今日は何カコ(p_-) 

タジマクリーンサービス田島の私生活ブログ

ユーラシア旅行記~タイ・バンコク編①~

2008-02-28 23:36:09 | 2002年のユーラシア大陸旅行記
~タイ・バンコク編①~

ちょっとしたお話。

「世界一長い首都名は?」と聞かれるとみなさん答えられますか?
答えはスリランカの首都「スリジャヤ・ワルダナ・プラコッテ」…ではないです。

実はタイの首都「バンコク:Bangkok」なのです。
正式名称がクルンテープなんたらかんたら…確かカタカナで110文字くらいあったような…

で、ネットで調べてみました。

クルンテープ・プラマハーナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラーユッタヤー・マハーディロックポップ・ノッパラット・ラーチャタニーブリーロム・ウドムラーチャニウェートマハーサターン・アモーンピマーン・アワターンサティット・サッカタッティヤウィサマカムプラシット
「天人の都 雄大なる都城 帝釈天の不壊の宝玉 帝釈天の戦争なき平和な偉大にして最高の土地 九種の宝玉の如き心楽しき都 数々の大王宮に富み 神が権化して住みたもう 帝釈天が建築神ヴィシュヌカルマをして造り終えられし都」

だって。
いちおうこれが、バンコクの正式名称なのです。


世界自然関係で、世界一…は?と聞かれたら、かなりの確率で答えられるので、いつか僕にあったら質問してみてくださいな。

高い山とか、長い川とか、温度とか…

で、世界一の積雪記録はなんと日本の伊吹山なんです。たしか、11メートルくらいだったかな。っていっても、たぶん計測できる地点で世界一ということで、人が入れない場所では、他にいくらでもある気がするけどなぁ~

他には…高温記録…イラクのバスラ58.8度 たしか1920年代くらいに。
      最大の地震…1960年のチリ地震 M9.5だって。これによる津波は日本にも到達して100以上の死者が出たみたいです。

あっ、首都名も結構答えられるよ。

フェイクな国と首都名関係として、ちょっといくつか紹介します。


スイス・・・ジュネーブ× ベルン○

オーストラリア・・・シドニー× キャンベラ○

ブラジル・・・サンパウロ× リオデジャネイロ× ブラジリア○

トルコ・・・イスタンブール× アンカラ○

たぶん勘違いしている人は多いんじゃないかな。キャンベラはそこそこ有名か…

旅行記書いてるよりも、こっちのほうが楽しいかも笑 ウソ。

昔から、地理学関係が好きでね。
小学校~大学まで一番好きな科目でした。
大学では、日本では珍しい「地理学専攻」。私立で7校しかないんだよね。
国公立?? 受けてません。

今日はへんてこな感じで終わってしまった。
次回からは、また普通に…

ちょっと酔っぱらってます。




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ユーラシア旅行記~タイ入国編~

2008-02-26 23:19:34 | 2002年のユーラシア大陸旅行記
ユーラシア旅行記~タイ入国編~

カンボジアを出国して、豪華バスにて、バンコクへ向かいました。

そのバスの中の途中…だんだん気分が悪くなり、途中からずっと気持悪くて苦しんでいました。
カンボジアとの国境からバンコクまではバスで5.6時間だったかな。
バンコクに近ずくにつれ、建物が増えてきて「あ~やっと着くなぁ、はよ宿を探して眠らないと…」と思っていたんだけど、ぜんぜんバンコクのカオサンストリート※につきません。

しってのとおり、この街の交通渋滞は最強です。
道は広いのに、車はたくさんで、ちっとも進みません。
しかも、夕方の渋滞真っ最中。

きつかったなぁ。
目的地はなんとなくすぐそこだってわかるのに進まないこの状況。
でも、どうすることもできず、バスの2席を利用して横になってました。

やっと、カオサンストリートに到着して、このあたりにいくらでもある安宿を探そうと思ったんだけど、吐き気がしてね。

バスを降りてすぐにある警察署のトイレを借りて少しスッキリしました。
(なんでこんな話書いてんだろ。)

で、日本人宿を見つけてゆっくり落ち着けました。

今日は大して話ではないね…

※カオサンストリート…世界中を旅する者なら誰でも知っているバンコクにある安宿街。
500メートルほどの通りには、安宿、旅行代理店、旅道具、食事をする屋台、マッサージや、偽国際学生証発行してくれるお店など、とっても旅に役立つエリアです。
1900年代は、いわゆるヒッピーの聖地でよどんでいた雰囲気が、最近ではタイの若者まで遊びに来るようなおしゃれなストリートに変わってしまったみたい。



あらためて…質問等があれば直接こちらまで

       takeru1980takeru@mail.goo.ne.jp
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ユーラシア旅行記~カンボジア・アンコール遺跡群編~

2008-02-25 23:04:23 | 2002年のユーラシア大陸旅行記
~カンボジア・アンコール遺跡群~

あの有名なアンコールワットは、カンボジアのシェムリアップの北にあります。

アンコールワットとは、アンコール遺跡群の中の一つで、その周辺には、東西南北約4キロ四方に、その他いろいろな遺跡があります。
その他、有名なのが、「タ・プローム」「アンコール・トム」「バイオン」「プノンバケン」結構ハイレベルなので、歴史の試験とかにも出てくるかもしれませんよ。

ここは、僕は宿で自転車を借りて、一人気ままに回りました。

実は、遺跡には特に興味がないので、本気で見れば1週間見ても足りないという人がいる中で、一日で見て回りました。
一応、カンボジアに来たから、アンコール遺跡群だけは見ておこうかなと…。
遺跡を見たというより、自転車での移動の時間のほうが多かったかも。

ちなみに、宿から遺跡群の入口までも小一時間ほどかかったかな。

遺跡群の中にはいくつか休憩エリアがあります。

休憩エリアの地面は基本的に、あかすなのまま。
売店も、木と竹でつくったような粗末なもの。
まぁ、ここにコンクリート造りも建物があっても風情がなくなるけどね。

で、のどが渇いたから売店で少女からジュースを買って、立ち去ろうとすると、
「I go with you」と言われ、近くの白人たちにわらわれました。

えっと、ニュアンス的には、「あなたのお嫁さんにして」です。

なぜかって、話には聞いていたけど、東南アジアの人々は日本人を金持ちだと思っているらしく、どうにかして日本人の嫁、婿になりたいらしい…からたぶんあちこちで声をかけられるよ…と聞かされていたから。

なので、ピンときて勝手にこう解釈しました。

ちょっと笑ってその場は立ち去りました。
で、この日の夕方に行った、本命のアンコールワット寺院では、またまた売店で、今度は日本語で「結婚して」と言われたことも…。

あまり遺跡に興味がない僕でも、アンコールワットはよかったです。
写真などで、何度は見たことがあったものを実際に見つけた時の感動はなかなかいいですよ。
有名人を発見した時と同じような感覚かも。


写真はないですけど、ネット検索でいくらでもひっかかるので、見てみてください。
個人的にお勧めは「タ・プローム」です。
建築物と、「木」の融合です。
いったいどっちが先に存在していたのというくらい。
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ユーラシア旅行記~カンボジア・シェムリアップ編~

2008-02-21 23:42:53 | 2002年のユーラシア大陸旅行記
~カンボジア・シェムリアップ編~

船乗り場の客引きをみつけて、シェムリの宿へ。

ここの宿は、宿の前にでっかい庭があり(庭と言ってもただの砂の地面)そこに、30代のでっかい日本人女性がビールを飲んでいた。

彼女にとても歓迎され、部屋に荷物を置いて彼女と外の椅子で飲むことに。

彼女は、日本でトリマーの仕事を自分でしていて、年に数回ほど一月間(観光ビザぎりぎりまで)この宿に滞在するらしい。

一月間もなにしてるのって言うと、朝から宿の前でビール飲んで、そこに絡んでくるカンボジアの若いバイクタクシーの兄ちゃんをからかってるんだって。(笑)

みてると、かなり多くの兄ちゃんと知り合いで、彼女がここにきている時は、彼女はこのあたりの主になるらしい。

この街では、べつの日本人女性がこの街の男性と結婚して、こっちで生活してる。彼女もいつもこの宿に遊びに来ては、でっかい彼女と仲良く話すんだって。

1週間ほどこの街にいたけど、でっかいねぇちゃんは、たぶんこっちの男性探してこっちで生活したいんじゃないかなって思わせてくれた。

あたらしい兄ちゃんが来るたびに、「あの人だれ?」って結婚女性に聞いていたから。


この宿は面白かった。

他にも数人日本人がいて、一度日本のおじさんと、バイタクにのって近くの貯水湖(でっかいよ。グーグルアースでもはっきりみえるよ。)にいったよ。

泳いで、ビール飲んで、日陰で寝て。

外国でこういう場合は、年の差とか関係なしに楽しめるよ。

日本の出身地の話、家族の話、今までの訪問国、これからの予定国の話、なんで旅に来ているのか。
とても仲良くなれば、ルート変更してでも一緒に旅行したり。
日本のアドレス交換して、連絡とりあったり。
実際、この旅行で知り合った人間と、まだ連絡を取ることもあるしね。

自由でごめんなさい。
12月までと、お金の続く限りは何をしても自由だから。
ポルトガルを目標にしてるけど、変えたっていいんだし、日本に帰ったっていいんだし、移動がめんどくさくなったらその町に居座るのもいいんだし。

えっと、宿の話のつづき…

昼間はみんなそれぞれ別行動して、夕方宿に戻ってくると、カンボジアの兄ちゃん交えて庭で宴会。

宿の前には、ビールとかお菓子とかを屋台で売っているおばちゃんがいたんだけど、でっかい彼女が来る時期は、みんな集まるから儲かってしょうがないらしい笑
うちらが、日が変わるまで騒いでいても、もちろんそれに付き合ってくれた。
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ユーラシア旅行記~スピードボートで移動編③~

2008-02-19 23:02:11 | 2002年のユーラシア大陸旅行記
~スピードボートで移動編③~

船の船尾に2本の太いロープを固定し、2グループに分かれて「1,2,3」で、ぐぃ~っとひっぱる。

50人近くいるけど、動くんかぁと思いながら、必死にロープを引っ張る。
運動会の綱引きと全く一緒だよ。

で、動いた!!

少し引っかかってただけなのか、動い始めたら軽くなって、
みんなで、笑顔と、笑い声と、拍手!

すごいね。
国際協力だね。

人の力で船って動くんだなぁ。
まぁ、結構な人数だったからね。

で、腰半分は泥だらけのまま船に戻った。
自分の定位置に戻り、記念にと、もっていたカメラで自分の汚れ具合を撮ってもらった。
今でもその写真を見ると、当時の様子がとても思い浮かびます。


その後、船は順調にすすみ、シェムリアップ側の船降り場に到着。

その場には、シェムリの街の宿のスタッフが客引きを兼ね出迎えてくれていた。
若い子達が20人ほどいたかな。

ひとりひとりバックパックを背負って桟橋をすすむと、客引きたちが、こちらを指をさして笑っていた。

クメール語(多分カンボジアの言語)はわからないが、

「あははっ~おめーらも湖に降りたのかよ~」

みたいな感じなのが十分伝わってきた。

この時期は、船の座礁は珍しくないんだね。

これも、楽しい思い出だ。

寒かったり、深かったら最悪だと思うけど、暑いし、みんなテンション高いしね。

結局、楽しかった。
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ユーラシア旅行記~スピードボートで移動編②~

2008-02-17 21:49:54 | 2002年のユーラシア大陸旅行記
~スピードボートで移動編②~

時速50キロも出ている船の蛇行運転により、たまに本気に近い感じで落ちそうになります。
金払ってこんな移動ってあり??

まぁ前を見てれば、次に船が曲がる方向が分かるので、体の力の入れ具合を調整しながら、楽しい時間を過ごしました。

幸い今回は落ちる人ないなく、30分ほどで、広い湖にでて、とりあえず、船は安定したみたい。(落ちる人は実際にいるみたい。シェムリアップでの宿のスタッフ談)

落ち着いたので、眠くなり船の上で寝てみました。
といっても、まだ動いているので、多少落ちてしまうかな?という恐怖もあったけど、眠いのと暇なのとで寝ました。
パイプと自分の荷物につかまりながらね。

どのくらい寝たのかな?1時間ほどかな。

眠気が覚めたので、また起きあがって退屈な時間をすごしました。

で、出発してから、4時間ほど経ったかな?
だんだん船のスピードが落ちたり、またあがったり。

そうこうしているうちに、船が停まってしまいました。

どうしたんだろうと思うと、船のスタッフがなんと船の外壁に備え付けてあるハシゴを使って…湖におりました。
みてると、彼らのひざくらいしか水位がないみたい。

えっ?

座礁じゃん…

おもしろいのでずっと観察していると、彼ら5人が、船の船尾にロープをひっかけて、引いているのです。

動くわけねぇじゃん!!!!!!

いろいろ、がやがややっていると、ついに乗客の欧米人の若いグループ3人が、船を下りて手伝い始めました。

当然、でも、動きません。

で、ついにその欧米人たちは、こちらに向かって「カモン!」。

まじっすか?

マジだねぇ。
みんな、旅行でテンション高いし、暑いし、徐々に湖に落り始める人が出てき、僕も周りの流れに沿って面白いかなと思ってね、おりました。

湖は、浅く、底面には柔らかい砂でいっぱいの感触です。
ひざくらいまでしかありません。
ただ、とても濁っているので、まったく中の様子はわかりません。
透明度、ほぼゼロです。手ですくってみても、細かい砂が交じっててね。
なんか、灰色でした。

普段通りなれているスタッフは、このあたりが浅いことがわかっていたんだろうね。
だから、スピードを調整してたみたいだけど、結局これです。

5月は雨期の始まりだから、まだ水量が少なかったみたいかも。

結局、女性も含め(子供はいなかった。)一人黒人の妊婦さんがいたが、その人以外は全員降りて、ぜんいんで、ロープを引っ張りました。

つづく
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ユーラシア旅行記~スピードボートで移動編~

2008-02-17 00:05:59 | 2002年のユーラシア大陸旅行記
~スピードボートで移動・前編~

プノンペンの次は、アンコールワットの拠点となる街シェムリアップに向かいました。

今回は、バスではなく、二つの街の間にある湖、トンレサップ湖を船で利用して移動しました。
船と言っても、高速のスピードボートで時速50キロほど出ます。
これで、約6時間くらいかな。

どんな感じの船かというと、定員は30人ほどで、スタッフが5人いました。
全長25メートル、幅4メートルほどの船で、一階に操縦室と客室があるだけです。


で、プノンペンから少しだけバスで移動して、湖の船乗り場につきました。
(まだ、湖ではなく、そこにつながる川です。)
そうしたら、すでに一回の客室スペースは早めに着た乗客で埋まってしまっていて…

まさか…乗れないの?

いいえ。

まさかの船の屋根が、その日の居場所になりました。

本来は、バックパックなどの荷物をおいて、ロープで固定しておく場所みたい。
今回は、人間も一緒です。

まだ僕の後からも乗客がきてやっぱり同じ船の屋根。
定員30人ほどに対して、20人が屋根です。
日本人は僕一人だけで、あとは欧米人や、韓国人だけでした。

こんなもんだよね。
定員オーバーではなく、計画的定員オーバーだよね。

まぁ、なんでもありか!と思って出発しました。

運よく、前のほうに陣取ることができました。
船が出発し、どんどんスピードをあげます。
屋根なので、見晴らしを遮るものはなく、日差しがガンガンですが、悪くありません。スピードのおかげで風も心地よく。

この時期(5月後半)は、このあたりは本来雨季の始まりなのだけど、まだまだ水量が少ないようで、船の乗り場から湖まで出るには、川を通って行きました。
ちなみにこの湖、雨季と乾季では、3~4倍も面積が変わります。

川幅は100メートルから150メートルほどで、ところどころに水草の大群があします。船は水草がスクリューに引っかからないように当然それをよけ右へ左へと蛇行運転します。

そうするとどうなるか?

スピードは時速50キロ近くも出てる。
当然、体がふられて落ちそうになります。
本気です。
なので、僕を含め、屋根の客は、屋根についている鉄パイプ(荷物を固定するために使うゴムロープをひっかけるパイプ)や荷物につかまり、踏ん張ります。
自分の体の近くにパイプがない人は、ある人につかまっています。
かなり危険です。
文字だけではうまく伝えれないけど、命綱も何もないからね。


…眠いので続きはまた今度…


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ユーラシア旅行記~カンボジア・プノンペン編~

2008-02-13 23:59:56 | 2002年のユーラシア大陸旅行記
~カンボジア・プノンペン編~

ホーチミンから北西へ約200キロ。ここに、カンボジアの首都・プノンペンがあります。
人口は約100万人。近代的な建物はないけど(建物は古くて汚い)、中心部は昼間は、人や車や商店がにぎわっていました。
で、ここではバックパッカーのための安宿に泊まりました。宿は床面積が広い3階建てで、街の中心部にありました。当時の街は、イメージ的には、片側2車線のアルファルト道路の両脇に高くても10階建てもない建物がたくさん。歩道は充分あり、道の両脇は商店街みたいでまぁまぁ楽しんで歩けるかな。

で、伝えたいことがあります。
プノンペンの夕方以降は、街の雰囲気がめちゃめちゃ怖いです。なにがって、日が暗くなると、現地の人もいなくなり、商店のシャッターもほとんどがおり、まれに歩いてる人を見かけるだけです。とても、出歩く気にもなれません。なのになぜ、外の状況がわかるのかというと、ちょうど僕の宿の部屋が道側を向いていたので、窓から街の様子をのぞいていました。今回はシングルだったので、部屋にひとりでいるだけでも恐怖を感じました。(ちなみに2畳ほどの部屋にはパイプベットのみ。トイレなどはもちろん共同でした。)外をのぞくと、どっかから銃弾が飛んできそうな雰囲気で、窓から少しおそるおそる顔を出すので精一杯です。
今でも、この感覚はよく覚えています。
この宿は建物が3つあり、本館と○○館、…館といったぐあい。で、夕食の話なんだけど、食事は本館の一回に宿泊客用のしょぼいレストランがありました。でも、僕は別館に泊まっていて本館までは、一度外に出ないといけません。 
……えっと、レストランに…たどり着けません笑 
本館は隣の建物で、僕のいる建物の入口から10メートルほどです。
でも、外に出れません。こわくて、出る気がしません。しかも、まだこの街一日目で知り合いもできず、こういうときは、部屋の中で日本から持参した小説を読んで、時間をつぶしました。
なんどもいいますが、この街の夕方以降の雰囲気は恐怖です。
ぜひ、みんさんにもこの感動を伝えたい。

カンボジアは公務員の平均給料が月給で米20ドルという世界。(6年前はね。)バイクタクシーの運ちゃんのほうがよっぽど稼いでるみたい。で、20ドルの人はどうするかというと、旅行者を脅してお金を稼ぎます。本当です。宿には情報交換ノート※という旅行者が書いた雑記帳があって、こと細かく書いてありました。「ここで、やられた…」みたいな。


※情報交換ノート…旅行者が旅行者に対して、自分が知っている情報を宿にある雑記帳に書き綴っています。かなり役立ちますよ。
こういう情報交換ノートをまとめて一冊の本にして、日本で出版するとかなり売れると思うよ。確実に。現地の生の情報ばっかりだからね。
でも、たぶん、実現しません。
なぜかって…違法なことばっかり書いてあるから笑
例えば…確か今エジプトのピラミッドってもう登れないんだよね。やっぱり、保護を目的に考えるとそうだよね。でも、エジプトの安宿の情報ノートには登る方法が書いてあります。それは、ピラミッドの南側の警備員にワイロを渡すと、許可が出るみたいな(別の旅行者に聞きました。)
ひどい場合は、(これも聞いた話)当時のイラクは対アメリカ戦争による治安の悪化で旅行者の入国は完全に無理。でも、闇の入国ルートがある。ある国のある人は、好奇心旺盛な旅行者を狙って、高額なわいろで闇入国ルートにより入国させてくれる…とかね。

過去に、日本人旅行者がイラクに観光目的で入国して、不幸な結果になったよね。
当時のイラクだから、日本人にビザを発給しないだろうし、たぶん、こうやって入国したんじゃないかなと勝手に思っています。
真実は分からないので何とも言えませんが。

お偉いさんが腰をあげてこの情報ノートを調べだしたら結構な国際問題になったりして。でも、問題解決することもあったりして。


次は、アンコールワット観光起点の街、シェムリアップです。でも、そのまえに、面白い移動の話があるからそれを書きます。
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ユーラシア旅行記~この辺りの道路事情~

2008-02-12 21:26:35 | 2002年のユーラシア大陸旅行記
~この辺りの道路事情~

カンボジアに行く前に、ベトナム、カンボジアの道路事情について。

街から街への長距離移動は、基本的にバス。日本のマイクロバスをもう一回り大きくした感じ。
で、このあたりの道路は、アスファルトで舗装されていても、舗装されていないじゃり道でも、とにかく凹凸が多いのです。日本の舗装されている田舎道でも、たまに小さく陥没していて雨水がたまってたりしますよね。あんな感じのもう少しパワーアップした感じの陥没がめちゃめちゃたくさん。
だから、移動中はかなりこたえます。たまに、きれいに舗装され、落ち着いたエリアがあり、あ~おさまったなぁとか思っていると、また陥没エリアに…。で、基本的に夜行バスだけど、寝れません。
バスの座席の位置によっては、(高部タイヤの近くとか)さすがにまれですが、バスが跳ねると、自分の頭を天井にぶつけることも。これくらいになると、バスの中で国境を越えた笑い声が聞こえます。かるく遊園地だよね。 
まれに昼間移動して、座席が前のほうだと、フロントガラスから道路の様子が分かるので、体に力を入れて、バスが跳ねるタイミングに合わせられるんだけどね。心の準備ができているということ。
でも、夜では無理です。突然のジャンプにかなり苦しみます。隣に話し相手がいると「今のきつかったなぁ」とか楽しいんだけど、一人だと、ただただ心の中で笑うばかり。

一度、カンボジアで雨の日の移動中、バスがスピンしました。転がったのではなくただのスピン。日本では僕は優良ドライバーなので、こんなんは初めて。

あっ、カンボジアの移動で一つ面白い経験があるので楽しみにしておいてくださいね。

つづく。
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ユーラシア旅行記~ベトナム出国編~

2008-02-11 21:43:43 | 2002年のユーラシア大陸旅行記
~ベトナム出国編~

※昨日の「旅行は疲れる」という表現。感じ悪くてすいません…。行きたくても行けない人がたくさんいるのに、ちょっと安易な表現だったと反省してます。

ベトナムの次はカンボジア。

ベトナムは一言でいえば楽しい国だった。人も国の雰囲気も明るくエネルギーを感じ、物価も安いし、個人旅行がしやすい感じ。「シンカフェ」と呼ばれる僕みたいな旅行者を相手にした旅行会社があって、旅行バスや、ツアーなどかなりお世話になった。
 また、料理がおいしかったかな。
帰国後にどこの国の料理がよかった?とよく聞かれ、まっさきにベトナム料理と答える。なぜかというと…長期旅行に来ると、いろんな国の食べ物を食べるが、おいしいかどうかの基準は、日本の味と似ているかどうかで決まる。で、似ているのです。おいしいかどうかというより、なじみの味であるかどうか。長いとこの感覚になります。(次はやっぱり中国かな。)
途上国では、日本のように衛生法がないのか、屋台をやたらとみかけ、安いのです。ここベトナムでもそう。
日本で有名なフォーなども屋台であります。屋台の前に簡単なプラスチックテーブルとイスがあり、調味料が用意してあり、自分で好みでブレンドします。慣れていないと、分量を間違え、えらいことになります。

あとは、想像どうりバイクが沢山です。バイク同士がぶつかる、人とぶつかる。この3週間ほどで数回見ました。ただ、道路が混雑しすぎてスピードが出ていないので大した事故にはならない。それと、一台のバイクに6人が一度に乗っていたこともあった。現地で知り合った日本人と「最高何人乗ってるか探し」をし、3人、4人はざらです。でも6人はさすがに一回だけだったな。母親が運転手で、あとの5人は小さな子供たち。、「前かご一人」「親の足元一人」「後ろに3人」すげぇなぁ。加速せんだろうと思いながら見てた。

次はアンコールワットの国・カンボジアです。

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ユーラシア旅行記~ベトナム・ホーチミンシティ後編~

2008-02-10 22:13:22 | 2002年のユーラシア大陸旅行記
~ベトナム・ホーチミンシティ後編~

日本を2002年4月2日に出国し、ホーチミンシティに5月7日~13日まで滞在。

ホーチミンシティ滞在中に2日間位、初めてのホームシックにかかった。
日中は、外で行動していたからどうってことないが、宿に帰ってくると日本が恋しくなった。

出国してから約一月半が経ち、だんだん旅慣れてきて、でも、もう疲れを感じて、張りつめていた緊張の糸が緩んだからかな。(今回は一人で旅行をしている。お金の続く限り、休学中の一年間は、何もかも自由だが、外国で旅行するということは、楽しい反面、ぜいたくな話だが実際にはとても疲れる。慣れていない土地で行動し、言葉も思うままに意思疎通ができるわけではない。買い物をするにしてもいちいち値段交渉をし、長距離移動のときは、本当にこのバスであっているのかどうか到着するまで不安だし。)

で、この街での宿泊宿は3階建てで、ベランダが西を向いていた。
泊まっていた部屋は3階のドミトリー※で、ベランダからとても夕日がきれいに見え、当時22歳ながら大人のように物思いにふけっていた。
帰りたいなぁと思う気持ちはあるが、帰るつもりはさらさらない。
今帰っても日本ですることもないしね。日本へ帰るには飛行機のチケットを手配して…とやっぱり面倒だし。
ポルトガルのロカ岬を最終地点にしてあるし。
2日間位、こんな感じで日本シックだったな。でも、いつのまにかそんな気持ちはふっと消えた。
何だったんだろう。
言葉で書くとこんなもんだけど、帰るつもりはなくても実際には結構悩んだんですよ。
でも、この旅行中でホームシックにかかったのは今回だけだった。

※ドミトリー…大部屋にベッドが4台~20台ほど用意してあり、そこで寝泊まりする。
 一人一つロッカーがある場合もあるが、基本的にはベッドのみ。
 もちろん、お隣さんは国籍を問わず知らない人。男女別々の場合もあるし、一緒の場合もある。
 カップルが何を思ってか、この部屋で宿泊しているときもある。
 2段ベッドの場合もある。
 布団が使いまわしの場合もある。
 布団等がなくて、寝袋を用意していなければ無理な時もある。
 値段は格安。途上国なら高くても¥1000。安ければ¥50。¥1000というのはまれで、中国・広州のユースホステルがそのくらいだった。だから野宿したのもあるけどね。
 もちろん、荷物の盗難の危険性もある。今回の旅行では被害はなかったが。
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ユーラシア旅行記~ベトナム・ホーチミンシティ中編~

2008-02-07 22:02:05 | 2002年のユーラシア大陸旅行記
~ベトナム・ホーチミンシティ中編~

この街では、日本でいう「かつあげ」にあった。
宿の周辺には、旅行者用のレストランや、パブがあり深夜までにぎわっていた。僕は、別の宿に泊まっていた日本人旅行者と街を深夜徘徊し、ひとりで自分の宿に帰る途中だった。時間は、ちょうど、深夜のAM0:00くらい。彼と別れて、自分の宿までは100Mほど。時間が時間なので、多少まわりに警戒しながら、まぁまぁ明るめの道を通って帰っていたのだが、人はみなレストラン等の建物の中で騒いでいて、道を歩いているのはほとんどいない。ところどころに、バイクタクシーのおっちゃんやベトナム人が単体でいたくらいかな。
 で、宿まで歩いていると、案の定…近くにいたベトナム人のおやじが近寄ってきて、僕の腕をつかんだ。
「 I fight you 」小声でこう言われた。これが正しい英語なのか分からないけど、「殴るぞ」という意味と「金をよこせ」という態度であることはすぐわかった。
まずい!!何がって、旅行中は全財産を「腰巻ベルト」と呼ばれる服の下に隠した財布に入れて持ち歩いていたのだ。あとは、すぐにお金が出せるように、ズボンのポケットに裸のままお金を持っていた。※
相手は一人だったのでそれほど恐怖心はなく、腕をつかまれながらも冷静に周りを見渡せた。周りには、ほんのすぐそこにバイクタクシー運転手。かれとグルではなさそう。20メートルほど先に旅行者用のバーがあり、中にはたくさんの人がいるのが見えた。
一瞬だったが頭の中で、「腕をふりほどいてあのバーの中に逃げ込めば大丈夫」と考えたが、その間に、僕のハーフパンツのポケットに勝手に手を突っ込んできて、¥500程度と同額の紙幣を一枚とりだし、紙幣の金額を確認し早足で逃げて行った。すぐそこにいたベトナム人のバイクタクシーを見てもなにも動揺する様子もなく平然としていた。僕を助けるわけでもなく、ぬすっとからわけまえをもらうわけでもなく。

一瞬だったけど、やっぱりびっくりしたぁ…隠し財布に気付かれなくて良かったぁ…
でも、自分が情けなかったなぁ。僕はどちらかというと攻撃的な性格ではないし争いごとも得意ではないので、なにも抵抗できませんでした。抵抗して本気で殴られたら、やだなぁっていう気持ちがあったから。

まぁ、こんな時間にひとりで歩いていることがいけないね。二人以上で歩いていれば多分こんなことはないと思うよ。でも、お金取られただけでよかった…

※今回の旅行には、「US100ドル紙幣数枚(現金)、アメックスのクレジットカード(まだ学生だったのでもちろん日本の親父の家族カード)、シティバンクの国際キャッシュカード」をメインに持っていた。で、その国に入国した時、必要な時に、現地通貨に両替、ATM引き落としをして、それをポケットやちょっとした財布にいれ旅行をしていた。
 腰巻ベルトをなくしたり取られたりすると、かなり厄介です。暗証番号等の問題があるから、お金をすぐに使われる心配はないけど(US現金はあきらめます)、復興の手続きとかね。
 
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ユーラシア旅行記~ベトナム・ホーチミンシティ前編~

2008-02-05 20:57:14 | 2002年のユーラシア大陸旅行記
~ベトナム・ホーチミンシティ前編~

あれかな?どっちだったかな?
サイゴンという名前も聞いたことがあると思います。
この名前は、ベトナム南北統一以前の呼び名。統一後にホーチミンシティと改名されました。確か…。もしかして逆かも…。


この街の一角に、200メートル四方内に旅行者エリアがあり、そこに安宿、レストラン、パブ、旅行代理店など、旅行者にとって楽しんで生活できる環境が整っていた。
イメージ的には、道の両脇に、せいぜい3・4階建ての雑居ビルがたくさん並んでる感じかな。で、道は狭く建物の前に食べ物屋台がたくさん。こういうエリアは現地語と英語表記がしてあるので大変楽です。

この街に到着した日の夕方、宿を決めた後、ひとりでこの旅行者エリアを散歩してみた。
で、ただの食堂に入って、ベトナム人女性と※ストリートチルドレンっぽい子供が2人座っている隣に座って食事をした。
そしたら、どこからともなく「こんにちわ」と声をかけられた。
は?
それは、隣のベトナム人女性からだった。じゃなくて…ベトナム人だと思っていた日本人女性だった。
彼女は以前旅行で来たこの街が気に入って、学生ビザで住み着いているらしい。「なぜここの子供といるの」と聞くと、ストレートチルドレンに興味があるのだそう。東京外国語大学在学中で、なんか、語学で留学に来てるけど、卒論で彼らのことを取り上げるらしい。

で、彼女すごいのです。
英語は高校時代にアメリカに1年間だけ留学していたみたいで、完全にネイティブ。
もう一つ。
どこかでサルサダンスを習っていたことがあるみたいで、この街で、この町在住の外国人向けにダンスを教えているみたい。のちのち別の日本人男性と彼女の教室を見に行ってきたが、めちゃめちゃかっこいい。なんか、中南米?南米?ブラジル?のダンスで、フラミンゴとかみたいにリズムが変則的でとりあえず表現として、なんかかっこいいのです。

さらに。昼間は大体郊外の住居からこの旅行者エリアにたむろしているらしく、現地のベトナム人をいろいろ紹介してもらった。
これは役立ったなぁ。
何がって、バイクタクシーの運転手や、路上売店(リヤカーを改造してスナック菓子やタバコを売っている)の店員さんの紹介。
こういう路上関係では基本的に値段表記がないから、バイクタクシーにしても、いちいち値段を交渉しないといけない。ましてや、相手は金持ち外国人だから金額のボッタクリもあたりまえ。あらかじめ、ある程度の相場を調べておかないと、大損しますよ。
そんな中、こういう人を紹介してもらえると、値段交渉の手間が省け楽なのです。ちなみに、路上売店のおじちゃんとも仲良くなれたけど、自分が用事でいなくなるときには、店番を頼まれます。もちろん何もできないけど、盗まれないようにだけ見張っててほしかったみたい。

※ストリートチルドレン(路上生活者)ベトナムの場合は、親がいる場合もあり、でも貧しくて、昼間はこういった旅行エリアを中心に自家栽培らしい果物等を持ち歩いて売ってきます。
こう聞くと、悲しいイメージだけど、なぜかここの子供たちは明るかった。
長く滞在するとやっぱりお互い親近感がわくのかな?お互いの名前を聞いて名前で呼び合ったり、たまには一緒に散歩してジュースをかってあげたことも。
まぁ、僕の自己満足だけどね。
彼らは、売れないと親に怒られるみたいだけど、売るつもりもあまりなく、旅行者と戯れたりするのが目的かと思うほどいいかげんだった。
仲良くなりすぎたかな。

つづく
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ユーラシア旅行記~ベトナム・ニャチャン編~

2008-02-04 21:23:16 | 2002年のユーラシア大陸旅行記
~ベトナム・ニャチャン編~

今日は、いろいろ話が飛ぶかもしれません。

ニャチャン。
ここは、一応、ベトナムのリゾート地。
一応…と書きました。リゾートと聞くとハワイのようなところを思い浮かべそうだけど、い~え。普通の海沿いの街です。でも、僕は海が大好きなので、この街に来ました。

えっと、僕は海が大好きです。
港は汚いので嫌いです。
海を見るだけでも海で泳ぐのも。

どれくらい好きかというと、学生のころ豊橋市に住んでいました。で、太平洋が近いので、夜中にひとりで原付で海を見に行ったことが何度もあります。
一人でです。
30分ほどかけたかな。
で、国道42号線沿いに、いい所を発見しました。
サーフィンが好きな人はしってるかもしれないけど、なかなか一般の人はこの場所にはたどり着けません。
今でも、豊橋近くに行くとこの海を見に行くことあがあります。一度、台風の日(さすがに昼間)に行ったことがあって…その時は車だったかな…波が大きくうねっていて、とてもすごい光景を見させていただきました。


そう、ニャチャン。
ここの海は、砂浜はそれほどでもないけど、少し沖合にいくと、とても透明度が高く、サンゴや熱帯魚を見ることができる。
で、ハノイの宿で知り合った、日本人三人(久君、理恵さん、あゆみさん)と、船で沖合までいって、泳いだり、シュノーケルをしたり、船の上でランチを食べたりできるツアーに参加してきました。(この三人はバンコクまでたまに一緒だったりしたので名指しで書きます。)
ツアーは欧米人も含め20人ほどだったかな。
まる一日遊んで、US7ドル。めちゃめちゃお得。この街での宿は、久君とツインをシェアして一泊5ドル。やっぱり安いね。

で、海好きな僕はやっぱりシュノーケルも大好きなのです。
今ではマイメガネと、シュノーケルを持っているほど。
この遊びに関しては、あとあとインドネシア編で、じっくり伝えます。


なんやかんやで、この街には4泊程しました。
で、毎朝、日の出を見にいきました。といっても、宿が浜辺から50メートルほどだから歩いてすぐ。
で、毎朝同じ売春婦に声をかけられました笑。なんでこの時間…?そのうちに初めは声をかけられ断るとどっかへいってしまったけど、最終日の朝は、いつまでいるの?とか普通の会話をしていましたね。

南国の朝日はきれいですよ。
早起きして見に行くくらいだからね。日本での生活では考えられないね。寝る時間があったら、昼まで寝ているからね。

次は、ベトナム最大の都市、ホーチミンシティ。

いまさら…画像を見せてあげたい。

※改めて…このブログは当時の日記をもとに書いています。日記のまま書くと僕しか理解できないので、だれでもわかりやすいように文章を変えて書いています。
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ユーラシア旅行記~ベトナム・フエ編~

2008-02-03 18:44:45 | 2002年のユーラシア大陸旅行記
~ベトナム・フエ編~

ハノイから南へ600キロほど南下したところに古都フエがある。
ハノイから夜行バスで一晩ほど。

この街は歴史的な街で、歴史的建物がたくさんある。
ただ、画像がUPできないと、とても伝えれないので今日はこれだけ。

得にしたことと言えば、宿から自転車で近くの海までこうと思って、朝、宿の自転車を借り一人で出発した。近くと言っても40キロほどある。で、自転車をこぎ始めて暑さで気力がなくなり、10分ほどで、宿に戻ってきましたと。
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