カオスの世紀

カオスとは「混沌」、そしてこの21世紀に生きる自分の混沌とした日常を気ままに書き綴っていきます。

スカイ・クロラ(The Sky Crawlers)(ネタバレ注意)

2008-08-04 | 映画(邦画)
「スカイ・クロラ(The Sky Crawlers)」

それは空を這うものという意味。映画の冒頭で抜けるような青空が描かれる。幾つかの大戦を経て得た平和な世界の中で、それを維持する為に「ショーとしての戦争」を繰り広げる。”キルドレ”とはこの戦争の為に生み出された大人にならない永遠の命を持つ子供たち。但し、永遠とは決して死なないという意味では無い。映画の中でそれはそれとなく語られる。彼らは空の上で死にそしてまた生まれ変わる。それを永遠に繰り返していくだけだ。

押井監督はこの映画にはあえて「若者に伝えたい」と明確なメッセージを持って作り上げたという。ただ、映画は決して説教くさい台詞も描写もほとんど無い。ただ、あくまでも淡々と描かれる人物と、それとは対照的に迫力溢れる空中戦のシーンが時より描かれる。そして、そこにはいつも抜けるような青空と美しい雲があるだけだ。

しかしそこでは大人達の平和の代償として戦争をさせられる子供達がいて、大人達はモニターや活字の向こうでその戦争をショーとして見ている。”キルドレ”達の血の代償として得られる平和。何かに似てはいないだろうか?そうした思いを抱いた時、それは今の日本ではないかと思った。そして押井監督はまさに今の日本の若者に語りかける映画として、この設定を今の日本に重ね合わせようとしているのではないかと思った。
焦土と化した前の大戦の中から復興した日本は、その平和の代償として他国で繰り返される戦争をモニターの向こうに押しとどめる事で平和を実感して来た。しかし今の時代に繰り返される若者達の他者や自己への無差別な殺戮を見て、ここは平和の国だろうかと思う。押井監督も今の時代を「荒涼とした精神的焦土が広がる国」と表現し、その中で”生きている実感の無い”子供達を憂いている。

物語はそんな切なく悲しい運命を背負った二人の”キルドレ”、カンナミ・ユウイチ(加瀬亮)クサナギ・スイト(菊池凛子)の二人の切ないラブストーリーを中心に描かれる。キルドレは死んでもまたその過去の記憶だけを失ってまた生まれ変わってくる。それを愛してしまったスイトは繰り返される悲しみに耐えられず暴走しそうになる「殺してくれる?」と。しかし、その自らの運命に気づき始めたユウイチはそんなスイトを優しく受け止める「君は生きろ。何かを変えられるまで・・・」。

同じように繰り返される運命でもきっとまた違う明日が待っている。ユウイチが自分の運命に気づいた時に言った言葉が印象的だ。

「いつも通る道でも違うところを踏んで歩くことができる。いつも同じ道だからって景色は同じじゃない」

ユウイチの言葉は今の若者への押井監督の言葉のようにも感じる。平和の中で繰り返される日常の茫漠とした時間に自己を見失いそうな若者にも、昨日と違う明日がある事を知って欲しい。だから自分は変わる事が出来ると・・・。それは自分の意志次第だと。「今の世の中にだって違うところを歩んでいく”希望”はあるんだよ」と・・・

空中戦のCGのクオリティの高さが素晴らしい。空を実際に自由に飛び回っているような感覚。あえて手振れのような画像で、臨場感を与えている手法は素晴らしい。そして抜けるような青空と白い雲。その美しさとそこで繰り広げられる空中戦。その映像に魅了される。一方で実に静かに描かれるキルドレと彼らを温かく見つめる大人達の物語は暖かみのある2Dのアニメで描かれている。この対比がこの映画の大きな魅力になっている。
音楽は川井憲次。押井監督には欠かせない作曲家だ。今回は美しいハープの音色が印象的だ。

ラストであの抜けるような青空からユウイチは戻ってくる。また別の”キルドレ”として。彼を迎えるスイトは言う「あなたを待っていたわ」。同じように繰り返される道。でもそこには違う景色が待っているかもしれない。何かを変える事が出来るのかもしれない。いまを生きる事の希望を感じさせる素晴らしいラストだ。

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森 博嗣
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