮の二十八日夕刻。今日も江戸の町はよい天気だ。三之丞は稽古で汗を流し、牛込の道場から長屋まで戻り、井戸で洗い物をする。

「お師匠様。お帰りなさい」

「おうおう、はなと里ではないか。どこへでかけるのじゃ」

「はい かかの許しをえたので、二人で増上寺まで行くところよ」

   年上の里が答える。

「もう夕の刻だ。二人きりなら、すぐに帰るのだぞ」

「はい。お師匠様」

 と二人が手をつなぎ木戸を出るとすぐに、見慣れぬ男が、木戸を入り井戸端の三之丞をすり抜け、足早に北東のおいとの家に向かっていく。

・・・・・はて、おいとさんはまだ大黒屋のはずだが。届け物かな・・・  

  寺子屋に戻り居間で茶を飲んでいると、表から弥生の声がする。

「兄上 お帰りでございますか」

「今、稽古から帰ったところじゃが、よく参るのう。何用じゃな」

「お母上様からの書状を持ってまいりました。兄上の縁談ですよ。羽生家の娘御で、よいご縁ですから、すぐに返事をするようにとのおおせです。すぐに返事をしたいから、今晩、必ず築地の家に来るようにとのお言葉でございますよ」
「わかったが、まだわしにはその気はないのでのう。困ったな。丁寧にお断りはできぬものかな」

   と母上の書状を傍らに置く。

何か気になることがあるようだ。弥生は兄のしぐさで分かるのだ。

「前にも話したがな。このところおいとさんのところに、飯能の村からよく人が出入りするのでな。先日は、川越で助けていただいた村医者方徳さん。今日もおいとさんが、大黒屋の務めのはずなのに。また知らぬ男が家に入って行った。届け物にしてはのう。男が帰らぬのもなあ・・・・不思議な気がしてな」

「それではおいとさんの家を訪ねて、男の方に・・どんな御用かとお聞きしてはいかがですか」

   と弥生は澄まして言う。

「ま・・そこまで詮索するわけにはいくまいて」  

「ところで母上へのご返事はいかがいたしましょう」

「お前から、まだその気がないようだと、母上に話してくれないものかのう」

「あら。いやでございますよう。兄上から今晩直接お話しくださいませな」

「ひとまずわたくしは築地に帰ります。今宵、必ずおいでくださいませよ」

  


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