さて、西鉄新宮駅につきました。ここから宮地岳線廃止後に設定された代替バスに乗ります。

改札を抜けると狭い待合室があり、出口の上側にバス乗り場の案内があります。駅を出て左側がバス乗り場のようです。

西鉄新宮駅舎。それはそうと・・・

駅を出て左側に、バス停らしきものはありません。タクシーが止まっているあたりがバス乗り場なのでしょうか?しかし標識らしいものは何一つ立ってません。
時間はたっぷりあるのであわてず、とにかく案内板の通り、矢印のさす左側に歩いてみました。2分か3分か歩いたでしょうか、もとの宮地岳線の線路跡にバス乗り場が作られていました。
・・・うーん、駅舎内の案内板は、情報としては間違っちゃねーけど・・・矢印の先、距離がありすぎて初めての者は不安に思ってしまう。途中にも案内板を設置したほうが親切です。

バス乗り場、後方の建物には待合室・トイレとバス乗務員の休憩室が入っています。
津屋崎行きの宮地岳線代替バスのほか、おおよそ30分おきに新宮町コミュニティバスが発着しており、写真の反対側は広いバス駐車場になっています。

宮地岳線代替バスの時刻表です。おおよそ30分に一本程度、時間帯によってはそれ以上あくこともあります。電車が走っていたころは13分おきの運転した。運賃も電車より相当上がり、かなり不便にはなってしまったようです。

津屋崎行きのバスが入ってきました。

バスに乗り込みます。11時51分の出発です。乗客はタクロウと女性客の二人です。
出発してしばらくは旧宮地岳線の線路跡に沿って進みます。

線路跡はすべて住宅地に変わっていました。
やがてバスは右に折れて宮地岳線の線路跡から離れます。県立新宮高校の横を走ったかと思うと、国道495号線に出ます。この先はしばらく495号を走ります。
沿線は商店やら飲食店やらが並んでいます。その多くがテレビCMでもよくみるチェーン店です。一言で言って「ごちゃごちゃしている」という印象です。
電車の時は、風光明媚な松原の中や、閑静な住宅街を走っていたのですが・・・その時とは全く印象が違います。

そんな中でわずかに見える緑の風景です。弘法大使の伝説が残る、古賀市を流れる大根川です。
この国道495号線には西鉄バス26A系統のバスが20分ヘッドで走っています。宮地岳線代替バスの大部分と路線が重なっています。26Aのバスは都市高速を経由して福岡都心と直結してます。
ということは、宮地岳線廃止前に電車と地下鉄を乗り継いで福岡に出ていた人が、わざわざ代替バスで時間をかけて、乗り継ぎのりつぎ行く必要もないわけで・・・乗車率が低いのもうなづけます。
やがて福間駅を過ぎるとバスは495号線から離れます。

沿線の風景も一変し水田が広がるようになります。5月中旬ですが、すでに田植えが終わっています。

宮地嶽神社前の停留所。もともと宮地岳線はその名の通り、宮地岳が終点でした。博多湾鉄道が宮地岳まで開通させたのが1925(大正14)年、西日本鉄道になり津屋崎まで延伸開通したのが1951(昭和26)年のことのようです。

宮地嶽神社の参道入り口。さすがにこの雨では、参拝客の姿は見えません。
その後に住宅街の中を走り、津屋崎です。
電車は津屋崎停留所のあたりが終点でしたが、バスはこの先津屋崎橋まで走ります。

バスは海岸に出て玄界灘沿いに走ります。ほどなく終点、津屋崎橋です。

バス丁寧の由来である津屋崎橋。橋の先には大峰山自然公園があり、東郷平八郎元帥を祀った東郷神社が建てられています。
雨の中、傘さして歩いて津屋崎駅のあった場所まで戻ってきました。

もと津屋崎駅があった場所です。

敷地内にある石碑。電車が走っていたころから建っていました。1951(昭和26)年の津屋崎延伸開業を記念したもののようです。

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改札を抜けると狭い待合室があり、出口の上側にバス乗り場の案内があります。駅を出て左側がバス乗り場のようです。

西鉄新宮駅舎。それはそうと・・・

駅を出て左側に、バス停らしきものはありません。タクシーが止まっているあたりがバス乗り場なのでしょうか?しかし標識らしいものは何一つ立ってません。
時間はたっぷりあるのであわてず、とにかく案内板の通り、矢印のさす左側に歩いてみました。2分か3分か歩いたでしょうか、もとの宮地岳線の線路跡にバス乗り場が作られていました。
・・・うーん、駅舎内の案内板は、情報としては間違っちゃねーけど・・・矢印の先、距離がありすぎて初めての者は不安に思ってしまう。途中にも案内板を設置したほうが親切です。

バス乗り場、後方の建物には待合室・トイレとバス乗務員の休憩室が入っています。
津屋崎行きの宮地岳線代替バスのほか、おおよそ30分おきに新宮町コミュニティバスが発着しており、写真の反対側は広いバス駐車場になっています。

宮地岳線代替バスの時刻表です。おおよそ30分に一本程度、時間帯によってはそれ以上あくこともあります。電車が走っていたころは13分おきの運転した。運賃も電車より相当上がり、かなり不便にはなってしまったようです。

津屋崎行きのバスが入ってきました。

バスに乗り込みます。11時51分の出発です。乗客はタクロウと女性客の二人です。
出発してしばらくは旧宮地岳線の線路跡に沿って進みます。

線路跡はすべて住宅地に変わっていました。
やがてバスは右に折れて宮地岳線の線路跡から離れます。県立新宮高校の横を走ったかと思うと、国道495号線に出ます。この先はしばらく495号を走ります。
沿線は商店やら飲食店やらが並んでいます。その多くがテレビCMでもよくみるチェーン店です。一言で言って「ごちゃごちゃしている」という印象です。
電車の時は、風光明媚な松原の中や、閑静な住宅街を走っていたのですが・・・その時とは全く印象が違います。

そんな中でわずかに見える緑の風景です。弘法大使の伝説が残る、古賀市を流れる大根川です。
この国道495号線には西鉄バス26A系統のバスが20分ヘッドで走っています。宮地岳線代替バスの大部分と路線が重なっています。26Aのバスは都市高速を経由して福岡都心と直結してます。
ということは、宮地岳線廃止前に電車と地下鉄を乗り継いで福岡に出ていた人が、わざわざ代替バスで時間をかけて、乗り継ぎのりつぎ行く必要もないわけで・・・乗車率が低いのもうなづけます。
やがて福間駅を過ぎるとバスは495号線から離れます。

沿線の風景も一変し水田が広がるようになります。5月中旬ですが、すでに田植えが終わっています。

宮地嶽神社前の停留所。もともと宮地岳線はその名の通り、宮地岳が終点でした。博多湾鉄道が宮地岳まで開通させたのが1925(大正14)年、西日本鉄道になり津屋崎まで延伸開通したのが1951(昭和26)年のことのようです。

宮地嶽神社の参道入り口。さすがにこの雨では、参拝客の姿は見えません。
その後に住宅街の中を走り、津屋崎です。
電車は津屋崎停留所のあたりが終点でしたが、バスはこの先津屋崎橋まで走ります。

バスは海岸に出て玄界灘沿いに走ります。ほどなく終点、津屋崎橋です。

バス丁寧の由来である津屋崎橋。橋の先には大峰山自然公園があり、東郷平八郎元帥を祀った東郷神社が建てられています。
雨の中、傘さして歩いて津屋崎駅のあった場所まで戻ってきました。

もと津屋崎駅があった場所です。

敷地内にある石碑。電車が走っていたころから建っていました。1951(昭和26)年の津屋崎延伸開業を記念したもののようです。

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