武ちゃびんの 「武ろぐ」

子どものままでは生きられない、でも子どものままでしか生きられない、全編まるごと「わがまま日記」

ついにデビュー!

2006年10月31日 16時09分29秒 | 図書館・博物館・美術館

 写真を見ただけで、「ついに武ちゃびんも捕まったか!」なんて思はないで下さい。
 ここは枚方、くずは図書館の対面読書室で、取調室ではありません。
 疑り深い人のために言っておきますと、顔を照らす電気スタンドが無くてお茶のセットがあるでしょ、当然、カツ丼は出ません!

 今日が対面読書のデビューでした。
 聞いていただく方は68歳の女性Yさん、しゃきしゃきした楽しい方でした。
 音読を聞きながら、うなづいたり、「ふんふん」と相槌を打ったり、笑ったりと反応も明るく僕もノルことが出来ました。

 初対面なので、ご挨拶をし世間話の中で、目が見えないからラジオばかりの生活ですと聞き、「幕末ファン倶楽部」のことを言ったら、なんと!「聞いてる!」とのこと、今声が分かったと喜んでくださいました。

 しかも、なんとなんと! KBS京都の「平成京都見廻隊」の時からのリスナーさんでした。そしてラジ関でも夜早い時間になってから番組を見つけて下さったそうです。

 アシスタントの女性、ふぅさん!貴女ですよ!「面白い方ですね」ですって。
 嬉しいですね、目の不自由な方たちにとってラジオは大切な情報源、音訳協力者になってみて、よりラジオの役割を思いました。

 そして、次回のテキストが渡されました「風林火山(井上靖著)」しかも最初から、戦国時代に弱い僕に「一緒に勉強しなさい」という神様のお告げかも知れません。
 

歩け、歩け、ただ歩け、すべてを忘れてただ歩け!

2006年10月30日 22時11分42秒 | あれやこれや

 今朝は、昨夜の夢見が悪かったので朝寝坊してしまいました。

 9時からのウォーキングになってしまいました。

 1時間のコースの、丁度中間点で目の前に広がる景色です。

 ヒゲを伸ばしたのと同時にビールも止め(家ではです…外ではお付き合いもありますし…)歩き始めました。

 第一段階目標達成まで、もう1Kg減まで来ました。

 でも、意志薄弱の僕の事、リバウンドもありそうなので、ここで宣言しました。

 もっと落とします。

 歩いていると、いろんなものが見えてきます、また、考えも出来ます。

     

                    

 葉付きのどんぐりを見つけました、まだ青いどんぐり、子どもの頃の記憶が蘇りました。

 また歩き出します、一人の歩みかもしれないけれど、きっと、また一緒に歩けると信じて。 





丑三つ時に・・・

2006年10月30日 02時48分34秒 | あれやこれや

 泣きながら目が覚めました。

 夢だと分かっていながら・・悲しくて淋しくて信じられなくて・・・

 あ~、夢だったぁ~、と思っても、全面的に安心できない。

 もう分かってるでしょって、どこかで分かっていても、分かりたくないからこんな夢見るのかなぁ?

 あ~、新聞が来ました。

 二口でロング缶飲み干してもう一度床につきます。

 お願い! 現実にも付いていけないのに、夢でまで攻めるのかえ、おい!神様よぅ!

我が町 5

2006年10月29日 12時04分55秒 | 我が町
 この石碑には、「史蹟 継体天皇樟葉宮伝承地」と刻んであります。

 継体天皇は、淀川対岸の高槻に「継体天皇陵」という宮内庁が祭る前方後円墳がありますが、研究者によって「今城塚古墳」と呼ばれている前方後円墳が継体の墓であろうと推定されて、これが定説になっています。その西にそびえる阿武山山頂からは藤原鎌足の墓誌が見つかったりと、淀川を挟んだ北河内・北摂一帯は歴史のとても古いです。

 継体天皇は、越前三国の豪族でした。
 雄略天皇の死後、大和の国は動乱の状態になり権力闘争が激しくなっていました。
 軍事力の物部氏と大伴大連金村(おおとものおおむらじかなむら)、そして、渡来人の馬飼首荒籠(うまかいのおびとあらかこ)らによって新天皇として担ぎ出され、大和には入らず、ここ樟葉宮で即位、以後五年間、楠葉の地に都を置きました。

 さて皆さん(浜村淳かい!)ス~~~と読み流してもらっちゃぁ困りますよ。
 楠葉は、1500年ほど前の「日本の首都」だったんです!!!!!!


               

 今は、小さな丘の上の祠がその跡をさびしく示すのみで、訪れる人も少なく、静かです。
 今年(来年だったかな?)は、1400年の記念事業をと枚方市も言っていますが・・・何をするのやら・・・シンポジュームだけはありましたけどね。



                    

 この、「史蹟 樟葉宮跡伝承地」は、我が町2でご紹介した「交野天神社」の本殿の裏にあります。
 ここも古い神社で、桓武天皇が父光仁天皇を神として祭った神社です。
 蝦夷征伐を大きな課題とした桓武が、筑紫の磐井の叛乱を平定した継体にあやかろうとしたといわれています。
 このくずはの地には、当時の最先端の文化があったといっても間違いではないでしょう。                  


                      

 たまたま訪れた時が秋祭りでした。
 
 お参りに来た人たちのほとんどが新しい街「くずは」の住人、是非、我が町の歴史も知っておいてくださいね、あなたの子どもたちにとってはここ「くずは」が故郷になるのですから。


母が・・・

2006年10月28日 02時56分28秒 | 釋尼慈芳(母)のこと
 
 
 入院しました、胃潰瘍による吐血です。

 幸い大事には至りませんでした、でも病気をすれば、お金がいる、ということを身を持って感じました。

 無い時に、要る事は辛いですね「世の中の、ほとんどの悩みは、金で解決できる!」というかってTVで流れていた宝くじのCMが、また切実に思い出されました。





秋詠草

2006年10月27日 09時03分05秒 | Field-Note

              おいで おいでと 手招きしても

                        月はあんなに 遠い空





                      


              猫は 反応してしまう

                  遊びだったと知らされても




                      

              土になる こともいとわず 色づいて




                      

              生きてやる 不細工だって 生きてやる




                      


              年輪は 切り倒されて 数えられ






理 解

2006年10月27日 01時42分55秒 | 幕末
 何冊かの坂本龍馬関連の本を読んできました。
 僕の場合、最初に読んだ龍馬の本は「龍馬のすべて」(平尾道雄著)で、
 実はよくある順序の「竜馬がゆく」(司馬遼太郎著)からではなかったのです。

 それから今日まで、幾つか読んだ本の中で、
 鮮烈な衝撃を受けたのは「坂本龍馬」(飛鳥井雅道著)でした。
 
 この本の一番最初、「序章」のそれも最初の小見出しが「龍馬の孤独について」 
 ここで何かビビビッと衝撃を感じ読み進むと・・・

 「私には疑問が深まっている。龍馬は真に理解された上で愛されているのだろうか。
(中略)私は龍馬に強くひきつけられると同時に、彼の悲劇的な側面に、
 そしてその孤独さに次第にのめりこむようにひきつけられてきているのだ。
彼は本当は一度もそのままの姿で理解された事がなかったのではないか、
とすらうたがわれる。」

 あるがままに理解される事、また、理解する事、その難しさを改めて感じます。
 
 「万有の真相は唯一言にて悉す。曰く『不可解』」 藤村 操 の言葉を思い出します。

 人は皆、孤独なのかも知れませんが、理解されぬ孤独の闇は冷たそうです。




秋の朝

2006年10月26日 08時05分30秒 | あれやこれや
天高く・・・すがすがしい秋の朝

 朝陽が斜めに・・・

 

 ふと、思い出して・・・
ふぅさんのブログhttp://blog.goo.ne.jp/fuu_171cm/7(8月23日)「アシ長!!!」をパクリました! 
ふぅさんごめんね。
 
                    「腰太!!!!」

                        

                       

どうしたの?

2006年10月25日 20時33分48秒 | あれやこれや
 秋なのに朝顔! それも見事な美しさ! 驚きました! 素敵でした!

 仕事に向かう道すがら、京都の町家を抜ける道には、そこここに花が植え込んであります。
 そこに暮らす人たちの優しい心が見えるようで、
 しかも季節は秋、名前は知りませんが本当に可憐な花たちが微笑んでいます。


                   
 

 この季節が、僕は一番好きです! 

 一人で歩く町並みの路地にススキが揺れていました。


我が町 4

2006年10月24日 23時30分05秒 | 我が町
京阪電車「くずは」駅 僕の最寄り駅です。
現在の一日の乗降者数は約7万人、大阪と京都のほぼ中間に位置し、どちらへも30分以内という便利さ。
京阪電車が力をいれているニュータウンです。



駅前のショッピングモールも昨年リニューアルしました。
我が町3で駐車場ビルの屋上からのパノラマを見ていただきましたが、これは、駅の改札を出て正面に見えるモール街です。



その手前の木のそばに、モニュメントがあります。
そこには、



「梁塵秘抄」に描かれたくずは美人のこと。
「くずは」の古くからの歴史を匂わせる説明。

さて、その「我が町くずは」の歴史を、古代から順に紐解いていきましょう。

「我が町」シリーズをお楽しみに!





ひといき

2006年10月23日 16時10分13秒 | 飲み食い三昧
 僕は、コーヒーが無くても平気な人です。
 でも今日は、コーヒーを入れました、インスタントですが。
 「お客様」用にと、昨年秋に買った大きな瓶が無駄になりそうなので、たまに入れて飲むんですが・・・たまの事だから・・・まだあります。

 今は、原稿書きの途中、雨でなければ母の洗濯物の入れ替えに老健施設に自転車で走る時間なんですが、外は雨音が聞こえるくらいの降り。

 中での仕事の日の雨は、嫌いではありません。
 街の音があまり聞こえず、外の明るさも落ちついて、静かに、全てが静かに流れてゆくようです。
 クラシックが聞きたくなるのはこんな日です、今日は元気が出るようにスメタナの「我が祖国」です。

 愛用のコーヒーカップは、昔、パワーが出るからとプレゼントして頂いたものです。
 カップに描かれた「波動」のデザインは、とても気に入っています。

 さて、私の周りは、静かです。
 
 電話も無言のままです。

 仕事に戻りましょう。


秋愁

2006年10月23日 10時46分48秒 | あれやこれや

 雨にならない朝のうちにと思い、1時間コースのウォーキングに出ました。

 家の中ばかりにいると、頭もこじんまりとしてしまいます。

 景色の中に、身をおくと自然が身近に感じられます。

 今までは夜が多いのと、夕方でもいい天気だったので、今日はとても新鮮でした。

 
 収穫も終わった秋の田は、刻まれたムギワラで一面の黄金色…そこに、鮮やかな緑!

 稲穂が刈り獲られたものの、根は生きているんですね、また新芽が出て来ています。

 生命の強さと、その色の鮮やかさに感動しました。

 しかし、この生命、稲穂に実をつけることはありません。

 季節は、冬に向かっています。

バッハとヴァルハ(出逢い)

2006年10月22日 21時09分42秒 | 音楽

 「素晴らしい出逢い」というものがあります。

 バッハは僕の好きな作曲家の一人です。

 最初の出逢いは山城高校(京都)の入学式、もう40年前の事ですから、今でもそうかどうかは分かりませんが、入学式のオープニング、新入生とその親たちが少し緊張しながら待っている時、ざわついた雰囲気をスパッと斬るようにパイプオルガンの大きな響きで「トッカータとフーガ ニ短調」が体育館に充満します。
 開場が厳粛な空気に包まれ、静かになったところで入学式が始まります。
 あれはいい演出だったなぁ~、と今でも鮮烈に覚えています。

 さて、このレコードは「ゴールドベルク変奏曲(アリアと30の変奏曲)BWV.988」です。
 ひとつのアリアから、次から次へと変奏(ヴァリエーション)を展開していきます。
 バッハの晩年の作品ですが、バッハらしい理知的な構成力が見事な世界を作っています。
 また、チェンバロの組曲で、「フランス組曲」と「イギリス組曲」という二つの組曲があります。
 フランス組曲は、おしゃれで可愛らしくエスプリの効いた組曲です。
 イギリス組曲は、まるでゴシック建築の設計図でも見ているような、精緻な構成が聞こえてきます。
 これもバッハの天才を感じさせる作品だと僕は思います。

 チェンバロの演奏はヘルムート・ヴァルハ、盲目の演奏者です。
 彼は、生まれてすぐに視覚障害が現れ、16歳で完全に失明しました。
 それでも20歳でライプチヒ音楽院を優秀な成績で卒業したといいますから、彼もまた天才です。
 そして、努力の人でもあります。
 25歳から15年かかって、バッハの鍵盤作品を全曲暗譜します。
 しかも、点字の楽譜を使うのではなく、妻の協力で一つ一つの声部(楽譜が何段にも分かれていますね、あの一段がひとつの声部です)を覚え、その何段もの声部を頭の中でひとつに組み合わせて記憶したといいます。
 ヴァルハを助けた、妻という大きな存在との出逢いが、バッハという天才との出逢いを助け、世界に素晴らしい演奏という宝石を残してくれました。

 人との出逢い、それは、大きな大きな運命とも言えるものです。
 一生出会わない人のほうがうんと数が多く、出逢ってもすれ違うだけの縁もあります。
 自分の一生に影響を与える出逢い、大切にしたいものですね。
 そして、その出逢いが素晴らしい人生を演出してくれたら幸せですね。

是非アクセスしてご覧下さい!

2006年10月21日 23時39分14秒 | あれやこれや
 幕末ファンの、ゆずぽんさんのブログです。
 地酒の情報も楽しいのですが、さすが、中岡慎太郎ファン、大切な事には一途です!
 昭和20年以降生まれ(戦争を知らない子どもたち)の方々は、必見です。

 「島歌」の記事です、特に、必ず見ていただきたいのはこれです。
 見てください、邪魔くさいといわずに見てください、お願いします、見てください。
 大切な事です、この基本を忘れたところから、今の時代の「あらゆる醜いもの」が始まったと僕は思っています。

 異論のある方は、見てから言ってください。
 いろんな意見があると思いますが、考えなくてはいけない問題だと思っていますから、
皆さんが思われたことをそのままお聞かせいただきたいと思います。