7月31日に奥阿蘇高森町に日本三大下り宮の祭りに行きました。
鳥居より130段下に社殿があるのです。氏子は200軒からあるそうです。
以下のものはインターネットより・・・
≪御祭神≫
[一の宮]・日子八井命(ひこやゐのみこと)【國龍命・吉見神】・・・[神武天皇第一皇子]
[二の宮]・比御子命(ひめみこのみこと)・・・[日子八井命の妃]
[三の宮]・天彦命(あまつひこのみこと)・・・[日子八井命の御子]
[四の宮]・天比命(あまつひめのみこと)・・・[天彦命の妃]
[五の宮]・阿蘇都彦命(あそつひこのみこと)【健磐龍命・阿蘇大神】・・・[日子八井命の甥]
[六の宮]・阿蘇都比命(あそつひめのみこと)・・・[日子八井命の娘・阿蘇大神の妃]
[七の宮]・新彦命(にひひこのみこと)・・・[日子八井命の御子]
[八の宮]・彌比命(やひめのみこと)・・・[新彦命の妃]
[九の宮]・速瓶玉命(はやみかたまのみこと) 【國造大神】
┗・・・[阿蘇大神の御子・日子八井命の外孫]
[十の宮]・若彦命(わかひこのみこと)・・・[新彦命の御子]
[十一の宮]・新比命(にひひめのみこと)・・・[新彦命の娘]
[十二の宮]・彦御子命(ひこみこのみこと)・・・[速瓶玉命の御子]
御祭神は、神武天皇の第一皇子、日子八井命。阿蘇開拓の由緒ある神社です。
日子八井命は、神武69年8月5日、日向国高千穂の峰より勅命により草部の郷に来られ、住民を苦しめている大蛇を征伐し、この大蛇が住んでいた「吉ノ池」に宮居を定められたといわれています。このとき「吉ノ池」を埋め、宮柱を立てられ、屋根や壁を草で葺かれた故事から「草壁」といい、後に「草部」に改めたと伝えられています。
草部吉見神社は、わが国でも珍しい「下り宮」として有名で、俗に宮崎の「鵜戸神宮」、群馬の「貫前神社」とともに「日本三大下り宮」とも呼ばれています。
130の石段を降りていくと、社殿があり、樹齢500年とも700年とも推定される神木をはじめ、杉の大木に囲まれ、静かな空間!神秘的な場所として注目されています。
社殿の下側には池もあり、遊歩道が整備されています。
本殿にて神事が行われました。
となりの神楽殿では神事の前後にお神楽が執り行われました。
本殿の彫刻は立派なものでした。昭和51年に大改修されたそうです。
二人の舞と太鼓、笛、鉦に合わせ鈴をふって踊っておられました。
大小2基の御輿と子ども御輿が本殿を出て130段の階段を上り「おかりや」に行く様子。大きい御輿は800キロもあるそうです。
村の長老達が祭りのために青い萱で編んだ草の壁の中が社務所。(おかりや)の前で赤いお面をつけた神様が(神武天皇の皇子)舞を舞う。この地で宮居を定められたその翌年、日子八井命の弟、神八井耳命の御子である健磐龍命(たけいはたつのみこと)【阿蘇大神】が、天皇から九州鎮護の大任を命じられ阿蘇に下向して来られると迎え、請われて日子八井命の娘である阿蘇都比命(あそつひめのみこと)を健磐龍命の妃になされました。すごい祭りだ。おかりやでお神楽の奉納が終わり、また下の宮本殿に。帰りは風力発電の風車?をみながら阿蘇の草千里を通って途中でお花がきれいだったのでパチリ。牛さんと草ふじとなでしこと・・・
鳥居より130段下に社殿があるのです。氏子は200軒からあるそうです。
以下のものはインターネットより・・・
≪御祭神≫
[一の宮]・日子八井命(ひこやゐのみこと)【國龍命・吉見神】・・・[神武天皇第一皇子]
[二の宮]・比御子命(ひめみこのみこと)・・・[日子八井命の妃]
[三の宮]・天彦命(あまつひこのみこと)・・・[日子八井命の御子]
[四の宮]・天比命(あまつひめのみこと)・・・[天彦命の妃]
[五の宮]・阿蘇都彦命(あそつひこのみこと)【健磐龍命・阿蘇大神】・・・[日子八井命の甥]
[六の宮]・阿蘇都比命(あそつひめのみこと)・・・[日子八井命の娘・阿蘇大神の妃]
[七の宮]・新彦命(にひひこのみこと)・・・[日子八井命の御子]
[八の宮]・彌比命(やひめのみこと)・・・[新彦命の妃]
[九の宮]・速瓶玉命(はやみかたまのみこと) 【國造大神】
┗・・・[阿蘇大神の御子・日子八井命の外孫]
[十の宮]・若彦命(わかひこのみこと)・・・[新彦命の御子]
[十一の宮]・新比命(にひひめのみこと)・・・[新彦命の娘]
[十二の宮]・彦御子命(ひこみこのみこと)・・・[速瓶玉命の御子]
御祭神は、神武天皇の第一皇子、日子八井命。阿蘇開拓の由緒ある神社です。
日子八井命は、神武69年8月5日、日向国高千穂の峰より勅命により草部の郷に来られ、住民を苦しめている大蛇を征伐し、この大蛇が住んでいた「吉ノ池」に宮居を定められたといわれています。このとき「吉ノ池」を埋め、宮柱を立てられ、屋根や壁を草で葺かれた故事から「草壁」といい、後に「草部」に改めたと伝えられています。
草部吉見神社は、わが国でも珍しい「下り宮」として有名で、俗に宮崎の「鵜戸神宮」、群馬の「貫前神社」とともに「日本三大下り宮」とも呼ばれています。
130の石段を降りていくと、社殿があり、樹齢500年とも700年とも推定される神木をはじめ、杉の大木に囲まれ、静かな空間!神秘的な場所として注目されています。
社殿の下側には池もあり、遊歩道が整備されています。
本殿にて神事が行われました。
となりの神楽殿では神事の前後にお神楽が執り行われました。
本殿の彫刻は立派なものでした。昭和51年に大改修されたそうです。
二人の舞と太鼓、笛、鉦に合わせ鈴をふって踊っておられました。
大小2基の御輿と子ども御輿が本殿を出て130段の階段を上り「おかりや」に行く様子。大きい御輿は800キロもあるそうです。
村の長老達が祭りのために青い萱で編んだ草の壁の中が社務所。(おかりや)の前で赤いお面をつけた神様が(神武天皇の皇子)舞を舞う。この地で宮居を定められたその翌年、日子八井命の弟、神八井耳命の御子である健磐龍命(たけいはたつのみこと)【阿蘇大神】が、天皇から九州鎮護の大任を命じられ阿蘇に下向して来られると迎え、請われて日子八井命の娘である阿蘇都比命(あそつひめのみこと)を健磐龍命の妃になされました。すごい祭りだ。おかりやでお神楽の奉納が終わり、また下の宮本殿に。帰りは風力発電の風車?をみながら阿蘇の草千里を通って途中でお花がきれいだったのでパチリ。牛さんと草ふじとなでしこと・・・