中央大学からの脱出

再受験そして中央大学からの脱出を目指して勉強の記録を綴ります。

またヤツから・・・・

2010-10-16 17:23:46 | 日記
この前書いたヤツからまた電話があった。
何を言うかと思えば、どうもまだ諦めていないらしい。
今度は「惜別の歌」とかいうのを知ってるか?と聞いてきた。
なんかOBがそんな歌を歌っていると聞いたことはある。
ヤツは中央大学の歴史について俺に語り始めた。
「惜別の歌」とかいうのは中央大学の卒業生が作った歌だという。
ネットで調べてみたら島崎藤村が作った詩をパクって中大卒の藤江英輔とかいう人が作曲しただけの歌だった。
だいたい島崎藤村って明治学院の卒業生だろ。だったらこの歌の原型は明治学院の卒業生が作ったもんじゃん。
俺がそう言うとヤツはものすごい声で怒り出し、そして「明治学院なんか名門中央大学より偏差値が3も下の大学だろ!」
と言い始めた。偏差値たった3がそんなに偉いか?その日の体調次第でそのくらい変わるだろ。
そしてヤツはとうとうこう言い出した。「俺は早稲田教育を蹴って中央商学部に入学したんだ」
俺はそんなヤツ初めて聞いたよ。てかさあ、教育学部受けるヤツがなんで第一志望で中央の商学部受けるの?
どう考えてもへんだろ?それって99%のパターンが早稲田ならどの学部でもいいって乱れ撃ち受験して、それですべりどめで中央商を受けたけど中央商にしか受からんかったってパターンだろ。
本当にこの大学が嫌になる。早くこんな大学やめて都心のキャンパスで東京の大学生活を送りたい。
なんでこんな僻地の山奥で最後の自由になる大学生活をすごさにゃならんのだ?
なんの思い出もできない。思い出といったら辛い登校時間と山奥に閉じ込められた惨めな学生生活だけ。
一度登校したら帰るまでずっとキャンパスの中から出ない生活。すべてがキャンパスの中。
しかもキャンパスっていったってコンクリートの四角い箱がただ並んでいるだけ。ぜんぜん大学のキャンパスらしくない。
よく2ちゃんとかで中大多摩キャンパスのことを山奥に忽然と出現する秘密基地みたいというが本当にその通りだ。