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教師&教育カウンセラーとしての学びの日々。また徒然。

卒業生のこれからを心から祈りたい

2011年03月24日 | 毎日のこと
我がクラスの、我が学年の子どもたちが
昨日巣立っていた。

卒業式は、厳粛な雰囲気の中、粛々とプログラムが進んでいく。
卒業証書授与となり、ひとりひとりの名前を読み上げていく。
ただ、名前を呼ぶだけなのに、今まで何十回、何百回と呼んだだけなのに
とても緊張した時間だった。

一方で、卒業生87名は、堂々とした姿で、今までの練習の成果を示していく。

式が終わり、記念撮影、学級での最後の話、見送り。

最後の一人がいなくなるのを確認した後、玄関の鍵を閉める。
そこで、やっと、ほっと一息。



縁合って、3年間、今の学年のクラスを見てきた。
毎日の成長はわずかで、その成長を実感できるときはなかなかない。
ときどき、4年生の時の子どもたちと見比べる機会があったときに、
「こんなに小さな時があったのか。」
と、改めて感じることがあるぐらいである。

しかし、中学校の制服に身を包み、校門を出て行く姿を見て
「いよいよ中学生だな。」と、やっと感じ入ることができた。
本当にすばらしい、6年生だったと思う。

元気で、明るく、何事も一生懸命、そして素直。
心から応援したくなる子どもたちだった。
そんな彼らが初めての6年生だったことを幸せに思う。


彼らは、これから、どのような中学校生活を送っていくだろう。
おそらく、彼らも不安を胸に抱えているかもしれない。
それでも、彼らは見事に乗り越えていくだろう。
小学校6年間を通して身に付けてきたことは、血となり肉となり、
きっと彼らを未来へ突き動かしていく。

未来は子どもらのものである。
わたしは、いつでも、どんなときでも、彼らの味方で有り続けたい。

校長 渡辺憲司のような言葉を志を持って言えるような人物に いつか

2011年03月21日 | エッセイ
facebookで、次のようなメッセージが流れてきた。
言葉から熱い思いが伝わってくる。
まだまだ、自分は深くなれる。
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卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。


 諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。
 また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。

 とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。

 未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。

 このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。

 諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。

 大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。

 大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。

 多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。

 楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。

 君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。

 学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。

 誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。

 大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。

 言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。

 中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。

 大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。

 大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。

 池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。

 「今日ひとりで海を見てきたよ。」

 そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。

 悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。

 時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。

 いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。

 いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。

 海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。

 真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。

 鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。

 教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。

 「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32



 一言付言する。

 歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。

 泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。

 今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。

 被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。

 巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。

 本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。(3月31日10時からに予定されているチャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする)

 被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。

 梅花春雨に涙す2011年弥生15日。



立教新座中学・高等学校


校長 渡辺憲司


卒業式練習覚え書き

2011年03月17日 | 研修会
将来、主任となったり、一人で6学年をもち卒業式練習を任されたときの参考になるように、今までの卒業式練習の流れを書き留めておく。

卒業式練習は6送会が終わった直後から、約1か月間行われた。つまり、4週間である。

★付箋文★1か月間以前
・卒業の言葉を考える
・計画作成、内容検討
・立ち位置、雛壇用意
・歌の決定、役割分担
・ミーティング

★付箋文★4週間前
・別れの言葉の分担、オーディション

★付箋文★3週間前
・卒業式の心構え・目標
・体育館練習①立ち位置、証書のもらい方、入退場の仕方、礼、校長先生やPTA会長のお話の時の動き方
※厳粛に、合図だけで黙々と動けるようにさせる。
・体育館練習②証書のもらい方、歌を歌うときの体型変化
・体育館練習③予備、別れの言葉の練習
・各クラスで呼びかけの練習

★付箋文★2週間前
・毎日昼休みに歌練習6年生の歌を中心に
・朝練習、体育館練習ほぼ毎日
④証書のもらい方はじめと後5人ぐらいずつ、全員で練習
⑤歌練習、通し練習
⑥証書授与練習全員

★付箋文★1週間前
・各クラスで返事の練習
・全体練習2回
・証書の持ち方
・入退場の仕方
・証書を持ったときの歩き方

★付箋文★前日
・全員が来るように

★付箋文★「各指導のポイント」O教諭の指導の様子より
・卒業式は何のためか、自分のためはもちろんあるが、それまで育ててくれた親へ感謝の思いを伝えるためとする。こうすることで、「自分はこれでいい。」という言い訳は聞かなくなり、どれだけよい会を開くことができるか、感謝の思いを伝えるためには、精一杯やることが大切だということを伝えることが大切。結果として、子どもも充実感をもち、親も喜んでくれよい卒業式となると考えられる。
・卒業式を通して、式の儀礼や大きな声で歌うことや、返事をしっかりすることを通して育みたい価値観は、「しっかりやることこそ格好いい。ふざけたり、いい加減にやっている人が格好悪いんだ。」という価値観を育むこと。
・歌、呼びかけ等の規準をしっかりと保っておくこと。譲らないこと。
・以上のような価値観を自分の言葉で語れるように、よく考えておくこと。
・個々に課題があったとしても、声をかけ、8割できていればどんどん進め、2割は個別に指導する。
・要項をよくチェックし、間違いがないかもちろん確認。
・児童に式場の用意を全てさせ、片付けさせる。自分たちはお客様ではなく、式を開く一員だと自覚させること。
・児童も卒業式を作る大切な一員であるという、自覚と意識を高める指導をすること。たとえば、1回指示されたことは身に付けるようにさせるとか。
・1ストップモーション
・「証書の授与」:立つ、回る、移動、礼、読む、もらう、たたむ、右手にもつ、回る、移動
・証書をもらうところでは、止まって、渡し、しっかりともらう。
・歩くときには、姿勢を正し、少し上を見ると堂々と歩いているように見える。
・本番は1回勝負、1回で出るように。
・急な休みにも対応できるようにしどうすることも大切。

(my opinion)
 一番大切なことは、どのような卒業式にしたいか、何のためにするかという思いや考え方、イメージを共有することである。目標がしっかりしていなければ、まず、リーダーはどこへ向かわせるかがはっきりしない。加えて、メンバー全体、サブリーダーの間で、目標を共有することも大切である。でなければ、それぞれが努力したいと思っていても、働きかけ方に差が生まれてきてしまう。そういう点で、3週間前に行った事前指導、ミーティングが大切であり、その指導の前提となるイメージ作りが良かったと考えられる。

学級づくり研修会

2011年03月11日 | 研修会
(話す・聞く機会を作るA先生)
・名前を呼ぶ
・テーマ討論
・体を向ける
・目や耳を傾けて聞く
・聞く態度を身に付けさせるために
(・・・さんが言ったことを、もう一度言ってみて。)
・よく聞いていないとわからないような質問をする。


(クラスのよさや課題を実感するY先生)
・クラスみんなで何か挑戦するクラスに
・お互いにありがとうが言えるクラス
・うまくいったら花咲音頭を踊る
・社長会議をする。給食中に食べながら。(この日は自由席)★付箋文★いいね


(落ち着いた学級を目指すY先生)
(目標)友達を大切にする。みんなで決めたルールを守る学級
・ルールを守ることを徹底したら、子どもらしさが減ってきた
・がんばりシール&2か月半残ってもやることがある。
・自分たちから、・・・やりたい、これやりたいと言えるクラスにしたい。★付箋文★さらに上を目指す姿っていいね。


(赤坂真二先生の話)
 インプットとアウトプットの場を作ることが大切だと思います。実践のよい出しをしてもらったのは、実践の強みを知り、その実践に対して責任をもつようになるからです。10年ぐらいはあがいていただいて、「~な教師」といった旗を立てるのが大切でしょう。

Q「所属感を増すためにはどうしたらいいですか?」
Aマズローの欲求階層を基にして考えると、まず、ルールをしっかり伝えて安全欲求を満たす必要がある。その上で、認め合う関係を作ることで、存在感が増してくる。そして、所属感や承認感が増すと考えられる。

T←父性原理:年齢に応じて縦型になっていく。現実原則
|      だめだよと言って、ゆずらない。
CーT←母性原理:若い頃は横型になっている。情。
    気持ちを分かってやる。個別対応。

  T-C
安全基地作り↑
負の遺産を→|→②ペア、グループ活動へ
断ち切る。 | ↓
教師が引っ張る。 ↓
↑関係作り |  ↓
①遊ぶ |  ↓
ーーーーーー+ーーーーーーー→C-C
学級開きの時|  ↓
   | ③自治
   |

(終業式や卒業式では)
・先生は先生とだけうまくやる先生にしたつもりはない。
・そのときをとても楽しく充実して過ごして欲しい。
・「今のクラス最高ッス!」と言って欲しい。

(my opinion)
わたしなら、卒業式で何と言うだろう?
・このクラスを作ってきたのは、あなた方だ。嫌なこともあっただろう。そんな中で、楽しいこともあっただろう。支え合い、励まし合ってきたよね。
・文集に書いたけれども、この学級でのことは忘れるぐらいに、中学校や中等教育学校、新天地で、そのとき、今しか味わうことのできない一瞬一瞬を精一杯、十分に味わって欲しい。そのためにも、当たり前だけれど、勉強に部活に情熱を傾けて欲しい。
・でも、疲れたり、悩んだりするときもあるかもしれない、そのときには、ぜひ、友達に相談して欲しい。このクラスの仲間は1番の理解者なはずだから。それで解決しなければ、後ろにいる親やそのとき一番信頼できる先生に相談して欲しい、きっと解決の糸口を見つけてくれると思います。
・何より、最低でも、このクラスの仲間が悩んでいたら放っておかないで欲しい。声をかけて欲しい。そばにいてやって欲しい。
・そして、もし、友達にも親にも誰にも言えない悩みがあれば、いつでも連絡ください。私は、どんなときでも、あなた方の味方です。

と、赤坂案に教育カウンセラーとして、最後の一文、円滑な心理的離乳のためにも、一言付け加えたいと思います。

また、子どもたちに願うことは、アドラー心理学の目標に合致するところが大きいです。
アドらー心理学の子育ての目標は
「自分には能力がある。」
「人は私の味方である。」

ノーベル賞受賞者やソニー、科学技術会社の一流の人が望む教師

2011年03月05日 | 研修会
 子どもたちが夢や希望を持ちにくくなっている。

 しかし、どうやって一流の人が生まれるのか。それは、1対1で教え、教わった方は感謝し、その人を乗り越えていく。大切なのは、分からないことがたくさんあること、それを調べていくことに価値があると知ること、伝えられること。幼児教育では、子どもの心に寄り添い、正対することが大切だと思います。そして、子どもたちに背中を、希望を持ってがんばっている背中を見せることが大切だと思います。

 レイチェルカーソン「センス・オブ・ワンダー」の言葉もそう。子どもの心に寄り添うこと、子どもの考えにしっかりと正対すること。これは、コンフリクトするということではない。たとえば、目線を合わせるというのも、その一つになるだろう。そのためには、教師が何かを追究して努力している姿勢を見せ続け、一人一人の心に寄り添い正対していくことが大切だ。科学も、何事も先輩や先人を乗り越えていくことで発展する。スポーツ選手もそう、音楽家の小澤征爾もそう。小澤さんは斉藤記念オーケストラで、斉藤さんから音楽を教わったことを、それ以外のノーベル賞をもらった科学者も、皆先生や先輩を尊敬し、感謝している。教師は、そんな一人にならなければならない。(ソニー財団の人の言葉)