前大統領が、公約した隣国との国境に、壁を造り始めた頃の取材だったと思う。実は、流入にする移民たちに、一番敵意を抱いているのは、それ以前に移民して来た人たち。下手をすると、双方は、同胞だったりする。合法移民と、不法移民の差。不法移民でも、先に来たか、後に来たかの差。僅かでも、優位的な立場にある人間は、劣位の人間を、蹴落とそうとしている。それは、近い立場にあれば、今は、少しでも優位でも、とって代わられる、仕事を奪われる可能性がある。その相手が、一番の敵になる。
だから、例えば、日本人などが、国外から見て、勘違いしやすい、中流以上の白人が、必ずしも、今の差別の主体では無いと言うこと。むしろ、白人セレブや、一定数はいる筈の黒人セレブなどは、殆ど、博愛主義者が、多いのでないか。セレブで、自分の立場は、ある程度担保されていて、脅かされることがなければ、下々は、平等に仲良くね、となる。極楽浄土から見下ろすお釈迦様のように。下界に垂らした蜘蛛の糸を、リトマス試験紙にして、お気に召さなけば、糸なんて切っちゃえば良い。アフリカ系の危うい青年を、苦労して取り押さえようとした白人警官が、うっかり暴力など振るおうものなら、蜘蛛の糸は、切られて、地獄へ、真っ逆さま。天上界のお釈迦様って、ひょっとして、残酷?
このブログサイトで、読まして頂いた、米国在住の、日本人女性の投稿。GSで、クルマが停まってしまい、アフリカ系の米国人の男性たちから、とっても親切に、助けて貰ったと言う。移民国家として、日本などより遥かに先進的な人権や平等の教育が行き届いている筈の米国だから、むしろ実際には、先住移民のアフリカ系の人々が、後から来たアジア系をヘイトするとして、きっと、ほんのひと握りなのだろう。
ただ、そのひと握りが、抱いた不満を解消するのは、簡単ではないのでないか。元府知事の弁護士が、朝の討論番組で言っていて、同意出来なかったことがある。曰く、教育で、徹底して、教えるしかない、と。そんな簡単なら、良いけど。
だいたい 日本でもそうだが、教育で、確かに多くの人間は、道徳に従うことはあるだろう。しかし、例えば、アフリカ系の子どもが、いたとする。家に帰ったら、父ちゃんが、失職していた。家族は、路頭に迷う。それも、同じ近所に住むアジア系の同級生の父ちゃんに、仕事を奪われたらしい。あの親父は、憎い差別主義者の白人に、尻尾を振って、雇ってもらったんだ。あんな白人に擦り寄る奴さえいなければ、うちの父ちゃんは、失業しなかった。子どもが、白人以上に、アジア系の同級生を、憎むことは、ありそうに思える。世の中、そんなものだ。
きっと、後から行ったアジア系の米国在住者が、ワーキングプアの白人たちや、アフリカ系など先住の移民たちから、反発による差別的な攻撃を受けたくなかったら、より目立たなく、低い地位に甘んじた方が良い。ただ、その場合は、社会の底辺の弱者として、コロナ禍での鬱憤の吐け口としての理不尽な暴力を、覚悟しなければならないかも知れない。いじめ問題と同じで、弱者は、目立っても、反発を受けて虐められるし、首をすくめていても、虐めやすいから虐められる。
だから、アジア系の人々が、米国のような国で、虐げられない為には、圧倒的な強者になる必要が、あるのかも知れない。だから、出来れば、マジョリティとして、白くなること。で、無ければ、セカンドマジョリティのように、黒くなるかだ。とにかく、黄色いことが、いけない。
肌の色が違っても、人類皆平等と、建前論を言うのは、簡単。でも、肌の色の違いは、分かり易い違い。差別を生み易い。そのことを理解して、お互いの違いを、どう協調させていくか。引き過ぎれば、付け込まれる。押し過ぎれば、反発を受ける。あまり、世の中、幻想を抱かずに、かと言って、必要以上に争う訳ではなく、いかに強かに生き抜くかだと、自分は、思っている。